【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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井上慶雪『本能寺の変 秀吉の陰謀』祥伝社、2013年

2013-10-09 22:38:26 | 歴史

                     


  本能寺の変は、豊臣秀吉の陰謀によるものである、明智光秀は冤罪である。著者が長らく主張してきたこの主張の集大成が、本書である。

  秀吉陰謀説の根拠は、信長が本能寺で横死したおり、秀吉は高松城で毛利を水攻めにしていたが、翌日には小早川隆景との間に講和を成立させ、直後、いわゆる中国大返しによって山崎まで、2万の兵を移動させ(約218キロ)、山崎の合戦で光秀軍を打ち破ったというが、そんなことができるはずがない、ということである。兵への食糧はどうしたのか、雨中の行軍だったというが、草鞋の調達はできたのか、これらはきわめて疑わしい、という。

  秀吉は天下盗りにむけて、水面下で動いていたというのだという。著者は書く、「本能寺の変」の通説とは、「初めに光秀の謀反ありき」に端を発し、『信長公記』に起因し、『川角太閤記』で潤色され『明智軍記』で完成された歴史事象が、さまざまな分野にも飛び火して、たとえば歌舞伎・文楽などの『絵本大功記』や『時今也桔梗旗揚げ』などの大衆芸能まで敷衍されて、江戸時代後期につくりあげられたものを、現代の作家諸氏の力作の賜物でまた引き継がれているのである、と(p.228)。

  著者は「本能寺茶会」に端を発し、信長の「御茶湯御政道」の一端にも触れながら、周到緻密に仕組まれた「秀吉の陰謀説」を明るみにだし、さらに明智光秀が祀られている御霊神社を取材し、奉納されているある系図の意図的書き違いにま言及している。著者は種々の歴史的資料を批判的に読み込み、光秀主犯説の誤り(本当の実行犯を著者は杉原家次とみている)、秀吉の陰謀、本能寺の変の真相を傍証している。

  本書に対しては、歴史の専門家からの反論もあり、斯界では論争になっているらしい。門外漢のわたしには、どちらが正しいのかを判断できる決定打がない。しかし、この本を読む限りでは、歴史上の大事件であるにもかかわらず、通説どおりの理解では、不可解なことが多すぎる。今後の研究の進展を期待したい