田村高広『剣戟王 阪妻の素顔』ワイズ出版、2001年
阪妻(ばんつま)こと「阪東妻三郎(本名:田村傳吉」生誕100年を記念して長男で俳優の田村高広が書いた父の素顔です。阪妻は、今の若い人はあまり知らないかも・・・・。わたしも実像は知りませんが、木下恵介の映画などで、その名演ぶりは多く見たことがあります。
この本の著者、田村高広、またテレビドラマ『古畑任三郎』で有名な田村高広のお父さんです。
意外にも(?)、阪妻は人とコミュニケーションをとることが苦手で、高広とも妻(母)を介して意思疎通していたと書かれています。
プロレタリア文学に関心があったらしく、風呂敷包みに本を隠しもっていたという逸話が書かれていますPP.37-40)。
同志社大学を出て、俳優になるつもりはなく、東京の商社マンだった高広に、父は自分と同じ道に進んでもらいたいらしかったようです。しかし、そのことを子にうまく伝えられない。
高血圧からくる持病もあって、51歳で死去。「俳優になって欲しい」というほとんど遺言のような父の意向を、番頭の河村さんに伝えられ、著者はそれを受け入れます。モノ言わぬ父の優しさと温もり。
阪妻のたくさんのスチール写真が掲載。「剣戟」をファンに期待されながら、そこから脱皮して「剣戟ぬきでも世の中に通用する所謂『演技派』になりたいと思っていた」(p.48)父の所望と悩み、そんなものも本書は短い文章のなかに丁寧に書き込まれていました。
阪妻(ばんつま)こと「阪東妻三郎(本名:田村傳吉」生誕100年を記念して長男で俳優の田村高広が書いた父の素顔です。阪妻は、今の若い人はあまり知らないかも・・・・。わたしも実像は知りませんが、木下恵介の映画などで、その名演ぶりは多く見たことがあります。
この本の著者、田村高広、またテレビドラマ『古畑任三郎』で有名な田村高広のお父さんです。
意外にも(?)、阪妻は人とコミュニケーションをとることが苦手で、高広とも妻(母)を介して意思疎通していたと書かれています。
プロレタリア文学に関心があったらしく、風呂敷包みに本を隠しもっていたという逸話が書かれていますPP.37-40)。
同志社大学を出て、俳優になるつもりはなく、東京の商社マンだった高広に、父は自分と同じ道に進んでもらいたいらしかったようです。しかし、そのことを子にうまく伝えられない。
高血圧からくる持病もあって、51歳で死去。「俳優になって欲しい」というほとんど遺言のような父の意向を、番頭の河村さんに伝えられ、著者はそれを受け入れます。モノ言わぬ父の優しさと温もり。
阪妻のたくさんのスチール写真が掲載。「剣戟」をファンに期待されながら、そこから脱皮して「剣戟ぬきでも世の中に通用する所謂『演技派』になりたいと思っていた」(p.48)父の所望と悩み、そんなものも本書は短い文章のなかに丁寧に書き込まれていました。