九想話

ブログ以前から書き始めて、20年目になります。



5月が行く

2010年05月31日 | Weblog

大好きな5月が終わってしまう。
私は、自分が生まれた月なので5月が大好きです。
新緑がきれいです5月は。

しかし、今年の5月はきつかった。
今は書けませんが、つらかったです。
なんとか6月には楽になりたい。
明日からがんばらなくては…。

5月の九想話

5/1  コール&レスポンス
5/1    西野カナ
5/3    祝パンカーラ開店6周年   人クルマ五月連休軽井沢
5/4    湯川ふるさと公園
5/4    私のGW
5/5    バルーンフェスティバル
5/5   “女房”仕掛けの       バスが行く女房仕掛けの夏は来ぬ
5/6    孫のGW           キリンさんぞうさんが好き五月かな
5/7    菖蒲湯            匂いなき菖蒲湯にいて思い出す
5/7    パンク
5/8    夜空ノムコウ        ハナミズキ夜空ノムコウ白キ花
5/9    浅間山開き         雪消えて稜線やさし浅間山
5/10 親の呼び方         「パパ」よりも「おやじ」が好きだナ母の日
5/11  三宅裕司
5/12  キジ               我慢して雉子も鳴かずば雉子でなし
                      目があった雉子にすべてを見透かされ                                          
                     雉子をうつ場所を探して雉子に会う
                      雉子もいて鶯も鳴く湯川かな
                                    空高く飛びたくはない雉子歩む
5/13   5月の寒波          地球へん?ストーブを出す初夏なのに
5/14  B.B. King           
5/15  すごいいい           「すごいいい」日本語としてすごくダメ
5/16   バッテリー
5/17   98歳の挑戦
5/18   夜の池袋
5/19   さよなら57歳
5/20   誕生日 in Pankara
5/21   戸隠への旅         隠せない戸隠山の水芭蕉
5/22   中出ギター製作所     おそくまでネックを削る五月かな
5/23   女房帰る           五月雨や高速バスは女房乗せ
5/24   5月の健康指導
5/25   まるごとの人間を診る
5/26   々                自己嫌悪夏軽井沢ぶらさげて
5/27   阪神と西武 
5/28   iPad                         ニセビールこれにすがって生きている
5/29   アンマー
5/30   展覧会の絵
5/31   さよなら5月

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展覧会の絵

2010年05月30日 | Weblog
「ピアニスト辻井伸行」( 5月28日 金曜日 NHK総合 22:00~22:45)
「▽難曲“展覧会の絵”に挑戦▽密着アメリカツアー葛藤と成長の記録」
というテレビ番組を観た。

昨年、辻井伸行は、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。
そのコンクールの受賞者たちのコンサートがあるのでアメリカに行った。
そのとき弾く曲をムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」に決めた。
日本で練習しているときも、アメリカに渡ってコンサートの直前までも、
展覧会の絵がなかなか思い描けないようで苦しんでいた。
しかし、最後に演奏した「展覧会の絵」が素晴らしかった。

辻井伸行がアメリカで最後のコンサートの日に話した。
「このコンサートに、展覧会の絵を入れたのにはわけがあります。
 別な理由はいってしまったが、聞いてくれますか?」

目の見えないことを限界として言われたくなかった。
心の目で全部見える。
まわりの健常者は、私たちの行き方を温かく見守って下さい。

若いのに素晴らしい考え方だ。
こういうふうに育てたご両親にも頭が下がります。

ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」という曲は、私も大好きです。
高校生のとき、友だちの家でよく聴いた。
うちにステレオがなかった。
ブラスバンド部の仲間の家に週に1・2度は泊まっていた。
ラヴェルによる管弦楽への編曲のものでした。
そのうちピアノ組曲としての「展覧会の絵」も聴くようになった。
どちらもいいですね。
「展覧会の絵」を聴くと、高校生の楽しくも鬱屈した頃を思い出す。
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アンマー

2010年05月29日 | Weblog
かりゆし58「アンマー」



今夜私は、10時までの勤務です。といっても、
施設の利用者が帰ってから館内を巡回して、
異常ないことを確認して、何ヶ所かの施錠をするので、
職場を出るのは10時半過ぎになります。

カーラジオをつけるとNHKの沖縄局の放送をしていた。
今、ネットでNHKのラジオ番組表を検索して見たら、
11:10からのラジオ深夜便のことは載ってるが、その前が出てこない。
月の最終土曜日の10時15分から、NHKの沖縄放送局の番組をやっている。
そういうわけで番組名が分からないのが悲しい。
私は、月に一度のこの沖縄からの放送を楽しみにしている。

ラジオを聴き始めた10時40分、那覇市の国際通りのことを話した。
沖縄料理を教えるところがあるという。
最初は、沖縄の人たちに教えるために作ったのに、
いつしか旅行者の人たちが参加するようになったそうだ。
取材したときの料理は、イカの料理のようでした。
ラジオ番組の内容をあまりよく覚えていません。
沖縄の私の知らないマイナーな話題を話すので興味深い。

私は、20代のとき日本全国を旅した。
夏の会社の1週間ほどの休みを使って、私は旅をした。
20歳のときは東北をまわり、21歳では四国を1周した。
22歳のとき、山陰を旅し、23歳のときに木曽、飛騨を旅した。
24歳のときに九州をまわり、25歳のとき、北海道を1周した。
土日の連休のときは、金沢とか長野へ1泊の旅をした。

北は、北海道の利尻島から南は鹿児島県に行きました。
ところが、唯一、行けなかったところあった。
それは、沖縄です。
死ぬまでにいつか行きたい。イケルカナ…?

その番組でこの曲が流れた。
「アンマー」沖縄の言葉で「お母さん」のことをいうそうですね。
(アラマさん、そうですか)
私は軽井沢に帰る道を、車の運転しているとき、泣きそうになりました。
こんなに素直に母親に対する思いをうたった歌は、大好きです。


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iPad

2010年05月28日 | Weblog
iPad“先輩”の使い方は? 日本あす発売(産経新聞) - goo ニュース

今日発売の iPad ものすごく興味があります。
経済的に許されるものなら手に入れたい。
とりあえず女房の許可を得られれば、
東京のネット環境を iPad にしたい。
現在、女房の家はケーブルTVでネットにつなげている。
おそらく一番遅い環境で3000円弱を支払っている。

iPad は、月の基本使用料が、4410円だ。
1年間は割引されて、2910円のようです。

ところがさっき女房と電話で話したら、
「私、興味ないから」といわれてしまった。
でも、今女房が使っているパソコンがもう7、8年たっていて古い。
新しいのにしようと話していたところなんです。
新しいパソコンを買うくらいなら、iPad を買いたい。

それにしてもこの世界の進歩には目を見張るものがある。
私の家で、東芝のルポというワープロを買ったのが、私が38歳の頃だった。
女房が「仕事で使えるようになりたいから買いたい」といったので買った。
あのとき20万円近くした記憶があります。今から考えると20年前だ。
それまで彼女はファミリーレストランでパートのウェイトレスをしていた。
しかし、時給の安い職業から離れたいと彼女は考えていた。
女房は、ワープロを覚えて、所沢に工場があるシチズンに契約社員として就職した。

ワープロがわが家に来て私も打ち方を覚えました。
それまで安いA4の原稿用紙に鉛筆や万年筆で小説を書いていたのですが、
それから小説や文章を書くときにはワープロにした。
当然ローマ字変換です。
会社でもパソコンを導入し始めて、文章も打たなければならなかったが、
部品の型番も入力しなければならない。
アルファベットの位置を覚えれば、文章も部品の型番も打てた。
最初は苦労しましたが、それなりに打てるようになりました。

その頃、世間で話題になっていたパソコン通信をしたくなり、
パソコンが欲しくなった。
ちょうどそのときアサヒパソコンネットで、
「パスカル短編文学新人賞」の募集が始まった。
それに応募したくってパソコン通信を始めたかった。
女房に話すとパソコンを買っていいという許可がでた。

それから私は、パソコンという“おもちゃ”に狂ってしまいました。
MS-DOS Ver3.1 からWindows3.1、そしてWindows95・98・Me・XP と使ってきた。
現在、職場ではWindows7 なんてのを使ってます。
幸か不幸か、マッキントッシュには縁がなかった。
いや、iPod は持っている。

ちょっと前までは、マイクロソフトがこの世界を牛耳っていた。
マッキントッシュが、パソコンの本流から外れたところから、
ipod なんてもので息を吹き返してきた。
なんて思っていたら、iPhone の登場です。
そして、このiPad 。
これからiPad が、この世界を支配するのか?
それとも、別なメーカーが新しいものを創り出すのか?
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阪神と西武

2010年05月27日 | Weblog
昨日今日は甲子園で、阪神西武戦だった。
私は、セ・リーグは阪神、パ・リーグは西武を応援している。
その阪神と西武のセパ交流戦だ。

所沢に住んでいたとき、
毎年西武ドームでやるときには観戦に行っていた。
西武ドームなのにファンは阪神のほうが圧倒的に多かった。
そして阪神応援席にいる観客の態度がデカかった。
阪神ファンをやめてしまおうかと思ってしまうほど、
私は、阪神ファンの振るまいが好きじゃなかった。

今の阪神は、濱中、赤星、今岡、藤本がいない。
金本はスタメンじゃない。
私の知らない選手ばかりだ。
真弓監督もあまりよく知らない。

西武の渡辺監督が好きだ。
涌井、岸、石井投手がいいですね。
工藤もいるし、一軍ではないが雄星がいる。
選手には、“おかわり”中村がいる。
中島、片岡がいい。
どっちかというと、阪神より西武のほうが選手を知っているかも知れない。
最近、テレビ観戦できないので阪神の選手をあまり知らない。

なのに阪神が負けるのは悔しい。

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2010年05月26日 | Weblog
「々」これをなんと読むか分かりますか?
私は知りませんでした。
これは文字ではないので読み方はないそうです。
記号なのだそうです。

「繰り返し符号」というらしい。
「同の字点」ともいう。
「同」の別字体である「仝」が変化したからだという。
俗に「ノマ」とも呼ばれているらしい。
「々」を分解すると「ノ」と「マ」になるからだそうです。

繰り返し符号には、この「々」の他に、
「一の字点」「二の字点」「くの字点」などがあるということです。
「一の字点」は、「ゝ」「ヽ」「ゞ」「ヾ」などです。
「二の字点」は、私のパソコンで表記できません。
「くの字点」は、「まあまあ」というのを縦書きで書くとき、
「まあ」のあとに「く」を長く書いて表すあれです。
“あれ”で誤魔化してはいけませんね。






こんな感じですかね。「く」の字の間が離れていてちょっとまずいですね。

「ゝ」は、「ちょん」と呼ぶそうです。
これが人間の頭にあることを想像して下さい。
このヘアースタイルは「ちょん髷」ですって!
目からウロコ、です。

このことは「お元気ですか日本列島」(NHK総合 14:05 ~ 14:55)
のあるコーナーでやってました。
私は、このコーナーが大好きです。
「すごいいい」という九想話もこれを観て書きました。

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まるごとの人間を診る

2010年05月25日 | Weblog

「こころの遺伝子~あなたがいたから」(NHK総合 再放送 5/26(水) 00:15 ~ 01:05)
「がんばらない・鎌田實・医師人生変えた出会い・病と共に人間を診る▽
 ある一家との30年」を観た。

この番組は月曜日の夜10時からやっている。
昨夜も今夜も午後10時までの勤務で、今日家に着いたのは11時20分でした。
阪神が勝ったスポーツニュースを観て、いい気持ちでNHKにするとやっていた。

私は、鎌田實という医師をあまりよく知りません。
永六輔がよく話していた。
その人が書いた本が売れている。
そのぐらいしか知りません。いや、
NHKの祝日のラジオで「鎌田實 いのちの対話」を部分的に聴いたことがある。

なんか狭い世界を生きている私としては、“うさんくささ”を感じなくもない。
でも、テレビで鎌田實が話しているのを観ていて、いい顔してるな、と思った。
私は、なんといっても人間は“顔”だと思う。
美醜ではありません。
心の中で考えていることが顔に表れると思う。
ですから、やさしい人はそういう顔になる。
品性のない人は、下品な顔になる。
(そういう今の私は、どういう顔なんだろう?)

メモしてテレビを観ていましたが、
こんなに詳しく書いたNHKのサイトがありますのでここを見て下さい。
番組のおおよそのことが分かります。

鎌田實が、信州で暮らして30何年といっていたな。
私は、まだ1年です。
あと何年暮らすのだろう?

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5月の健康指導

2010年05月24日 | Weblog
本日の午後、携帯電話が胸で震えた。
出ると、健康指導員の保健婦さんだった。
今は、保健師というのかな?

その後の私のことを遠慮がちに訊いてくる。
「いや~、まったく健康にいいことしてません」
「体重も減ってません」
そう応えるしかない私です。

辛抱強い健康指導員は、
「でも、タバコはやめているんでしょう?」
「はい、続いています」
「それだけでもエライです。
 体重も増えてないというのは、気にしているからです。
 6月になりましたらうかがいますのでよろしいでしょうか?」

あ~、タバコ吸いてェー。

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女房帰る

2010年05月23日 | Weblog
20日に東京から一緒に軽井沢に来た女房が、今日帰った。
こんなことを書くとあのひとがつけ上がりそうでイヤですが、
やっぱり女房がいないのは寂しい。
なんだかんだいっても、2人でいることは楽しい。

とはいうものの、ドライブしているときなどは、ああだこうだとうるさい。
車に乗ってエンジンをかけ、車を発進しようとすると、
「ミラー!」と怒られる。
私はたま~に折りたたんだドアミラーを開かないで発進してしまうことがある。
でも、そのままで1キロも2キロも走るわけがない。
だいたい最悪でも5メートルも走れば気づいてスイッチを押して開く。
それだって20回に1度ぐらいです。
1人で乗るときにはミラーを開くスイッチは必ず押している。
なぜか女房と乗るときには忘れる。

高速道路を走っているときは、スピードが100キロ以上になると、
「そんなに速く走らなくてもいいよ」といい。
前を80キロぐらいで走っている車がいると、
「抜いてもいいよ」
「うしろから車来てないから今だったら大丈夫」
「あっ、ダメダメ。トラックが来た」
と細かく私に指示をする。
要するに口うるさい。
戸隠に行ったときも、何度も口ケンカになりそうだった。

今日の午後3時前、私の携帯電話に女房から電話が来た。
私は仕事中はマナーモードにしている。
Yシャツの胸ポケットに入れているケータイが震えた。
急いで廊下に出て電話に出ると、
「今大丈夫?車のところに行ける?ダッシュボードを見て欲しいんだ」
と女房が深刻そうにいう。
「ちょっと待って」といって私は、駐車場に急ぐ。
「私の免許証があると思うんだ」
車のドアを開け、ダッシュボードの中を見る。
「あったよ」
「よかった。それじゃ、今度来るときまで持っていて」

女房は、4時16分の高速バスに乗って帰る予定だった。
私は、免許証ケースの中を見た。
そこに高速バスの乗車券があった。
すぐ女房に電話する。
「バスの切符があるよ」
「えっ、ホント。それじゃそれをキャンセルして…」
なんてことをいう。
「いいよ、今外出許可もらって持って行くよ」
私は上司に事情を話し、詫びて軽井沢に行かせてもらった。

3時40分に軽井沢の家に着いた。
一見、沈着冷静なあのひとだが、たまにこんなことをやらかす。
免許証とバスの切符を渡すと女房は恐縮していた。
外はすごい雨が降っていたので、バスの時間には早かったが、
「バス停まで乗せてって」と女房がいう。
雨の降るバス停に女房を残して私は職場に急いだ。

そんなふうにして女房は、東京に帰っていきました。
仕事を終え、7時半に家に帰ると、
テーブルの上と冷蔵庫に夕飯に食べるものがあった。
がんもどきの煮たもの、餃子の皮を唐揚げにしたものとレタスのサラダ。
お新香、カツオのたたき、オニオンスライス。
ありがたかった。いつもはもっと粗末な夕食です。
食べていると、女房から電話があった。
「今、お母さんのところにお土産のワインを持って行くところ」
戸隠からの帰りに長野市の「おぎのや」で信州ワインを買っていた。
女房の家と母親の家は歩いて7・8分のところにある。
テレビでは「龍馬伝」が始まっていた。
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中出ギター製作所

2010年05月22日 | Weblog
今日の夕方、茨城の友人から電話があった。
こんど6月にあるクラス会のことなどを話しているうちに、
「そういえばオメェ、高校出でつどめだギター製作所に行ったごど
 九想話にまだ書いでいめ。どうだったんで?」と訊かれた。
そのとき簡単に友人には話したのですが、今日書きます。

あれは4月7日だったか?
私が弟子入りした中出ギター製作所に行ってみようと思った。
清瀬駅で電車に乗り、石神井公園駅で降りた。
あそこは、西武池袋線の石神井公園駅より、
西武新宿線の井荻駅のほうが近かった。
しかし、どちらからも20分以上は歩いた。
石神井公園のほうに歩いていった。
公園には大きな池がある。
そのまわりに桜が咲いていました。

19歳のとき、中出ギター製作所に失望して辞めたとき、
兄弟子とリヤカーに蒲団包みを積んで石神井公園駅まで運んだ。
そのあやふやな記憶がある。
その道を逆に歩いたのですが、分からなくなった。
そのうちに井荻駅のほうになった。

「日本弦楽器製作者協会 個人正会員部門名簿」というサイトを見ると、
中出敏彦ギター工房しかなかった。
中出輝明という人の紹介サイトもあったが、
それ以外の中出というギター制作者はいなかった。
この2人は、中出阪蔵の子どもです。
中出阪蔵という人は、私が弟子入りした人のお兄さんでした。
中出阪蔵は、ギター制作者としては素晴らしい人のようです。
Webだけがすべてとは思わないが、
私が弟子入りした中出(う~ん名前を忘れました)さんの息子さんは、
ギター制作者にはなっていないようです。
私が弟子入りしたとき、親方は50歳前後ぐらいでした。
今生きていれば90歳以上でしょう。
私が弟子入りした中出ギター製作所は、現在はないと思われます。

それはそうとして、私が弟子入りしたときにいた兄弟子2人は、
その後どうしているのだろう?
いい人たちでした。
仕事は5時に終わるのですが、そのあと、
兄弟子たちはギターのネックを削った。
1本500円の賃仕事です。
9時ぐらいまで2・3本削っていた。

小林さんという人は27歳だった。
フラメンコギターがうまかった。
夜、いつもフラメンコの曲を弾いていた。
その人が録音機を買うときに秋葉原までつきあった。
その頃のテープデッキはオープンリールでした。
私が今も持っているオープンリールのテープには、
その人のギターと私たちの会話が録音されている。
オープンリールのテープを聴けるものがあったら聴いてみたい。

もう1人の人は池田さんという人で22・3歳だった。
何年後かに、偶然に上野駅で遭遇したことがあった。
今は、ギターを作っていないのかな?
会ってみたいです。
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