雨降る池袋

2001年09月30日 | 友人

久しぶりに旧友と会った。
池袋で待ち合わせた。
飲むところを探して、ふたりで歩いた。
雨が降っている。たくさんの人がいる。
赤信号でとまり、
「この傘、百円だよ」というと、
「おれのもですよ」と彼がいう。
なんか楽しい。

そのむかし、
私が20代の前半、
この街をさまよい歩いた。
映画を観、酒を飲み、友と語った。

歩いているうちに、
ソープランドとかヌード劇場の看板の間に、
「新文芸坐」の看板が見えた。
むかしの「文芸坐」より、
ひとつ奥まったところに、すましたビルがあった。
今の私には縁のない建物になっていた。

酒を飲み、友は職場の情けなさを話す。
私もそれには負けない。
いつしか話題は、所帯を持つ前のことになる。
結ばれなかった女の話になる。
「あの頃、おれは若かったんだなァ」
遠くを見つめて友は話す。
私も、若い頃去っていった女を想う。

雨降る池袋の夜には、そんな話が似合う。

………………………………………………………………………………………………………………………………

9月の九想話

9/1  太る週末
9/2  映画「大河の一滴」
9/3  息子がいない
9/4  酒びたり
9/5  本日休業
9/6  息子についての訂正
9/7  ひとり旅(東北)
9/8  山田太一スペシャル
9/9  東由多加
9/10 楽家のNちゃん
9/11 アメリカで同時テロ
9/12 暗い1日
9/13 ひとり旅(四国)
9/14 次の標的
9/15 ユースホステル
9/16 67歳の誕生日
9/17 「インターネット的」読了
9/18 イヤな上司
9/19 さよならロウルデス
9/20 懐かしのタオル
9/21 アディオス トゥリアーナ
9/22 銀座合同オフ
9/23 いきなりの秋
9/24 九想庵旅人2000人
9/25 ケーナとの出会い
9/26 中高年の再就職
9/27 はんすう
9/28 さっそく反省
9/29 フラメンコの集い
9/30 雨降る池袋

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フラメンコの集い

2001年09月29日 | Weblog

先週の「銀座合同オフ フラメンコ舞踊団」で、
カンテとギターをやってくれたひとたちの
関わっているフラメンコ教室の小さな発表会が、
国立のあるスタジオであった。
女房は、それに行く予定だった。

本日、私は、午前中は蒲団の中にいた。
疲労困憊で起きられなかった。
午後1時頃起きだし、飯を食べた。
女房が、新しいフラメンコ教室の練習を撮ったものと、
「銀座合同オフ」に踊ったビデオをダビングしたいというので、
ビデオカメラとビデオデッキをつなぎ、
「こうやると、ダビングできるよ」と教えた。

うちのがダビング作業をしていて、
それを見守りながら私は、新聞を読んでいた。
そのとき女房のケータイが鳴った。
カンテ(歌)をやったTさんからだった。
「旦那も来て、ケーナを吹いてくれないか」
という誘いの電話だった。
どうも、ギターで伴奏をしてくれた
Nさんの希望だったようだ。
そういう誘いを受けて、私が行かないわけがない。

私たちが国立に行くには、ちょっとめんどくさい。
西武新宿線で3つ目の東村山駅で乗り換え、
国分寺駅まで出る。
そこで中央線に乗り換え、2つ目が国立駅だ。
国立駅からバスに乗り、発表会の行われるスタジオに行く。
そこは、陸の孤島といってもいいような、住宅街だった。
たどり着くと女性たちが20人ほどいた。
男は、ゲストのセミプロのカンテをうたうひとと
ギターのNさんと私の3人だけだった。

7時過ぎ、Tさん、Nさんの演奏が始まった。
1部と2部があり、それがあっという間に終わった。
それからは打ち上げということで、
料理を食べ、ビール、ワインを飲む宴会になった。
私の紹介があり、私はケーナをとりだした。
Nさんと軽い打ち合わせをして、吹き始めた。
「風とケーナのバラード」をひとりで吹き、
そのあと、Nさんの伴奏で、
「コンドルは飛んで行く」「花祭り」「朝日のあたる家」
をやった。
これは、先週オフで吹いた曲です。
しかし、今週はケーナを練習していなかった。
もう当分ケーナを吹くことはないだろうと、
思っていたからです。
練習してないとだめですね。
だんだん、ケーナの音が出なくなった。
悲惨なものでした。

私が終わると、そこにいる人たちの食欲がざわめいた。
めいめいが勝手な話をし、スタジオが大宴会場になった。
私は、Nさんにフラメンコギターについて質問した。
そして弾き方を教わった。
少し弾いてみると、フラメンコらしく聴こえた。
教則本を買って全然練習してなかったが、
これからやってみようかな、と思った。
昨日はブルースで、今日がフラメンコだ。
まったくいい加減な私です。

そのうち見に来ていたひとたちが踊った。
みなそこの教室の練習生たちだった。
女性たちがかわるがわる踊った。
フラメンコの底辺は広いな、と思った。
それぞれ、日常生活ではいろんな苦労があると思う。
それを今日は投げ捨てて、フラメンコに狂っていた。
人間、何かをやっているってステキだな、と思った。
そのうち女房も誘われ踊った。
楽しそうに踊っていた。

帰りが大変だった。
バスはなくなり、タクシーもなかなか来ないので、
国立に行くことを断念し、おまわりさんに訊き、
歩いて20分ほどの南部線の分倍河原駅に行った。
そこで一駅先の府中本町まで行き、武蔵野線に乗り換えた。
待ち時間が多く、結局家に着いたのが午前1時だった。
なんとか、タクシーを使わず家に帰れたのはよかった。
今日も疲れました。

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さっそく反省

2001年09月28日 | 友人

今、5時20分(9/29)に目が覚めた。
テレビの前に寝ていた。
毛布が掛けてあった。
季節ですね。寒かった。
秋なのを実感する。

昨日(9/28)、7時頃に楽家に行った。
Sさんから「祝2000人、こんどオフしましょう」
というメールがあり、
私は「女房がいない金曜日に楽家に行きます」
とメールを返していた。
ところが昨日女房は家にいた。
メールに「行く」と書いたので、
晩飯はあったけど楽家に行った。

昨日も盛り上がりました。
なんの話をしたかな…。
「ゲソとエンペラのにんにく焼き」
(エンペラってイカの“耳”じゃないけど
 三角のところをいうんですね)
というのを私は最初に注文した。
するとSさんが、
「ジョン・ローンですか。ラストエンペラーですね」
なんていう。
「おお、うまいダジャレですね。
 おれも今週、『タリバン』でなにか
 ダジャレがないかなと仕事中考えていて見つけました。
 なにしろ単調な肉体労働なもんで、
 そんなこと考えてないとやってられないんですよ。
 この曲、誰のか分かりますか?」
といってから、ある曲をハミングした。
「ギルバート・オサリバン」
マスターがいう。
「そう、ギルバート・オタリバン」

S根さんが来て、アウトドアーの話になった。
Sさんも先週家族でキャンプに行ったアウトドアー派だ。
実は、銀座合同オフには
Sさんにケーナの伴奏をお願いしたが、
「キャンプに行くので出来ませんね」
といわれていた。
私は10年ほどまえキャンプをしたことを話した。
「最近は、普通の暮らしをキャンプ場に持って行くでしょう。
 さも、それが自慢げにいろんな道具を買って」
「そうなんですよ。この前なんて、
 オート・キャンプ場で
 電気釜を使ってご飯を炊いてましたよ」
そんな話を聞いて、私はオート(嘔吐)したくなった。
(ああ…、ダジャレは、
 「ほぼ日」のガンジーさんに負けるな)
「キャンプなら飯ごうだろう」
そう私は、反抗したい。

そのあと、テロで手をあげたアメリカの
手の降ろし方を憂い、
それからの話題は覚えていない。

11時前だったか、
Sさんと私は楽家を出た。
Sさんの事務所に行き、ギターを弾いた。
ブルースのEから始まる
オープンコードの弾き方を教わった。
むずかしいけど、練習すればできそうだ。
それから、Sさんの行きつけの近くの飲み屋に行った。
カウンターのうしろにLPレコードが沢山ある店だった。
「60年代、70年代のレコードならかなりありますよ」
とSさんがいう。
「サイモン&ガーファンクルの
 『コンドルが飛んで行く』ありますか」
と私がいうと、マスターが探してかけてくれた。
うれしかった。懐かしかった。

しばらくすると、
楽家にいたK池さんとみっちゃんが来た。
K池さんとは楽家で、
藤沢周平について話していた。
みっちゃんは私より年上だが、
許可を得たので今日からは「みっちゃん」と呼ぶ。
話の成り行きで、
「こんど、ここでSさんとおれとで、ライブをしよう」
なんていうことになった。
マジな話、できたら楽しい。
Sさんの友人でボーカルのうまいひとがいるという。

そんなこんなで、家に着いたのが午前2時ごろだった。
1週間寝不足つづきの私は、
不覚にもテレビの前で寝てしまいました。
これを28日の九想話とします。_●_

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はんすう

2001年09月27日 | テレビ

漢字で書くと「反芻」です。
ものごとを反芻するということは
私の好きなことです。
いつも私は、くどいほどこの行為をしている。
いいことでも、わるいことでもです。
私の場合、たいがい、
「はんすう」が「はんせい」になる。
学習能力がなくて、
その反省が次ぎに生かされない。
そしてまた、反省になる。

いや、今日書こうと思ったことは、
私の反省話ではない。
牛の“共食い”のことです。

9/26の朝日新聞の第3社会面に、
「骨肉粉業者 全面禁止に反対」
という記事があった。
私はこの記事を読んで、
(エッ、日本でも家畜に骨肉粉を食べさせてんだ)
と驚いた。
これ、私が無知だからですかね。
みなさん知ってました。
「リサイクルが途切れれば、
 日本の畜産業が成り立たなくなる」
と、日本畜産副産物協会の会長が
記者会見で話したと書いてある。
牛に牛の骨肉粉を食べさせることが
リサイクルなんですかね。
リサイクルには違いないけど、
私には“共食い”じゃないかとしか思えない。

今回の日本での狂牛病騒ぎ、
農水省の対応を笑ってしまうが、深刻な問題です。
牛は、反芻してものを食べる。
消化困難な植物性食物を常食としているからです。
栄養豊富な骨肉粉を食べると、
反芻は必要でなくなってしまうのかな。
そうしたら牛の、ものを食べるという
システムが壊れてしまうのではないかと思う。
生物の、ものを食べるという行為は、
基本的なものだ。
それが変わったら、牛の脳にもなにかの変化が…。
あ、これは無知な九想の勝手な想像です。
やっぱり、牛には消化困難な植物性食物を
食べさせた方がいいのじゃないか。
牛には充分「はんすう」させたほうがいい。
私は、「はんせい」します。

9/29記
骨肉粉を飼料に使っても、
それが全部というわけではないですよね。
牧草に混ぜるんでしょうね。
それでも、反芻は少なくなるのでしょうね。

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中高年の再就職

2001年09月26日 | テレビ

昨日(9/25)のETV2001(NHK教育 午後10時)を観た。
「失業・再就職できますか」
中高年の苦戦▽家族の激励▽面接の日
というものだった。
失業中で再就職活動をしている
50歳と53歳の2人のひとを
取材したものを放送していた。

50歳のひとは、大手メーカーの営業課長をしていたが、
リストラで退職。
東京キャリア交流プラザというところで就職活動をしていた。
ここは4、50代の管理職180人ほどの
求人情報を持っている。
ある会社に面接に行った。
収入は2割ほど下がるが、
仕事内容は満足できるところだった。
しかし、単身赴任が条件だった。
それでそのひとは悩む。
前の会社で出張が多かったので、
これからは東京で暮らしたいというのが希望だった。

53歳のひとは、英語教材販売会社の営業部長をしていたが、
去年会社が閉鎖して職を失った。
新聞の求人広告で、面接してくれる会社を見つけた。
そこは、古銭を販売している小さな会社だったが、
前の会社の経験が活かせそうなので、
そのひとはなんとか入りたかったが、
結果は、「今回は…」ということだった。
奥さんにそのことを話す姿が寂しそうだった。
「いつかいい会社が見つかるわよ」
と奥さんもいっていたが、辛そうだった。

大変です、中高年の再就職は。
私も7月にハローワークに行ったのですが、
希望にかなう会社がないですね。
私の場合、これまで積んだキャリアのある仕事は、
資材購買か生産管理ですが、
職安のパソコンで検索すると、
そんな職種を募集している会社はない。
「年齢49歳」「勤務地東京埼玉」
この2つだけ入力し検索してみたのですが、
求人しているところは、かなりあるけど、
職種は、倉庫番、警備員、
トラックの運転手やタクシードライバーなどで
月給は20万前後ぐらいです。
これなら現在の会社にいるしかないと
自分を納得させました。

これから失業者が増えてくるでしょうから、
中高年の再就職はもっと困難になりますね。

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ケーナとの出会い

2001年09月25日 | 音楽

私が高校3年のとき、
サイモンとガーファンクルの
「明日に架ける橋」というLPが出た。
その中に、「コンドルは飛んで行く」という曲があり、
その曲のバックに流れる笛の音が好きだった。
しかし、それがどんな笛か分からない。
そのうちケーナというアンデスの笛ということが分かった。

東京で暮らすようになって、
ある日お茶の水の楽器屋を覗いていたら、
ガラスケースの中に、憧れていたケーナがあった。
40センチほどの葦の茎にただ穴が開いているものだった。
葦といっても、中南米のものは竹のように硬い。
音を出す原理は、日本の尺八と同じで、
息を吹き込むところに、U字型の切れ込みがあるだけです。
7000円だったかな。
その頃の私にとって(今もか)大金でしたが、すぐ買った。
買ってはみたけれど、吹き方が分からない。
音はすぐ出たが、指使いが分からない。
本屋で「中南米音楽」という雑誌を見ていたら、
ケーナの吹き方を書いてある特集があった。
それを読んで、あとは自己流で気ままに覚えた。

アントニオ・パントーハというケーナ奏者がいる。
私はこの人の素朴なケーナが好きで、
コピーしました。
今でも私の吹く「コンドルは飛んで行く」は、
この人の吹き方を真似している。
キーがAmで吹きやすい。
もう1人、ウニャ・ラモスというケーナ奏者も好きで、
来日したときコンサートに聴きに行った。
この人が、私が憧れたサイモンとガーファンクルの
「コンドルは飛んで行く」の
バックのケーナを吹いていた人でした。
(たしか私の記憶では)
この人のテクニックはすごくて、
気ままにケーナを吹いている私には真似が出来ない。

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九想庵旅人2000人

2001年09月24日 | パソコン・スマホ

あくまでもアクセスカウンターの数字です。
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」にも
「九想話」はUPしているので
そこで読んでくれる人がいますから、
2000人は超えていると考えていいと、
自分を納得させています。
この2000人のうち、
私は何回ぐらい旅人になっているのだろう。
なにしろ、私は毎日更新するたびに、
リンクなどがうまく出来てるかどうか確認するために、
九想庵を訪ねている。
そのたびに、いろり端(掲示板)を覗くのですが、
談笑している旅人はだいたいいなくて、
1人で上がり込んで、独り言を呟いている。
(とらとらさん、酒居さん、ありがとう。
 今のところお二人が頼りです)

でも、毎日10人前後の旅人が来てくれるのが、
ありがたい。
立ち上げてから、
毎日アクセスカウンターの数字を記録しています。
1日2人というときがあった。
しかし、世間に無数にあるホームページの中で、
わざわざ九想庵を訪ねてくれたんだ、と思うと、
毎日「九想話」を書かなければ、と決意をあらたにします。
正直いいますと、毎日書くことないのです。
こういうことを書こうと、それなりに考えているのですが、
気持ちがのらないと書けません。
気分が上がるまで家の中うろうろしたり、
台所の換気扇の下で煙草を吸ったり、
(おれは何をしているのだろう)
と可笑しくなるときがしょっちゅうです。

ある「九想話」に、
1人の方からメールが来たことがありました。
「分かりもしないこと、書くな」
というような内容でした。
あのときは落ち込んだな。
その方に自分なりの考えをメールしたのですが、
返事は来なかった。さびしかった。
それでも、あの「九想話」で、
不愉快になった人がいたという事実がありますので、
それは説明を付けて、削除しました。
インターネットで自分の考えを公表することは、
責任あることなんだな、とあらためて思った。

「九想話」がいい、というメールも、
2人の方からいただいた。
これはとてもうれしかった。

いろいろなことがこの半年でありました。
九想庵を立ち上げてよかったと思っています。
これからも一所懸命更新します。
よろしくお願い致します。

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いきなりの秋

2001年09月23日 | Weblog

この2、3日の気温はどうしたというのだ。
いくら「暑さ寒さも彼岸まで」だからって、
こうこれみよがしに涼しくならなくても、
よさそうなものです。

これまで暑さで浮かれていたわけではないですが、
アメリカでのテロ事件以後、
「報復」だ「戦争」だと、
なんだか世界がきな臭い。
自分の暮らしだけでも
充分落ち込んでいるのに、
世の中がこんなふうでは困ってしまう。
これから失業者もあふれてくるだろう。
年末に向かって日本は、アメリカは、世界は、
どうなってしまうのだろう。

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銀座合同オフ

2001年09月22日 | Weblog

今日は、待ちに待った「銀座合同オフ」です。
いつも休日には寝坊する私たちも、
8時前には起きてしまった。
女房が、フラメンコをビデオに撮りたいと
いきなりいうので、
ちゃんと作動するかどうか確認した。
なにしろ、息子たちが幼稚園の頃に買ったもので、
ここ4、5年電源を入れてない。
うまく動くことが分かったので、
持っていくことにした。

所沢駅に着いたら、
銀座まで直通で行く地下鉄が来ていたので乗った。
ずーっと坐って銀座まで行けるのはいいが、遠かった。

11時15分ほどに「朝日ネット銀座スタジオ」
に着くと、何人かの人がオフの準備をしていた。
私はただ、おしゃべりをしていた。
12時20分ぐらいにみみさんの挨拶で
「銀座合同オフ」が始まった。
ASAHIネットの会長、社長、
各モデレーターの挨拶がすんでから、参加者の挨拶。
全部で30名はいたのか、
その後はただ酒を飲むおしゃべり大会になった。
何時頃か、
「わいわい雑俳塾」の8月の結果が発表になり、
私はなんと、賞品がもらえない4位だった。
会場は煙草が吸えないので、私は1階に上がり
外に煙草を吸いに行くと、
女房たちがフラメンコの練習をしていた。
2時半、机が片づけられステージが作られた。
3時20分前、前座の私がまずケーナを吹いた。
「コンドルは飛んで行く」を吹き終わっても、
フラメンコ“娘”たちが来ない。
ギターを弾く人に入ってもらって、
伴奏をお願いした。2曲ほど吹き終わったら、
フラメンコの準備が出来て、
いよいよ「銀座合同オフ フラメンコ舞踊団」
の踊りが始まった。
女房は、トゥリアーナの仲間と最後の踊りを
のびのび踊っていた。
フラメンコが終わり、全員の撮影をし、
そのあとは“勝手に飲め、話せ”の世界に突入。
会場の片づけを終え、スタジオを出たのが5時前頃か。
どこかでお茶でも飲もうと探したが、
どこも、帰りそびれた13人が坐れるところがなく、
解散となった。

私は、もくさんご夫婦が
所沢のきょうだいのところに泊まるというので、
一緒に帰った。
それで当然、もくさんと私は「楽家」へ行った。

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アディオス トゥリアーナ

2001年09月21日 | 家族

女房が今夜で、
フラメンコを習っていた
スタジオ・トゥリアーナをやめた。
5年いました。
理由は、お金がない、それだけです。
あんなに夢中になっていたのに。
口を開けば、
「トゥリアーナでね、トゥリアーナはね」と、
トゥリアーナがなければ夜も明けない状態だったのに。
公演の前の数週間は、
週に4、5日スタジオに行っていた。
何にもないときでも、週に2日は練習していた。
この前、九想話にも書いたけど、
スタジオのドアノブが壊れていて、
私まで直しに行ったことがあるトゥリアーナ。
トゥリアーナのホームページまで作ったのに、
あれはどうするんだ。
削除するほかないだろうな。

年に1度の公演に10万円かかるという。
ああ…、あいつはそれを、私に内緒にしていた。
でも、それを知っていたら、
私は黙って女房にフラメンコをやらせていたか。
毎月の月謝だっておそらく2万以上はかかっている。
はっきりとした金額を女房は私にいわない。
つよく訊かない私も私だ。
いや、私としては、
やっと見つけた好きなことに夢中になっている
女房を見ているのがよかった。
それに女房も働いている。
あいつの稼いだ金の使い道をとやかくいえない。
それにしても、習い事は金がかかる、といいますが、
すごいですね。
知らなかった私が、アホなのかな。

考えれば、私にそれなりの収入があれば、
続けさせられるのに、情けない。
私立大学に息子を2人通わせるだけでも、
今の私の稼ぎでは難しい。

でも、安心して下さい(ダレモ シンパイ シテナイヨ)。
あいつはフラメンコはやめません。
所沢に見つけたところに来週から行くのです。
トゥリアーナは公演のとき、
カンテ(歌)とギターはスペイン人を使う。
それは先生のプライドというかポリシーらしい。
だから、費用が高くなってしまう。
こんど行くところは、全部日本人でやるそうです。
そこの先生に、女房はこれまでカンテを習っていた。
こんどからは踊りも習うことになった。
練習場は、家から7、8分のところです。

明日、ASAHIネットの4つの会議室の合同オフが、
銀座朝日ネットスタジオで開かれる。
私がいつも女房のフラメンコのことを書いているので、
踊ってもらえないか、と誘いがあり、
トゥリアーナの仲間と3人で踊ることになった。
ギターもカンテも入り、本格的フラメンコ舞踊団です。
最後にトゥリアーナの仲間と踊れることを
女房はよろこんでいる。

明日、私は酔っぱらってしまうでしょう。
オフが終わってから2次会、3次会…。
九想話を書けるかどうか…。おそらく…。

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