九想話

ブログ以前から書き始めて、20年目になります。



今年の反省

2006年12月31日 | Weblog
2006年が終わる。
やりたいことをやらなかった年でした。
2007年はもう少しなんとかしたい。

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                九想話         俳句         
12/1   マグロ
12/2   銚電のぬれ煎餅    水洟や市場の空は低くあり
                   夕方、冷蔵倉庫にパッケージした野菜を納めて
                   市場の上の広い空を見ていると
                   鼻水がたれてきた。さあ、仕事が終わったぞー。
12/3   孫に会う
12/4   忘年会          いつも飲むどこが違うや忘年会
12/5   老人会       
12/6   武士の一分     
12/7   沖 仁           年賀状そろそろいよいよ何もせず
12/8   書けない      
12/9   転ぶ            枯れ株に足をとられて老いを知る
12/10  今のアキバ     
12/11  外付けハードディスク 
12/12  ありえな~ィ       妻残業義母とふたりでとん汁かな
12/13  ダウン症の2人     それぞれのゆるやかなとき冬の雨
12/14  睡眠不足
12/15  デザイン学校の頃1
12/16  デザイン学校の頃2
12/16  ドクちゃんの結婚式
12/17  タイムスリップ      古日記拾い読みして赤面す
12/18  デザイン学校の頃3   山茶花や吾のうちなる恋心
12/19  爆笑問題         戸惑うな嫁の親から来た歳暮
12/20  第135回直木賞受賞作 小説を読むと炬燵は抜けられぬ
12/21  これまでの人生      冬銀河生きてるだけで満点だ
12/22  硫黄島からの手紙
12/23  続・硫黄島からの手紙 見上げれば冬至の月は糸のよう
12/24  クリスマス・イブ     何もないクリスマス・イブ何もない
12/25  蓄音機          筑波山田んぼを藁屋根空っ風
12/26  年賀状          あれこれと年末仕事気ぜわしい
12/27  誕生日
12/28  正月飾り         押し詰まり何がなんでも賀状書く
12/29  水無月忘年会
12/30  雪への対策
12/31  悲しい年末      
12/31  今年の反省

                        
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悲しい年末

2006年12月31日 | Weblog
仕事をしているとき珍しく女房から電話があった。
普通、彼女からの電話というのはない。
金もかかるのでいつもメールです。
何事かな? と思った。
ただならないことを感じた。

「先生が亡くなったの。これから私行ってくる」
フラメンコ教室の先生だ。
いつだか分からないが部屋で倒れていたらしい。
「何か手伝うことがあったらいってくれ」

先生は私と同じ歳です。
女性では少ないカンテ(フラメンコの歌)のプロです。
ペースメーカーをつけていた。
そのへんのところが死因に関係したのかどうか、分からない。

私も何度か会っているので他人とは思えない。
胸の中に悲しみがこみあげてきた。
1月の20日に教室の発表会があるのにどうなるのだろう?
先生の家に生徒たちが集まっている。
悲しい年末だ。

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雪への対策

2006年12月30日 | Weblog
以前乗っていた車にはスタッドレスタイヤをつけていた。
車を買ったとき、山梨に単身赴任をしていたからだ。
私の住む所沢はこのところ、1シーズンに2、3回しか雪が降らない。
秋、車を買って雪対策のことをいろいろ考えた。
チェーンでいいという結論になった。
それで昨日、非金属のものを買いました。
車を移動しないでもつけられるものを買った。
14、800円だった。
買ってきてすぐに装着してみた。
なんとかつけられました。
実際、雪が降ったらたいへんだと思う。
雪さん、降らないで。

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水無月忘年会

2006年12月29日 | Weblog


今夜は、劇団水無月の忘年会です。
私は、仕事を終え、送迎をして、
急いで稽古場に来た。
8時前についたら誰もいなかった。
あれ、間違っちゃったかなと思った。
ところが忘年会は8時からだった。
現在、いるのは10人。
芝居の話で盛り上がっています。
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正月飾り

2006年12月28日 | Weblog
昨日、女房が松を買ってきたので、玄関につけた。
仕事から帰ってきた8時過ぎのことです。
義母に「門松飾ったけど、今日はいいんでしたよね」と訊いた。
「29日は、二重苦ってことで、31日は一夜飾りでだめだけど、
 今日はいいんじゃない」という。
「それじゃよかった」
「それにしてもあの子が、あんなにまめにやるとは思わなかった」
と義母。

女房は、クリスマスの前にもこまごまといろいろ飾った。
(ほとんど、100円ショップで買ってきたものです)
で、今は正月飾りです。
お供え餅は当然のことで、壁にはミニチュアの凧なんかがある。

私はそういうことをする女房を見てるのは好きです。
なんといっても部屋の中に季節感があることは素敵だ。

そのわが女房どのは、残業で9時前に帰ってきて、
フラメンコの練習があると、すぐ出て行ってしまった。
(1月にフラメンコの発表会があります)
私は義母と、とんねるずの新・食わず嫌い王決定戦を観ていた。
黒木瞳と新庄剛志の嫌いなものを私は当てましたよ。

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誕生日

2006年12月27日 | Weblog
今日、私は志木の担当だった。
朝、志木まで行って、通所者を所沢まで連れてくる。

今日も仕事が忙しく、所沢を出たのが17時半だった。
道路は混んでいて渋滞していた。
私は退屈させないようにと思い、いろいろ話しかけた。
そのときふと思い出した。
Kくんが今日誕生日だったことを。

「そういえば、今日はKくんの誕生日だったね」
「ハイ」
「みんな、お祝いの言葉、いった?」
「………」
「それじゃ、みんなで今からいおう。
 Kくん、誕生日おめでとう」
「Kくん、おめでとう」
「おめでとう」

私は運転しているので、後ろに坐っているKくんの様子は分からない。
でも嬉しそうにしているKくんの顔が目に浮かんだ。

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年賀状

2006年12月26日 | Weblog
やっと本日、私は年賀状に立ち向かっています。
ネットでイノシシのイラストを探したが、なかなかいいのがなかった。
やはりタダでやろうとするのがいけないのですね。
それでも気に入ったイラストを見つけそれを加工して使うことにした。
その絵をワードを使って配置する。
なんとかデザインも出来ました。
なかなかいいものが出来たとほくそ笑んでいます。
明日、全部印刷しようと思います。

私は、全体のデザインが決まると、
差し出す人によって文章をかえます。
それぞれの人に合わせた文面にします。
ちょっと面倒ですが、そうしてます。
ほんとうならその文章は手書きで…、なんて考えたのですが、
ちょっと時間がないのでパソコンで書きます。
さあ、明日は大変だぞ。
なので、もう寝ます。

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蓄音機

2006年12月25日 | Weblog
私が小さい頃、家に蓄音機があった。
レコードも10何枚かあった。
そのときには誰もそれでレコードを聴いてなかった。
音を大きくするチューリップのお化けのようなものは、
家の外で流しの水を受けるものになっていた。

私はそれを物置から引っ張り出していたずらしていた。
ターンテーブルにレコードを載せ、
蓄音機の横の穴にハンドルを差し入れゼンマイを回すと、
レコードが回転する。
頭デッカチなピックアップに鉄の針を取り付け、
回転するレコードの上に針を落とすとささやかだが音か聴こえた。
歌謡曲もあったが、浪曲や落語のレコードがあった。

戦争中に病気で死んだ叔父さんのものらしかった。
その人は東京に出て写真屋に就職した。
アルバムに、叔父さんが撮ったいろいろ変わった写真があった。
病気になり茨城に戻って養生していたという。
アコーディオンも好きで弾いていた。
そのアコーディオンも私はいたずらした記憶がある。

叔父さんには生きていて欲しかった。

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クリスマス・イブ

2006年12月24日 | Weblog
昼休み、食事をしてからいつものように車に行く。
私の作業所での昼メシは、小さなお握り2つだ。
あの猥雑な食堂の環境でゆっくり食事する気がしないので、
義母にお握りを毎朝作ってもらっている。
それを5分ほどで食べ、車に行って眠るのだ。

エンジンをかけ、カーラジオをつけると、
ジャクソン5の「サンタがママにキスをした」が流れてきた。
マイケルのかわいい声、この頃はよかったな。
ラジオをTBSからナックファイブ(旧FM埼玉)にすると、
山下達郎の「クリスマス・イブ」が始まった。
この曲も懐かしい。
クリスマス曲の定番ですね。

夜、このまま終わるのも寂しいと思ったが何もない。
54歳のおじさんには何もない。
深夜の1時前、久しぶりにブロックヘッズに行こうと思った。
この前行ったのはいつだろう。
たしか10月だった。

客は誰もいなかった。
マスターとママが迎えてくれた。
2時の閉店までいろいろ話した。
「生きることは大変だ。お互いがんばって生きていこう」
と3人で励まし合って別れた。

こうして、静かにクリスマス・イブが終わる。

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続・硫黄島からの手紙

2006年12月23日 | Weblog
「こんな島なんかアメ公にくれてやればいいんだ」
といいながら海岸に塹壕を掘り続けていて、
上官にそれを聞かれ、理不尽な体罰を受ける西郷。
それを新しく赴任してきた、
硫黄島守備隊総指揮官栗林中将が見ていてやめさせる。

西郷は小さなパン屋を営んでいた。
戦争が激しくなり、パンの材料が入らなくなり、
そのうち砲弾を作るために金属供出ということでパン焼き器などを取られ、
パン屋も開店休業の事態となった。
そんなとき召集令状が届いた。
彼は、妊娠している妻に「必ず生きて帰ってくる」と約束して出征した。

この映画は、西郷という若い兵士を中心に、
ストーリーを展開させたことがいい。

もちろん栗林中将は魅力的に描いていた。
アメリカ留学の経験もあり、アメリカに友人たちとのいい思い出も多い彼だが、
戦力的に日本を上回る米軍と戦う手腕を持っていた。
5日で終わるとされた戦いを36日間戦い抜いたのだ。

ロサンゼルス・オリンピックで馬術の金メダリストの
バロン西という人物も素敵だった。
擂り鉢山を守りきれず、手榴弾で自爆するシーンは悲惨だった。
憲兵をクビになって硫黄島に赴任させられた、
青年兵士のエピソードは悲しかった。

もっと書きたいことはたくさんあるが、これ以上書いていくと、
これから映画を観る人に文句をいわれそうなのでやめます。
それにしてもこんないい素材をなんで日本人が撮らなかったのだろう。
硫黄島の戦いを、アメリカ側からと日本側から見た映画を作った、
クリント・イーストウッド監督に敬意を表します。

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