豊島園

2001年02月11日 | テレビ

 女房が、豊島園の乗り物乗り放題の入場券をもらった。
 それで、今日、豊島園に二人で行った。私が前回豊島園に行ったのは、息子
たちが小学5年のときです。夏でした。プールと水の流れる大きなチューブを
滑りに行った。女房は日に焼けたくないと、あのときは行かなかった。
 今日はいい天気で、そんなに寒くなかった。女房は、全部の乗り物に乗るぞ、
と張り切っていた。
 けっこういろいろ乗りました。しかし、私が何個目かの乗り物(ブランコが
回転するやつ)の終わるころに吐き気がし、降りてからトイレで吐いた。
 それからジェットコースターに乗った。それではっきり思った。
(ああ…、もうおれは遊園地はいいや)
 と。歳ですかね。さすがに48にもなると、そんなに乗りたいと思わない。
いや、乗ることが苦痛でさえある。昔は、ジェットコースターなどを降りてか
ら、また乗ったことがあった。「もっと何か乗ろうよ」とせがむ女房も、その
声に力がなかった。
「お互い歳なのかな」
 そんなこといって、3時頃豊島園を出た。
 昔、4人で来たことを、小さな息子たちが怖がるのを、おだててジェットコー
スターに乗せたことなど思い出した一日でした。

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2月の九想話

2/ 5  昼休
2/ 6  スタジオ・トリアーナ
2/11  豊島園



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スタジオ・トリアーナ

2001年02月06日 | 家族

 昨日、女房がフラメンコの練習場を1時間借りたので練習に行くという。
 4月に公演があるので、彼女は張り切っている。
 おれに行かないか、という。
 スタジオ・トリアーナのあるところは、西武新宿線の新井薬師駅なので、私
の住む新所沢駅から一本です。
 電車の中で女房はうれしそうだった。私は、毎日仕事に追い立てられている
ので、日曜日ぐらい家でのんびりしていたかったが、せっかく彼女が「行こう」
というので、一緒に行くことにした。
 スタジオ・トリアーナは、駅を降りて5分ほど歩いたところにあった。地下
に降りる階段は細く汚かった。鍵が郵便受けの中にあった。先生が朝のうちに
入れといてくれた、と女房がいう。ドアのノブは壊れていてなかった。女房は、
楽しそうに鍵を開け、そのノブの取れた穴に指を入れてドアを引いた。
「ここが、今私が一番楽しめるトコよ」
 私は、女たちの秘密の場所に忍び込むような気分だった。毎夜ここに女たち
が集まって、異国のダンスを踊っているのだ。
 玄関から上がったところにテーブルがあり、それを挟んでふたつのソファが
あった。壁には、フラメンコのポスターやこれまでの公演の後に撮った写真が
小さな額に入って何枚かあった。ひとつのソファに坐ろうとしたら、
「そこは、先生の坐るところだからダメ」
 と、女房にいわれてしまった。
 もうひとつのソファに坐って、私は煙草を吸った。テーブルの上には、大皿
のような灰皿があった。ルージュのついた吸い殻が何本かあり、妙に生なまし
い感じがあった。
 女房は、さっさとスタジオの隅で着替え、私のところに来て床に坐りヴォー
グを1本吸った。そして、駅前の自販機で買ってきた缶コーヒーをうまそうに
飲んだ。
 煙草を灰皿に捨て、女房は練習を始めた。
 私は、持ってきた周五郎の「柳橋物語」の文庫本を開いた。
 鏡にうつる女房の姿を、別人を見るような気持ちで一瞥し、物語の世界に入
った。
 女房の床を打ちならす靴の音を遠くに聞きながら、活字を追う。
 持ってきたデジタルカメラを出す。なんか直接撮る気分になれず、鏡越しに
シャッターを切った。5、6枚撮って、また本を読んだ。
 おれたち変な夫婦だな、と思った。

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昼休み

2001年02月05日 | 会社・仕事関係

 昨日の昼休み、久しぶりに休憩室にいた。
 いつもは工場内で、ギターを弾いてる私です。
 平日は第一工場の食堂で食事をする外国の女性たちが、土曜日は仕出し弁当
がないのでコンビニで買ってきたものを第三工場の休憩室で食べた。私はいつ
も休憩室で女房の弁当を食べている。
 彼女たちの話を、聞くともなく聞いて食事をしていた。
 フィリピンの女性が、
「やっぱり、トンコツラーメンはおいしいよ。でも、フィリピンのラーメンが
おいしいな」
「ペルーのもおいしいよ」
 と12月に入ったペルーの女性がいう。
「へぇー、フィリピンにもペルーにもラーメンあるんだ」
「あるよ」
 フィリピンのコがこたえる。
 おれは、どういう麺で味付けは何? なんて訊いた。
 それから料理の話になった。フィリピンもペルーも「味の素」をなんの料理
でも沢山いれるそうだ。
 なんか、フィリピン人とペルー人が、日本語を共通語として会話しているこ
とが不思議な感じだ。
 そのフィリピンの女性は、日本でブラジルの男と知り合い同棲しているとい
う。会話は、日本語とポルトガル語でしているらしい。タガログ語にはスペイ
ン語が少し入っていて、ペルーの女性が話すスペイン語があるていどわかるら
しい。スペイン語とポルトガル語はけっこう似ているようです。
 おれは、女性たちと話していて楽しかった。国際語は英語だと思うが、この
会社ではあまり関係ない。
 やまいもが、フィリピンにもペルーにもあるという話になった。
 フィリピンでは、カモンティングカーホイ、マンジオカ。ブラジルでは、マ
ンジユカ。ペルーでは、ジュカ。というらしい。
 これは、耳のよくないおれが聞いてメモしたものですから、正確ではありま
せん。
 楽しい昼休みでした。

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