浅草サンバカーニバル

2019年08月31日 | 健康・病気






今日私と女房は、浅草サンバカーニバルを見に浅草に行きました。
噂では、ものすごい人が来ると聞いていましたが、やはり凄い 人出でした。
なかなか思うように写真を撮れません。
浅草は、すごいことになっているんですね。
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8月の九想話

8/1 人感センサー
8/2 神戸・激安靴店を歩けば
8/3 この世界の片隅に
8/4 面接
8/5 清原和博
8/5 ひきこもり死
8/6 相棒
8/7 電車通勤で思うこと
8/7 浅間山噴火
8/8 夏休み
8/9 夏休み
8/10 大山、逆転サヨナラ3ラン
8/10 土曜日、パンを焼く
8/11 キングローズは根付いたか?
8/11 消えた天才
8/11 Stand By Me
8/12 こんなとこにユリ?
8/13 ユリの花が咲いていた
8/14 ウインドウズ10更新
8/15 ウインドウズ10更新-2
8/15 健康診断
8/15 8月15日
8/16 転勤
8/17 阪神2連敗
8/17 女房が燃える
8/18 名前の呼び方
8/18 ノーサイド・ゲーム
8/19 鬼龍院翔 貯金2億円
8/20 月生日
8/21 恋の話
8/22 兵役逃れ
8/24 東松山花火大会
8/25 浅間山また噴火
8/25 埼玉知事選
8/26 火葬のこと
8/27 休肝日
8/28 「ゆう」という名前
8/29 通勤電車での微妙な想い
8/30 自動車学校
8/31 浅草サンバカーニバル


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自動車学校

2019年08月30日 | テレビ
今夜、ドキュメント72時間「沖縄・自動車学校 免許の先に見る夢は」を観た。
これからの生活のために大型免許を取る人、生活の範囲を広げたいために免許取る人。
老後のために大型免許証をとりたい62歳の人。
子どもが4人になったので移動するために免許がいる人。
夜間高校を卒業して、通勤のためにも免許が欲しい女性。
いろいろな人がいた。

私も運転免許証を取るには苦労しました。
私が車の運転免許証を取ったのは35歳です。
私は若いときには、車の運転は一生しないと決めていた。
「おれが運転する車で、事故を起こして人を殺すことはしたくない」と思っていたからです。
高校の友人たちの中には、高校生のときに運転免許を取る者もいた。
私が育った茨城のI町では、車がなかったらどこにも行けなかった。
私は東京で暮らすから、車は関係ないと考えていた。
しかし、私は30歳ぐらいから埼玉で暮らしている。
私が34歳のときに、勤めていた会社が景気が悪くなり転職した。
(私が40歳の頃、その会社を訪ねたらなかった)
転職した川添電子の社長が、会社で金を出すから運転免許証を取れという。
私も埼玉で生活するには、車の免許証があってもいいかな、と思った。
会社といっても、社長と専務と社員が男1、女1、パートが5人という小さいものだった。
その会社での昼休みはなかった。
弁当を20分ぐらいで食べて、あとは午後の仕事の準備だった。
パートさんが午後1時から作業ができるように、社員が作業場に部品や工具を揃え準備した。
社員40人ぐらいの会社から転職してきた私は、そういうことに吃驚した。
その会社に希望を持って就職した私ですが、半年勤めて絶望を感じた。
社長命令で私は午後、会社を抜けて自動車教習所に通った。
3ヶ月ほどで運転免許証は取れた。
運動神経のない私は、仮免も卒検も1度づつ落ちた。
免許が取れる頃私は、転職を考えていた。
求人チラシに、ある会社の求人があった。
高田馬場に親会社がある、所沢の甲陽電子製作所というところです。
その頃私は所沢の公団住宅に住んでいた。
その会社に、応募したいと電話をかけると面接してくれることになった。
それが、所沢の西武デパートのレストラン街にある店で夜7時からということだった。
そのとき、面接者と私は生ビールを飲んで面接した。
あんな面接はこれまで初めてでしたね。
面接してくれた人は興味深い人でした。
仕事以外のいろんな話をした。
なんとかその会社に採用ということになり、私は川添電子を辞めることにした。
社長は、自動車学校の費用は返せと私にいった。
私は、その金は返した。
その会社も2年後に訪ねたらなかった。
私は、そんな会社ばかりに転職しています。
バカですね。

私は、車の免許は取ってよかったと思っている。
免許があったので軽井沢で暮らすこともできた。
これからも事故を起こさないように、安全運転に心がけたいと思います。


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通勤電車での微妙な想い

2019年08月29日 | 暮らし
8月7日に九想話「電車通勤で思うこと」を書いた。
そのことがあって先週から乗る車両を変えた。
(お盆休みはいいだろう、と思って変えなかった)
8号車から10号車にです。
先週はとうぜん、あの女性には会わなかったのでホッとしていた。
ところが一昨日、川越駅の次の新河岸駅であの女性が私の前に立った。
私は顔の確認はしなかったが、あの体型はゼッタイあの女性だと思った。
(あ・・・、見つかってしまった)
おそらく私が乗る車両を変えてから、必死になって私を探していたのかな、と思う。
やっとふじみ野駅から池袋駅まで坐れる“指定席”を見つけたのに・・・。
私は、重い気持ちになった。
彼女の気持ちは分かるが、毎日彼女に前に立たれるのはつらい。
夕飯のときにそのことを女房に話すと、
「ダメだよ~、変えるなら思いっ切り離れた車両にしなくちゃ。私ならそうするな」
それで昨日、私は4号車に乗り、今日は3号車にした。
東武東上線は、全部で10両車で走っている。
私が以前乗っていた8号車は、前のほうです。
その辺に乗ると、到着駅で上りのエスカレーターがあるのです。
そのために8号車に乗っていた。
3・4号車で降りると階段を登らなくてはなりません。
いや、身体のためにも階段を登ることはいいことでしょう。

しかし、乗る車両を変えると景色も変わり、乗る人間も違う。
駅の階段、エスカレーターの位置で変化があります。
8号車(前のほうの車両)では男性が多かったが、
3・4号車では女性が多いような気がする。
池袋駅で乗り換えなどを考えると、出口の関係などもあるのかな?
現在、東武東上線は地下鉄有楽町線と相互乗り入れをしている。
有楽町線に乗るときのことなんかも関係すると思う。
みなさんそれぞれに、少しでも快適に通勤できるように考えているのでしょう。
女房は、バスで駅まで行って、その駅から有楽町線に直通の電車に乗り、
池袋駅から3つ目の駅で降りて会社に行く。
通勤時間2時間です。
(ですが、全部坐って行けます。しかし、帰りは立ちっぱなしです)
これだけで私は、女房に頭が上がりません。

通勤電車の中の人間を見ていると、いろいろ考えさせられることが多いです。
また、何か思うことがあったら九想話に書きたいと思います。


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「ゆう」という名前

2019年08月28日 | テレビ
現在私は18時15分頃仕事から帰ってきて、洗濯物を片づけたり、ケーナを吹いたりしている。
女房が、19時15分頃にバス停に着くので迎えに行く。
夏の間は、まわりが明るいので女房が迎えに来なくていいという。
女房は、家に帰って夕ご飯の用意をする。
夕飯(おかずをつまみにビールを飲むだけですが)を食べてから、
ダイニングの隣のリビングに行き、
録画してある「おしん」「なつぞら」「やすらぎの郷(刻 道)」を観る。
女房は、ダイニングのテレビで録画したものや好きな番組を楽しむ。
義母も自分の部屋に行き、好きなテレビを観ている。
夕食のときは、同じ番組を観ている3人だが、それが終わるとそれぞれの夜を過ごしている。
義母は、姉妹などから電話がかかってきて話しているときが多い。
女房は、食器を洗ったり(義母も洗ってくれる)明日の食事の準備をしたり、
私と自分の弁当の準備などをしながらテレビを観ている。

「おしん」の子どもは「雄」という。
「なつぞら」のなつの子どもは「優」とおじいちゃんが名付けた。
そして、私の息子は私が「有」と考えて決めた。
それだけのことですが、ドラマで「ゆう」と名付けてくれたことが、なんか私はうれしい。
おしんの子は男の子、なつの子は女の子、私のところは男の子です。
今日の「おしん」では、おしんがケガをして、姑が雄のめんどうをみていた。
「なつぞら」では、優が風邪を引いて熱を出したが、
なつも旦那も仕事があり帰れず、兄の咲太郎が世話をした。
子どもを育てることは大変です。
私は、小学校に入るまでは母親が子どもといたほうがいいという考えです。
だって、その時期に母親が子どもを育てなかったら、そのあとは別々の生活です。
せめて6歳ぐらいまで、母親は子どものそばにいてほしいというのが私の希望です。
できることなら小学校に入るまで、母親は子どもと一緒に毎日を過ごしてほしいです。
いや、いろんな事情で赤ちゃんを保育所に預けなければならない人はいるでしょう。
まさに、作画監督になったなつはそうなんですね。
現実はキビシイですね。


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休肝日

2019年08月27日 | 健康・病気
昨日、女房が突然いう。
「あれどうなったんだっけ?」
「なに?」
「これから酒飲まない日をつくるっていったよね」
「あ・・・休肝日ね」
7月に入ったばかりのときに、
「今日は休肝日にしよう。これから毎週1日は休肝日にする」
と私がいったことがあった。
しかし、そのあと夏風邪を引き、休肝日でなくても飲めない日があった。
風邪は2週間でなんとか治った。
風邪が治ってからそのあとは、毎日アルコールを飲んでいた。
「あ、明日から毎週火曜日を休肝日にする」
そう私は女房にいってしまった。
いわざるをえなかった。
ほんとうなら週2日つくらなくてはいけないのだろうが、まず1日やってみる。
今日は、今のマンション管理員になって1年たった日だった。
去年の8月27日が初出勤日でした。
ほんとうは祝杯をあげたい気持ちなんだけど、我慢ガマン。


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火葬のこと

2019年08月26日 | 健康・病気
今日の「やすらぎの刻 道」で、長男の公一はかっての恋人鮫島紀子の死を知らされる。
結核なので家ごとやく、というそこの集落の人々の意見を聞き、
公一は、普通に荼毘にふしたいと考え、山で木を切ってきてそれを四角に組んで火葬にする。
遺体が焼き上がるまでに三日三晩かかるという。 

私の生まれた茨城県の話になりますが、私が20代のときに友人の父親が亡くなった。
そのときの友人は、私が暮らしていた東京の駒込に住んでいた。
父親が亡くなったことで、長男の友人は茨城に戻ることにした。
私は、友人の父親の葬式に参列した。
その親父さんの遺体は、墓場で焼かれた。
藁の中に棺桶を置いて、その上に藁を積んで火をつけた。
葬式に参列している人たちは、酒を飲みながら遺体が焼けることを待っている。
1時間ごとに組内の人が、遺体の焼け具合を見に行く。
そのときに足などが焼け残っていたら、それを燃えているところに入れるということをしたそうだ。

私は、友人の父親を焼くときに最後までいましたが、夜の11時ぐらいに焼け終わったと思う。
ドラマを観ていて、遺体を焼き上がるまで三日三晩というのは大変だな、と思った。
葬式にそんなに時間をかけられない。
ドラマの舞台の山梨では、丸太を四角に組んで焼いていた。
茨城のように藁で焼けばもっと時間が短縮できるのではないか、と思ってしまった。
今では、あのような火葬は行われていない。


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埼玉知事選

2019年08月25日 | 政治
> 任期満了に伴う埼玉県知事選は25日投開票され、立憲民主、国民民主、共産、
>社民各党の県組織などが支援する元参院議員、大野元裕氏(55)が、自民、公明
>が推薦するスポーツライター、青島健太氏(61)ら4人を破り初当選した。
>投票率は32・31%(前回26・63%)。事実上の与野党一騎打ちを制し、
>今後の野党共闘に弾みが付きそうだ。

私としては、自民、公明が推薦するひとには当選してほしくなかった。
その思いで選挙に行った。
しかし、埼玉の片田舎の私のところでは、選挙ポスター掲示板に2人のポスターしか貼ってない。
たしか5人が立候補しているはずだ。
駅の近くのほうに行くと「N国党」のポスターは貼ってあった。
選挙ポスターを貼るひとも雇えないで立候補したひとがいる。
その方の選挙公報を見てもなんの魅力も感じなかった。
しかし、立候補する情熱は素晴らしい、と思った。
私と同じ60代(65歳の男性と63歳の女性)のひとでした。
それにしても、埼玉県知事選に立候補するあのエネルギーはなんなのだろう。
それはそうとして、投票率が32・31%(前回26・63%)これは哀しい。

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浅間山また噴火

2019年08月25日 | 健康・病気
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/rescuenow/nation/rescuenow-00000008405812
 

>気象庁によると、25日19:28頃、群馬・長野県境の浅間山の山頂火口で噴火が発生し、
>噴煙が火口縁上概ね600mまで上がりました。
>浅間山では、今月7日の22:08頃に約4年2か月ぶりの噴火が発生しており、
>きょうの噴火はこの7日以来となります。

浅間山がまた噴火した。
心配です。

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東松山花火大会

2019年08月24日 | 健康・病気




今年も、東松山の花火を女房と見に行った。
今回は、花火会場までは行かずに、道路沿いで見た。
会場にはうるさい音楽がかかっているのでいやだった。
花火は大好きですね。
いろんなことを考えながら、花火を見ました。
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兵役逃れ

2019年08月22日 | ドラマ
「やすらぎの刻 道」(テレビ朝日 月曜 - 金曜 12:30 - 12:50)を毎日観ている。
(私は毎日録画予約で、「おしん」「なつぞら」とこれをハードディスクに録画しています)
今日は、三平が服毒自殺をしたエピソードをやっていた。
三平は、美大へ行く夢を持っていたが、経済的に行けなく諦めて農業をしていた。
軍事教練のとき、戦争に行きたくない理由を「死ぬのが怖いから」と教官にいってしまう。
そのことで、教官たちから目をつけられひどい扱いを受けるが、
それでも戦争に反対の立場を変えなかった。
赤紙が来て、山に逃げると兄弟たちにいう。
従兄弟の鉄兵は、山に逃げ、そのあと死んだと聞かされていた。
三平は、鉄平は“死んでいない”と思っている。
三平は山に逃げることをみんなに反対され、服毒自殺をする。
そんなことが近所にバレたら大変なので公一(長男)は、
三平は屋根の修理をしていて落ちて死んだことにする。

つらい話です。
私ももしあの時代に生きていたら、戦争には行きたくない。
人を殺すことも、自分が死ぬことも厭だ。
兵役逃れをすることは、現実的に難しいことだろう。
そうだとしたら私は、死ぬしかないと考えるでしょうね。
ホントのところは分からない。
死ぬことも大変です。

さあ、「やすらぎの刻 道」のこれからはどうなるのだろう?
倉本聰の力仕事が楽しみです。



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