座禅でよく云われるのが、目は半眼にしなさいと云う言葉です。 私は長い間、暗闇の中で座禅を行なっておりましたので、目のことは意識しませんでした。
たまたま近くで座禅の会を毎日開いているのを知って、月に一回日曜日の朝に稲城の普門庵に参禅させて頂いたことがあります。 そこで和尚さんから、目は半眼にしなさいと云われたのです。
私は毎日行っていた座禅の時に、ふと浮かぶ雑念として、その目を半眼にする意味を考えて見ました。 自分なりの考え方は、人間は究極的に力が抜けた時には、半眼になるというものでした。
私たちが天に還る時には力が抜けて、下のものが排出され、なおかつ目は半眼になるという事実があります。
また一説によると、お釈迦さまが瞑想している姿を見たお弟子さんたちは、お釈迦さまは半眼で瞑想されているのを見て、目は半眼にするものだと感じたそうです。
以上のことを考えると、座禅の時には目を半眼にするのではなく、究極的に力が抜けて静かになったときに、目は自然と半眼になると云うのが正しいのです。 私自身の体験からも、そのことを感得したのです。