私は、無我夢中で我流の座禅(静功)を行なってきました。 幸いなことに、既成の腹式呼吸も逆腹式呼吸も知りませんでした。 ただひたすら、深呼吸の要領で、大きく吸って出来るだけ長くゆっくりと吐く呼吸を行いながら、真っ暗闇の中で、1時間胡坐を組んで、静かに坐っていただけなのです
たまたま初めて行なった1時間の静功で、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子を被ったような感じになったので、何となく面白半分、興味半分で、続けるうちに、あれよあれよと体に微妙な変化を与えるうちに、1ヵ月半で自発動を伴いながら、下腹の臍下丹田が動いてしまったのです。
したがって参考になるような本を痕から読んで、ああこういうウことだったのかと理解してきたのです。 ただひたすら長く吐く息に、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中していました。
長く吐く息だけに意識を集中していると、1時間はあっという間に過ぎていくのです。 したがって友人の病気回復を願って、坐っていた3時間も、あっという間に過ぎていったのです。
そんな我流の座禅を行う中で、一番大切なことは、すべては自然の流れに任せ、自然の摂理に従う気持ちを持つということでした。
吐く息を吐き切る寸前まで吐きながらも、そのちょっと手前で軽く息を止め、また大きく息を吸うという逆腹式呼吸も、無理をしながらも、あくまでも自然の流れが大切なのです。
その意味で、肺の動きと下腹の臍下丹田の動きについては、一般的に腹式呼吸は、始めに肺からと下腹から同時に吐き出すという「空の理念」は、理念そのものは立派なのですが、必ずしも肺の動きと臍下丹田の動きは、同期しないと感じております。
逆に、相反する動きになっているのが、体の生理的な自然の動きだと思っています。 肺から息を吐く時には、臍下丹田で気を吸う、肺から息を吸うときには、臍下丹田で気を吐くという関係が、自然の動きであると感じております。