ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

空の理念は良いのだが肺と丹田の動きは同期しない

2013-04-24 06:57:34 | 座禅

   私は、無我夢中で我流の座禅(静功)を行なってきました。 幸いなことに、既成の腹式呼吸も逆腹式呼吸も知りませんでした。 ただひたすら、深呼吸の要領で、大きく吸って出来るだけ長くゆっくりと吐く呼吸を行いながら、真っ暗闇の中で、1時間胡坐を組んで、静かに坐っていただけなのです

 たまたま初めて行なった1時間の静功で、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子を被ったような感じになったので、何となく面白半分、興味半分で、続けるうちに、あれよあれよと体に微妙な変化を与えるうちに、1ヵ月半で自発動を伴いながら、下腹の臍下丹田が動いてしまったのです。

 したがって参考になるような本を痕から読んで、ああこういうウことだったのかと理解してきたのです。 ただひたすら長く吐く息に、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中していました。

 長く吐く息だけに意識を集中していると、1時間はあっという間に過ぎていくのです。 したがって友人の病気回復を願って、坐っていた3時間も、あっという間に過ぎていったのです。

 そんな我流の座禅を行う中で、一番大切なことは、すべては自然の流れに任せ、自然の摂理に従う気持ちを持つということでした。 

 吐く息を吐き切る寸前まで吐きながらも、そのちょっと手前で軽く息を止め、また大きく息を吸うという逆腹式呼吸も、無理をしながらも、あくまでも自然の流れが大切なのです。

 その意味で、肺の動きと下腹の臍下丹田の動きについては、一般的に腹式呼吸は、始めに肺からと下腹から同時に吐き出すという「空の理念」は、理念そのものは立派なのですが、必ずしも肺の動きと臍下丹田の動きは、同期しないと感じております。

 逆に、相反する動きになっているのが、体の生理的な自然の動きだと思っています。 肺から息を吐く時には、臍下丹田で気を吸う、肺から息を吸うときには、臍下丹田で気を吐くという関係が、自然の動きであると感じております。