1年間ありがとうございました

2010年12月31日 | 健康・病気
本日、つれあいと軽井沢に帰ってきました。
アウトレットにちょこっと寄り、ツルヤで買い物をして家に戻った。
しばらく休んで、トンボの湯に行く。
心配だったのは、入浴料が特別料金だったらどうしょう、ということだった。
駐車場の前まで行くと、いつもは閉まっていないバーがあった。
警備員も2人いた。
こりゃ、駐車料金を取られる、と思った(いつもはタダなのです)。
それで、入るのをやめた。
哀しい夫婦です。
たかだか少し料金が高くなることがイヤでトンボの湯をよした。
千ヶ滝温泉に行く。
入口で料金を見ると1500円となっていた。
いつもは1100円です。
それを地元の人は500円で入れる。
これは今日は500円では無理だなと判断し、引き返してきた。
小諸のあぐりの湯に行こうと思った。
しかし、小諸は遠い。気が進まなかった。
中軽井沢駅前まで戻り、赤信号で停止しているときに、
「今日は金が高くてもトンボの湯に行くか」となった。
「そうだ、年末だもんね」
われわれは、清水の舞台から飛び降りる思いでトンボの湯に再度向かった。

あ…、お金がないというのは哀しいですね。
しかし、貧しい私たち夫婦にとっては真剣なんです。
出来ることなら500円でも100円でも節約しなければ、老後が苦しい。

心が潰れるような思いでトンボの湯の入口に行った。
会員証を見せると、「1000円になります」といわれた。
1人500円ということです。
「駐車料金はどうなりますか?」と訊くと、
「あ、駐車券下さい」といい、私が渡すと、そこに判を押してくれた。
無料になった。
なあ~んだ、何も心配することなかった。
私と女房は、よろこんだ。
かってに判断して行動することはつまらない、と思った。
きちんと情報を手に入れて、それから動かなければいけない。
今年最後の学習です。

家で休んで、夕方またツルヤに買い物に行く。
刺身やおせち料理が安くなるだろう、という魂胆です。
それ以外は、昼間買い物をすませているんです。
これも恥ずかしいですね。
ところが、6時半に家を出たのがいけなかった。
今日は、7時が閉店だった。
ツルヤには6時40分頃に着いた。
刺身はあらかたなかった。
それでもなんとか500円引きのマグロと200円引きのブリを手に入れた。
ところが、伊達巻きやかまぼこなどのおせち料理は全部なかった。
大晦日はツルヤが7時閉店とは知らなかった。
いつものように8時と思っていた。
なんとかおせち料理を手に入れようとマツヤに向かう。
ところが、マツヤも7時閉店だった。
なので明日の正月はおせち料理がありません。
こんなふうにして、九想家の2010年は終わっていきます。

まいどバカバカしい九想話を読んで下さいましてありがとうございました。
来年も一所懸命毎日書いていきますので、お付き合い下さい。
よろしくお願い致します。

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12月の九想話

12/1 だし汁                小春日に浅間も街へ歩きだす
12/2 初冬のトンボの湯
12/3 ピーコ
12/4 ロト6
12/5 忘年会                敵(カタキ)みたいに思って呑む忘年会
12/6 龍彦のお母さん
12/6 自覚
12/7 復活「これまでの九想話」
12/8 雪が…
12/8 延命治療
12/8 ブログまでの九想話       風花や帰ってこないあの頃は
12/9 メイドトレイン
12/9 今日も雪              こんな日に雪が降るふる雪が降る
12/10 シーズン最初の雪かき
12/10 サルビアの花
12/11 演劇集団水無月
12/12 公演終了
12/13 きぼうのいえ
12/14 タバコ、それから
12/14 やってきました三連休
12/15 酩酊
12/16 孫に会う
12/17 浅草からスカイツリー
12/18 三浦一馬
12/19 ウイスキー
12/20 夜の酒場の紙芝居       凍る月待つ人の無き帰る家
12/21 いのちの乳房
12/22 香川照之
12/22 トンボのゆず湯          トンボの湯ゆず大群で押し寄せる
12/22 酒はやめられない
12/23 イルミネーションバスツアー  古女房イルミネーションバスツアー
12/24 クリスマスイヴは暗闇で
12/25 クリスマスライブ
12/26 なぎら健壱
12/27 まねきねこ西軽井沢店
12/28 年末年始予定
12/29 シントコde忘年会
12/30 寝ます
12/31 少年ジャグラー
12/31 1年間ありがとうございました 目を合わせ互いに感謝大晦日


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少年ジャグラー

2010年12月31日 | 健康・病気



昨日、水無月の忘年会に参加するためにさいたま市の大宮駅に降りたとき、
駅前の広場で素敵なものに出会った。
少年ジャグラーです。
まだ幼い顔をしている少年が、こん棒を3本あやつっていた。
なかなかうまかった。
若いお客が拍手喝采をしている。
次のパフォーマンスになったとき、
私は急いでカメラを出してシャッターを押した。


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寝ます

2010年12月30日 | 健康・病気

九想話を書こうとしていてパソコンの前で寝てしまった。
たまたま起きてきた女房にみつかり、
しかられてしまった。
そんなわけで寝ます。
情けないな~

 

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シントコde忘年会

2010年12月29日 | 健康・病気

夕方、新所沢の街に降り立った。
今年は何回この街に来たのだろう?
すでに私の住むところではない。
現在、駅前にマンションを建てる工事をしている。
これが出来上がれば、
もう私の住んでいたシントコとは違う街になってしまう。
ラオックスが閉店し、パチンコ屋になったことにすでに違和感を感じる。
なにをどう感じようとも、もう自分はこの街の人間ではない。

肴やに、肥さんはいた。
楽しくお酒を呑みました。
8時過ぎ、肥さんが帰ってからたっちゃんと話した。
たっちゃんは、この街でいくつかのバンドに関係してベースを弾いている。
音楽のことを話した。
できるなら私もこの街にいて一緒にバンドをやりたい。
おそらくそれは無理なことでしょう。

みっちゃんにメールを送る。
返ってきた。
「しゅんさいにいる。おぎちゃんも来て」
私は行きました。
「旬菜愛花」この字でよかったかな?
駅前にある夫婦でやっている居酒屋です。
みんながいた。
主に陶芸をしていた仲間です。
すぐ「サウンド・イン」というカラオケ屋に行った。
ここも久しぶりです。
シントコ(新所沢)は沢山いろんなところがある。
私は(みんなも)たくさん歌をうたった。

ああ…、なんで私はここに住んでいないのだろう?

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年末年始予定

2010年12月28日 | 健康・病気
31日に茨城の実家に行く計画を立てていた。
明日(29日)、東京に行く。
私の勤務は今日までだった。

31日に茨城に行くと兄にメールを書いた。
ところが兄は31日に富士山を見に河口湖に行くと返信がきた。
そのことを女房に電話すると、
「それじゃ、行くのやめて軽井沢にいない?」という。
まあ、普通に考えたらそれが妥当かも知れない。
兄のいない実家に泊まることは気が進まない。

明日、東京の女房の家に行く。
水曜日の夜、彼女はフラメンコの練習日だから私は所沢に行く(かな?)。
30日、演劇集団水無月の忘年会なので大宮(さいたま市)の稽古場に行く。
31日、軽井沢に帰って来ることになるかな?
元旦は、軽井沢の家で実業団の駅伝でも見るか?
トンボの湯に行ってもいいかな。
2日は、箱根駅伝ですね。
軽井沢の大賀ホールでナベサダのニューイヤーコンサートがある。
が、チケットは完売してない。
観たいなァ。
3日、東京に行く。
女房が4日から仕事です。
5日、軽井沢に帰ってくる。
7日から私の仕事が始まる。

みなさまにはどうでもいいプライベートなこと書きましてすみません。
コメント (4)
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まねきねこ西軽井沢店

2010年12月27日 | 健康・病気
今、静かに目覚めました。
パソコンの時計を見ると「1:30」、ヤバイです。
頭が痛い。

そうです。
酒を呑んで家に帰ってきてそのままコタツで寝てしまった、という感じです。

そうだ、西軽井沢の「まねきねこ」に行ったんだ。
住所に西軽井沢というところはない。
軽井沢の隣にある御代田町の会社や店などが〝西軽井沢〟といっている。

むかし女房が勤めていた会社が、御代田町にある工場を、軽井沢工場といっていた。
私が職場に行く途中にその工場はある。
でも、そこの場所はどう見ても「御代田町」です。
ですから正確には、「御代田工場」です。
しかし、女房が勤めていた会社はそこを「軽井沢工場」といっていたそうです。
御代田町なんだけど、「軽井沢工場」と呼んでいたらしい。
なんかそういうのが哀しい。

御代田町の「まねきねこ」も西軽井沢店と看板に書いてある。
御代田町は「西軽井沢町」なのか。そんなことはないだろう。
でも多くの会社などの看板には「西軽井沢」と書いてある。
私は、「御代田(みよた)町」という響きが好きだ。
「西軽井沢」なんていう嘘っぱちな名前で呼びたくない。
「御代田町」に誇りを持って欲しい。

まァ、それはどうでもいいのですが、頭が痛い。
御代田町にある「まねきねこ西軽井沢店」は、カラオケの店です。
さっき(9時過ぎ)までそこでデカイ声で歌っていた。
酒を呑んで醜態(おそらく)をさらしていた。
あ…、恥ずかしい。

体も、心もさむい。
明日は、午後1時からの勤務です。
寝ます。

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なぎら健壱

2010年12月26日 | 健康・病気
毎週日曜日の朝6時12・3分頃始まるNHK第一放送の
「なぎら健壱のあの頃のフォークが聴きたい」を出来るだけ聴いている。
今日は、月の最終日なので、なぎらが、
青春時代にどのようにフォークを聴いてきたか、
どんな曲、歌手に影響を受けてきたか、
というようなことを語る日だった。

流れた曲は、高石友也「受験生ブルース」と「WE SHALL OVER COME」。
「WE SHALL OVER COME」は、外国人のうたったのも流れた。
高石友也の紹介でなぎら健壱は高田渡を知ったといっていた。
先日は、「坊や大きくならないで」を取り上げていて、
「高石友也の歌が一番好きだ」となぎらがいっていた。
彼は、かなり高石友也の影響を受けているようです。
私だって、高石友也、高田渡の影響をそうとう受けている。
受けているが、私の場合なんの形も残っていない。

なぎら健壱と私は同じ歳。
あの方は東京に生まれ、私は茨城だ。
私の場合、高校時代情報を取り込むものはラジオの深夜放送しかなかった。
お金がないので雑誌などは買ったことがありません。
深夜に聴く「オールナイトニッポン」「パックインミュージック」
「セイ!ヤング」が、私が得る情報のすべてだった。
学校に行ってもその話題を話す人はいなかった。
孤独だった。
同じ歳のなぎらがどのような青春時代を生きたのか興味がある。
(さだまさしも同じ歳なんだよな)

寝起きにこの番組を聴いているので、いつもよく憶えていない。
番組をきちんと聴きたいが、放送環境(日曜日の早朝だ)が悪い。
夜に再放送をしてくれると嬉しいのだが…。
NHKさん、よろしくお願い致します。


フォークシンガー なぎら健壱


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クリスマスライブ

2010年12月25日 | 健康・病気
今夜は、パンカーラでイラ・イ・アルカ・クリスマスライブがあった。
私は、仕事を終え、自宅に帰りちょっと〝熟睡〟してから女房と行った。
行く前に九想話を見ると、KAさんのコメントがあった。
北軽井沢は雪が降っている、と。
私は、今夜のライブで酒が呑めないことを覚悟した。

家を午後6時20分出る。18号から曲がり群馬県を目指すとすぐ渋滞になった。
まったく車が動かない。いつもは5分ほどで行くトンボの湯まで20分はかかった。
そこを左折すると昨夜行った軽井沢高原教会がある。
そこに行く道路が車でつまっていた。
そこを過ぎると前後に車がまったくなかった。
思わず、昨日行って良かった、と思った。

浅間山を登っていく。中軽井沢側のほうは雪はなかったが、
坂道を登り切ったあたりから道路に雪があらわれた。
峰の茶屋を過ぎるとあたりは一変し雪景色となった。
あ…、これを見て今日のアルコールは絶望的だと観念した。
女房に運転させるわけにはいかない。

7時10分、パンカーラ到着。
すでに店内は満員になっていた。
私と女房は用意されていた席に坐った。
隣は、KAさんと奥様のアンジェラさんだった。
私がトイレから出るとすぐライブは始まった。
ギター、チャランゴ、ケーナの二重奏にボンボの音。
心地よい音の洪水に私は身をゆだねた。

そのあとのことはへたな私の文章は遠慮します。
曲の合間に私たちはKAさんご夫妻と楽しい会話を楽しんだ。
アルコールを呑めなかったことは残念でしたが、充分音楽と会話に酔いました。
もちろんパンカーラの食事もうまかった。
悲しいことに私は、ノンアルコールビールなんてものを呑んだ。
途中15分ほどの休憩があり、ライブは2部へとなだれ込んだ。
素敵なライブがあっという間に終了となりました。
外は雪が降っていたせいか、ライブが終わるとお客さんはさーっと消えて行った。
私と女房は席が離れていた人たちと会話した。
SAY1さんとも話した。
来年の1月にあるワイワイガヤガヤコンサートに会うことを約束して、
私たちはパンカーラをあとにした。
(実は、女房がワイワイガヤガヤのときフラメンコの発表会で来られない)

帰途、私はゆっくり走った。
坂道を下ることが怖かった。
なんとか無事家に着いた。
着替えもそこそこに、私はニセビールを呑みました。






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クリスマスイヴは暗闇で

2010年12月24日 | 健康・病気
今夜は、なんと!クリスマスイヴですね。
クリスマスイヴ、なんと甘い響きを持った言葉でしょう。
年若い青年の何人がこのやるせない響きに泣いたことでしょう。
しょせん、〝クリスマスイヴ〟なんて、
地方で生まれた金のない男には縁がない。
そんなこタァ、東京で1・2年暮らせば骨身にしみて思い知らされるんです。
思い返せば20代の独身のとき、女性とクリスマスイヴを過ごしたことがない。
男何人かで、居酒屋で呑んだくれていたか、
1人でむさ苦しい駒込のアパートで酒を呑んで本を読んでいた。

25歳のとき、私は10月ぐらいからある女性と付き合い始めていた。
こりゃ、今年は、夢に見ていたクリスマスイヴを迎えられると考えていた。
ところが、12月23日にその彼女に別れのお手紙をいただいた。
誰を恨むことも出来ない。
みんな自分が悪いのです。
こんな過去を持つ男にとって、〝クリスマスイヴ〟なんて、
世の中になければいいと願う日なんです。

ところが、〝捨てる神あれば拾う神あり〟ということで、
私も結婚なんてものをした。
これはつれあいにとっても同じことがいえる。
それからクリスマスイヴは、生まれた息子たちとの日となる。
幼い頃はたわいもなく過ぎたが、小学生ぐらいになると、
いかにクリスマスの夢を育てていくかが問題となった。
しかしそれも、息子たちが小学校高学年になると縁がなくなった。
しょせん、クリスチャンではない私には〝クリスマスイヴ〟は関係ない存在です。

そんな60歳に手の届きそうなおじさんとおばさんが、
なにを間違ったか軽井沢高原教会に行った。
午後6時半頃でした。
去年停められた駐車場は一杯のようで、かなり下ったところに誘導され駐車した。
女房はそんなところに停めさせられ、少々怒っていた。
彼女は雪道は滑るので怖いという。
ホワイトクリスマスもまんざらじゃないが、こんな女房をもつ私にとっては迷惑です。

それにしても石の教会は今夜も威厳ある姿をわれわれに見せてくれた。
軽井沢高原教会とホテル前の林のランタンとイルミネーションは最高だ。
クリスマスツリーもステキだ。
音楽礼拝に参列した。
牧師の言葉にこんな私も厳粛な気持ちになりました。
合唱隊とオルガンに合わせて賛美歌をうたった。
あとで「ヒサシくんの声が一番大きかった」と女房に冷たくいわれた。
ホテルの中に入ると、「サンタクロース・フォトスタジオ」なんてのがあり、
サンタクロースの部屋で2人の写真を撮ってくれた。
それをプリントして無料でプレゼントしてくれた。
女房の言葉を借りると「なんと太っ腹な」だった。
8時から礼拝堂でハンドベルの演奏があった。
やさしい音色のコンサートだった。
〝なんちゃってクリスチャン〟の私たちには、贅沢なクリスマスイヴだった。

家に帰って、ビンチョウマグロのぶつ切れでニセビールを呑んでいると、
いきなり電気が消えた。それは、
ささやかな夕食の準備をしているわがつれあいが、電子レンジを使ったときだった。
それまでに電気ストーブ・コタツ・電気ポットをつけていた。
ブレーカーを見てみたが、すべて「入」になっていた。
ということは、去年も経験したが家の外にあるヒューズが切れたのか?
中部電力に電話をした。来てくれることになった。
真っ暗な寒い部屋で私と女房は中部電力の人を待った。
そういえば、去年も同じ頃だった。似たような状況に私たちはいた。
今朝、女房はその九想話を読んでいた。
なんと皮肉な、その夜に女房はまたヒューズを切った。
まったく学習能力のない女だ。ヒトノコトハイエナイ。

真っ暗な中で私たちは中部電力の人を待った。
私はやることがない。女房は、ニンデンドーDSをやっている。
去年も女房はそうしていたそうな。
(今、去年の12月22日の九想話を読むと書いてありました)
つくづくわれわれには〝成長〟はないな、と思った。
いいような、悪いようなヘンなクリスマスイヴでした。




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イルミネーションバスツアー

2010年12月23日 | 健康・病気
今年は、「White Christmas in 軽井沢」としていろんなイベントがある。
私たちが今日参加した「イルミネーション無料バスツアー」もその1つです。
軽井沢のイルミネーションスポットをバスガイドさんの案内で巡ります。
午後4時半に整理券を発行するとウエブサイトに書いてあった。
電話で女房が訊いてみると、56人が定員だから早く来ないとバスに乗れないといわれた。

私たちは中軽の家を3時前に出た。
矢ヶ崎公園の駐車場に着いたのが3時10分だった。
軽井沢駅の草軽交通の集合場所に着いたのが3時20分。
それで並んでいた人は25・6人だった。
4時には写真ような行列になった。
サンタの格好をした係員のいる先の人は、このバスツアーのバス2台には乗れなかった。
このバスツアーのあとに1ヶ所だけ行くバスがあり、それに乗れると説明していた。
4時半にはもっと人が増えていた。
かなりの人が2台のバスに乗れなかった。

最初に行ったのは、なんと中軽井沢駅です。
私と女房はなんかヘンな気持ちだった。
さっきまで中軽井沢にいたのにそこにバスに乗っていくのです。
駅のイルミネーションは地味なものです。
これは私も女房も何度か見ている。
毎日、ボランティアの方たちがロウソクに火を灯すそうです。
軽井沢高原教会や石の教会に行くのかなと思ったら、
そこには行かず、ろぐ亭本店のイルミネーションを見て旧軽井沢に行った。
旧軽井沢のレストランにもイルミネーションはあった。
バスの中からではうまく写真が撮れません。





次のバスのとまったところは恵みシャレーだった。
ここには去年も来た。
恵みシャレーのイルミネーションは最高です!!
中央に人が立てるクリスマスツリーがある。
時間になるとここに合唱団が立ってクリスマスソングをうたう。
そこに去年会ったアメリカ人の女性がいた。
「去年会いましたね」というと、
「私は、毎年ここにいます」と笑っていう。
私たちにツリーに上がれという。写真を撮ってくれた。
彼女はたしか学校の教師で毎年恵みシャレーでボランティアをしている。





お店の中に入った。ケーキとコーヒーを注文。
去年も同じ席に坐った。
去年は平日だったので人が少なかった。
今日は、満員という感じだった。




恵シャレーをバスが出たのは5時45分。
それから林の中を通って旧軽井沢のロータリーに行った。
そこが、軽井沢のイルミネーション発祥の地だという。
そこに行くまでにもレストランなどに、
ハウスイルミネーションがちょこちょことあった。

今年の矢ヶ崎公園のイルミネーションは凄かった。
力が入っていた。
空全体から光りが降り注いでくる。
これは体験しないと分からない。
女房も私もはしゃいでしまった。
簡単に子どもの心に戻っている。
孫に見せたいと思った。






私とつれあいは、これまであまり派手なクリスマスには縁がなかった。
軽井沢に住むようになって、こんなド派手なクリスマスを体験している。
息子たちが小さいとき、公団住宅の家でささやかなクリスマスの真似事をした。
あれはあれでよかった。
1回だけ、新宿のホテルで大学のグリークラブの一員としてUがクリスマスキャロルをうたい、
Kと女房と私がそこにいたなんてことがあった。
あれはかなり感動したクリスマスイヴだった。
しかし、この歳になって、女房とクリスマスなんてちょっとテレますね。

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