昼寝の効用

2005年09月30日 | 健康・病気

NHK教育テレビの「きょうの健康」をたまたま観たら、
「昼寝の効用」というのをやっていた。
ある高校では昼寝室(?)というのがあって、
昼寝がしたい生徒はできるらしい。
そしてアンケートをとると、昼寝をした生徒のほうが、
午後の授業を集中して受けられるという結果が出た。
昼寝は15分ぐらいがいいらしい。

私は、10年以上前から会社の昼休みに寝ていた。
現在も昼飯を食べてから横になるようにしている。
春秋冬は車の中で寝ているが、
夏は作業所の床にダンボールを敷いて寝ている。
私は、どんな場所や環境でも眠れます。
20分は横にならないと午後仕事にならない。
(といっても午前中の数量の確認や、
 午後の仕事の準備のため寝られないときもある)

九想庵を立ち上げて毎日九想話を書くようになってから、
夜の睡眠時間は、とれても4、5 時間です。
こんな暮らしを続ける私には、昼寝はかかせません。
昼に10分熟睡すれば、
夜の睡眠時間が少なくても私は生きていけます。
(休日の午後は1時から5時頃までねてしまうのですが)

最近、昼寝がいい、ということを、
ラジオやテレビでよく聴く。
これまで実践してきた私は、声を大にして勧めたい。
昼寝はいいですよ。
でもみなさん、ダンボールで寝ている我が身を思うと、
ちょっと惨めな気持ちになりますね。
(数年後の私の生活を暗示している)
しかし、ケータイの目覚まし時計をセットして、
目をつぶるときは幸せです。

………………………………………………………………………………

9月の九想話

9/1  阪神は勝ったか?
9/2  心霊写真?
9/3  水無月稽古場公演
9/4  激しい雨
9/5  神経症
9/6  テレサ・テン
9/7  パソコンの不調
9/8  監督で負けた
9/8  1年前
9/9  最悪な日
9/11 9.11ショック
9/12 どすこい大相撲日記
9/13 痩せる
9/15 パソコンの修復
9/16 アッくんのバンザイ
9/18 泥酔
9/18 十五夜は満月?
9/18 親子の別れ
9/19 エンジンルームの異音
9/20 修理を待ちながら 1
9/21 修理を待ちながら 2
9/22 ヨンさま
9/23 イネコキ
9/25 久しぶりのタクシー
9/26 野口みずき
9/27 最後のお酒
9/28 図書館
9/29 車上荒らし
9/30 昼寝の効用

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車上荒らし

2005年09月29日 | 健康・病気

今日は仕事が休みでのんびり家にいると、
10時過ぎ、ケータイのメールのメロディがなった。
見ると、施設長からだった。

志木のワゴン車が車上荒らしにあい、
サイドガラスが割られていた。
修理に出したが1日で直らなければ、明日は…。
という内容だった。

あの辺で最近、「注意! 車上荒らし多し」
という看板が目についた。
そんなこといわれてたって注意しようもない。

まさかうちの車が被害を受けるとは。
ガラスが黒く中が見えないから
犯人に何かあると期待させてしまったのかな。
車の中は何にもない。
作業所の車を狙うなんて、犯人もバカだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館

2005年09月28日 | 健康・病気

貧しい私は基本的に本は買わない(カエナイ)。
買えないこともないが、
読み終わった本を置く場所がない。
(といっても年に5、6冊は買う)
読む本は、ほとんど図書館で借りています。
読書量が少ないのでこれで十分だ。

今日、仕事を終えて家に帰ってから
いつもの整形外科に行った。
腰痛の治療のためです。2階で電気治療をして、
1階でマッサージの治療を待っているとき、
置いてあった読売新聞を読んだ。
私は新聞を取ってないので、
喉の渇きをいやすように手に取る。

24時間貸し出ししている図書館のことが書いてあった。
IDカードで図書館に入れ(夜間は無人のようです)、
そのカードで本、ビデオなどが借りられる。
うらやましい。


私のいつも利用する所沢図書館本館は5時で閉館だ。
(火曜日は、書籍だけ午後7時まで借りられる。
 7、8、9月は午後8時まで)
24時間とはいわないが、
せめて毎日午後9時ぐらいまでは開いていて欲しい。
勤め人は昼間は行けない。
図書館が夜開館していないのでは利用できない。
平日の昼間、図書館を利用しているのは、
お年寄り、主婦、学生や児童です。
働き盛りの男たちだって図書館を利用したいはずだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後のお酒

2005年09月27日 | 健康・病気

テレビで「知るを楽しむ・私のこだわり人物伝
『志ん生・最後のお酒』」(NKHK教育 22:25~)を観た。
今夜は、山本晋也が志ん生の長女美津子さんから、
志ん生のエピソードをいろいろ聞いていた。

「満州に行ったらお酒もあるし、空襲もない。行ったら?」
という美津子さんのすすめで満州に渡ったという
志ん生の、“空白の600日”。
その頃、志ん生は死にたいと思っていたらしい。
ある日、ウォッカを3本もらった。
「2本飲めば死ぬ」と聞いた志ん生は、
生きていてもしょうがないから飲んで死のう、
でも残すのももったいないから全部飲もうと、
3本全部飲んじゃった。
そしたら三日三晩寝て目が覚めた。そのとき、
「1本とっておけばよかった」といったらしい。

奥さんが亡くなったときは呆然として
涙も流さなかった志ん生。
葬式が終わった翌日、桂文楽が死んだ。
それをテレビで知ったとき志ん生は
「みんなおれより先に死んでしまう」と号泣したらしい。
志ん生と文楽が親友だったということを初めて私は知った。
私は、人間としては志ん生が面白いが、
噺は文楽のほうが好きです。
(しかし、文楽を何年も聴いてないな。
 CD は持ってないし、テレビでもやらない)

晩年、美津子さんは、酒が飲みたいという志ん生に、
水で薄めた酒を飲ませていた。
「この頃の酒は水っぽいね」と志ん生にいわれても、
悲しかったけれど体のことを考えて水で薄めていた。
ある日、可哀想で薄めない酒をだしたら、
「酒はやっぱりうまいなあ」といって眠ってしまった。
次の日、おしめを交換しようとしたら、
肌が少し冷たかった。
医者を呼んだら、亡くなっていたそうだ。
まったく苦しまないで死んだらしい。
最後の酒を水で薄めなくてよかった、
と美津子さんはいっていた。

最後の酒か…。
私もできたらうまい酒を飲んで死にたいものです。

-----------------------------------------------

メモをとらないで番組を観ていました。
観ていた方で「それは違うよ」ということがありましたら、
指摘して下さい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野口みずき

2005年09月26日 | 健康・病気

昨夜、ベルリンマラソンをテレビで観た。
野口みずきが2時間19分12秒の日本新記録で優勝した。
これには感動しましたね。
たいがいテレビ番組のキャッチコピーにあることは、
観ているうちに崩れ去っていく。
昨日も「日本記録に挑戦!」とかの文句がテレビ画面の
右上にずうっと出ていた。
でもこの150cmの小柄な27歳の女性は、
問題なく日本記録を達成した。

「走った距離は裏切らない」
マラソン中継の中でこの野口みずきの言葉は、
何回もいわれていた。
いい言葉ですね。その通りだと思った。
練習をやるだけやった、という自信に裏打ちされた言葉だ。

私にこういえることがあっただろうか?
自慢じゃないが一つもない。
勉強と努力が似合わない九想にあるわけない。
こういえる野口みずきは素晴らしい。

昨日、マラソンを観ていて心から野口みずきを応援していた。
そして(おれも走らなければだめだ)と思った。
と書いたけど、別にマラソンをやるのではありません。
私は、これからの人生で、
「走った距離は裏切らない」といえるだけの
ことをしなければならない、と気づいた(オソイ)。
死ぬ間際になって自分の人生を後悔しないために、
“走ろう”と思う。
私は“走らなければ”ならない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりのタクシー

2005年09月25日 | 健康・病気

昨夜は九想話を書けなかった。
これはあいかわらず、私の酒のせいです。
かなり反省しています。

昨日、仕事が終わって職員会議のあと酒を飲んだ。
場所は上福岡の「江戸切りそば 英」というそば屋です。
ジャズがBGMに流れているいい雰囲気のそば屋だった。
そこで飲んだ「獺祭(だっさい)」という酒がまずかった。
いや、酒の味は最高といっていいくらい美味しかった。
だから何杯も飲んでしまい“まずかった”。
これから獺祭があったら必ず飲もうと思っています。
ほんとうにうまい酒だった。

何時頃上福岡駅で電車に乗ったのだろう。
朝霞台駅で、東武東上線から武蔵野線に乗り換え
所沢に帰るつもりだった。
ところが目が覚めたら池袋だった。
しかたなしに西武池袋線に乗って帰ろうとしたら、
保谷駅止まりだった。
平日ならまだ所沢までの電車はある時刻(12時半頃)なのに、
土曜日なのでそれが最終だった。

保谷駅で降りると雨が降っていた。
私は傘をさして歩き始めた。
所沢まで歩いて帰ろうと思った。
年収300万ちょっとの私なんかタクシーなど乗れない。
私だって45歳までは年収600万はあったんだけどな…。
酔っぱらって歩くのはわるくない。

女房にケータイでそのときのいきさつをメールする。
「タクシーで帰ってきなよ」とすぐ返事がくる。
(そりゃおれだってこんな真夜中に歩きたくない。
 50過ぎてタクシーも乗れない年収の仕事を
 おれはしているのだ)
などと、うだうだ考えながらとぼとぼ歩いた。
こんなことだったらiPodでも持ってくるんだったな。

そのうち雨が上がった。
少しの間、線路を歩いた。
枕木と歩幅が合わなかった。
砂利がごつごつして歩きずらかった。
道路に戻る。
車は少なかったが、タクシーが何台も通り過ぎていく。
それも空車が多かった。
へんだとは考えたが、気にしなかった。
「道を知っていれば車で迎えに行くんだけど」
などと女房からメールが来る。
「危ないからいいよ。歩いて行くよ」

駅が見えた。大泉学園駅らしい。
保谷と大泉学園との位置関係はどうだったっけ?
酔っている私はかまわず歩いた。
しかし、さすがにこの年になると足が疲れた。
1時間も歩いていると足が動かなくなってきた。
24、5のとき川越から東京まで
5時間ほどで歩いたことがある。

財布には6,000円しかない。
おそらくタクシーで行くと所沢までは足りない。
でも、もう限界だった。タクシーを停めた。
「所沢までお願いします」とドライバーにいうと、
「お客さん、反対の方向に歩いてましたね」という。
バカだった。私は東京方面に向かって歩いていたのだ。
それから運転手にタクシーを乗るまでのことを話した。

「おれも、タクシードライバーに
 なろうとしたときがあったんです」
そんなことをつい話してしまった。
45歳で会社がなくなり、
就職できなかったらタクシーに乗ろうと思っていた。
しかし、どう考えても運転のへたな私がなれるはずがない。
幸いにも会社に就職できた。
そんなことをしゃべると、運転手は、
「私も1年半ほど無職のときがありました。
 あのときは辛かったな」といった。

タクシーに乗るとき、ドライバーの顔をちょっと見た。
無精髭をはやしていたが、40代ぐらいだった。
やさしい目をしていたのが印象的だった。
くわしいことを訊くのはわるいので自分のことを話した。
「そのとき入った会社が、51 のとき閉鎖しましてね」
「それは、どうも…、大変だったですね」
「親会社の都合なんです。会社ごとリストラですよ」
「そんなこともあるんですね」
「今は、縁があって知的障害者と一緒に働いています」
「そうですか」
それから私は、ダウン症、自閉症などのことを話した。

メーターを見ると、5,000円を越えていた。
まわりを見ると東村山だった(所沢の隣の市です)。
「運転手さん、おれ今6,000円しか持ってないんです。
 この辺から歩いていきますから降ろして下さい」
「いいですよ。これから所沢までまだありますよ。
 気にしないで下さい」

「運転手さんは、インターネットはやりますか?」
「やりたいんですが、難しそうで…」
「おれは九想庵というサイトを持っていて
 毎日、クソ話を書いているんです。
 今日は、あなたのこと書かせてもらいます」

けっきょく、タクシーは新所沢の団地まで行ってくれた。
私は財布から5,000円札と1,000円札を運転手に渡した。
「申し訳ないです。お世話になりました。楽しかったです」
「私もです」

電車に乗り過ごして池袋まで行ったときは自己嫌悪。
保谷駅で電車がないことを知ったときは西武鉄道を呪ったが、
そのお陰で、心やさしいタクシードライバーに出会えた。
こんなことは人生で滅多にないと思う。
タクシーを降りたときのメーターは、7,840円だった。
1,840円は運転手が自腹を切るのだろうか。
こんなことがあると、人生まんざらでもないと思う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イネコキ

2005年09月23日 | 健康・病気

足踏みの音の疲れし脱穀機   松倉ゆずる

9月22日の「増殖する俳句歳時記
に紹介された句です。
この句の「音の疲れし」がうまい表現だなと思った。
イネコキは、最初は重いがドラムが回り始めると、
あとは足を踏むタイミングさえはずさなければ、
けっこう楽に動いてくれる。
それでも長時間はたいへんだ。。
この句は、秋の夕暮れのころを詠んだ句か。
一日、イネコキを踏み続ければさすがに疲れてしまう。

ところで、この句の紹介文に載っていた絵に私は驚いた。
このイラストのミノル式イネコキは、
うちにあったものと同じなのです。
私は、2002年1月29日の九想話「足踏み脱穀機」に
実家にあったイネコキの写真を載せました。
見比べてください。まったく同じです。

こんなふうにして、懐かしいものと出会うのは嬉しいですね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨンさま

2005年09月22日 | 健康・病気

昨日、なんの間違いか「四月の雪」という映画を観てしまった。
私としたことが、軽はずみでした。
53歳にもなったら自分の行動に、
“知性”とか“誇り”を持たなくてはいけませんね。
いくら誰にも負けないミーハーと自認しているとはいえ…。
穴があったら、いや、
なかったら自分で穴を掘ってでも入りたい気持ちです。

昨日、私は仕事がオフでした。
朝、ふと映画を観たいなと思った。
ネットでパルコの映画館では何をやっているだろう?
と見てみると、これといって観たいものがなかった。
しかし、「毎週水曜日は入場料\1000」というのが目に入った。
1,000円なら行ってみよう、と思った。

現在、パルコの「Let'sシネパーク」では、
「『恋する韓流』シネマセレクション」という企画をやっていて、
「誰にも秘密がある」「甘い人生」「スキャンダル」
という映画を順次やっていた。
「スキャンダル」という韓国映画のあらすじを読むと、
観てみたいと思った。

いざ行ってみると、「スキャンダル」は24日からだった。
「甘い人生」の隣で「四月の雪」をやっていた。
もう1つは「チャーリーとチョコレート工場」という映画だった。
ここまで来ると引き下がれない私です。
悩んだあげく、ヨンさまの「四月の雪」に入ってしまった。

今思えば、節操のない自分の行動に自己嫌悪です。
水曜日、平日です。満員ではなかったが、
そこそこ席は埋まっていた。
おばさん、いや、おばさま、
もとへ、“うつくしい”女性たちが多いとは思ったが、
映画が終わって明るくなって外に出るとき気づいた。
男は私ひとりでした。

ラジオで映画評論家の今野雄二がこの映画を紹介していた。
ストーリーはある映画の焼き直し、
ペ・ヨンジュン主演だから紹介しただけです。
そんなことを前日聴いていたのに、観てしまった。
スクリーンの中には「冬のソナタ」のまんまの
“清楚な”ヨンさまがいました。
それでいいんですね。
映画を観ているおばさまたちがうっとり幸せでしたら。

「千円返せ~」
いえ、私がアホなんです。学習しなくては…。

さっきペ・ヨンジュンのオフィシャルサイトを見たら、
掲示板に参加するのに800円の登録料がかかるとあった。
「いろり端」で金をとったら誰もこないだろうな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修理を待ちながら 2

2005年09月21日 | 健康・病気

訊くと、3代目の前職はパン工場でパンを作っていたという。
工場のラインの一部になり、
毎日パンを作っていることが嫌になり、営業マンになったらしい。
「車売れてるの?」と訊くと、「売れないですね」という。
「ホンダにこれだ、という車種もないですから」
「他のメーカーに行っちゃうのかな」
「そうですね。でも9月は半期の締めなので
 売らないといけないんです」
「いや、おれはダメだよ。金ないから今のを長く乗るんだから」
「分かってます」
そうはっきりいわれると、ちょっと寂しい。

去年まで車の営業マンは、駐車場に停めてある車を見て、
車検がいつまでとか調べて、営業活動していた。ところが、
個人情報保護法によりそれをやってはいけなくなった。
「営業もやりずらいですよ。店で待ってるしかないんです。
 まっ、それなりに会社のデータを元にして営業してますが、
 ダイレクトメールを入れておくぐらいしかできないんです」

「パン工場に戻りたいと思わない?」
「それはないです。工場での全体責任みたいのが嫌なんです。
 営業は、わたし個人の責任ですから」

去年、あまり感じよくないと思った彼がかわいくなった。
修理がなかなか終わらなかった。
1時間半かかった。それまでの間、
私は昔、求人広告の営業をした苦労とか、
それからいくつも転職したこと、などを話した。
双子の息子のことも喋った。
現在の作業所での仕事のことも話した。

私が、半生を話し終わった頃、
「修理終わりました」と整備士が来た。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修理を待ちながら 1

2005年09月20日 | 健康・病気

車を持ち込んで受け付けをすませた私は、
ショールームの中のテーブルに向かって坐った。
いくつかあるテーブルには2組の客が、
営業マンと話をしていた。

2、3分もしないうちに私の担当の営業が前に坐った。
私がここで車を買ってから3代目の担当だ。
私が車を買ったときの営業マンは、
気さくで腰が低くて営業には向いているなと思った。
ところが、2年ほどで辞めてしまった。

そのあとの担当はずーっと事務畑を歩いてきた人だった。
前任が辞めたので、急遽営業に回された感じだった。
営業という仕事がまったく向かない人だったな。
ちょうどその頃、
私の車ロゴのリコールが重なって発表されたときだった。
私は、メーカーのホンダが悪いのに、
なんで私が貴重な時間を使ってわざわざ車を持ち込んで、
部品を交換しなくてはならないんだ、
とリコールのたびに文句をいった。
休日の半分がそのことで費やされてしまうのだ。
彼は、去年の8月に会社を辞めた。
あの人が辞めた原因の100分の1ぐらい私にあるかも知れない。
人間的には好きな人だった。

そして3代目だ。
彼は私の担当になってから家に何度も訪ねてきたりして、
今の言葉でいえば“うざかった”。
なにしろ貧しい私は車など買う気はない。
今のを乗れるだけ乗ろうと思っている。
私が点検などでデイラーに行くと、
私の相手などしてくれなかった。
会社にいないのだ。
今思えば、彼は会社に入ったばかりで、
車を売るために必死だったのだろう。

なぜか土曜日、エンジンルームを見てもらっているとき、
3代目は私の相手をしてくれた。
私としては、ひとりのほうがよかったのだが、
目の前に坐っているのでは相手をするしかない。
そうなると私のほうが営業マンのようになってしまう。
私の生きる方針として、
「私と話す相手を飽きさせてはいけない」というのがある。
私は話題の途切れぬようにやさしく面白い会話を心がける。

日曜日もひとりでいたい私の前に、
人なつっこい顔で彼は坐った。
年齢を訊くと25歳だという。息子たちより1つ上のようだ。
さあ、それから私のサービス精神はフル稼働をした。
なにしろ相手を飽きさせないように必死で話した。
(つづく)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする