ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版097 みみずののみみず

2009年10月16日 | ユクレー瓦版

 先月、二週間ばかりユクレー島を留守にした。二週間、旅をしていた。旅と言っても近場、オキナワ島を北から南までブラブラしただけ。その終わり頃、ユイ姉の店に寄ってから帰ろうとナハへ向かっている途中、ケダマンに会った。

 「おや、まあ、こんな所にいたのか?」
 「地球を一周して、ちょうど戻ってきたところだ。」
 「そうか、一周したのか、で、どうだい、最近の世の中は?」
 「まっ、相変わらずだな。戦争はあるし、差別はあるし、貧富の差は広がるしだ。それにしてもよ、一方では食い物を大量に捨てていて、もう一方では食い物が全然足りないということが変だということに、何で人間は気付かないんだろうな。」
 「うーん、より強い者が弱いものからモノを奪ってるって図式だな。力の暴力だけじゃなくて、金の暴力もあるってことに気付かないんだろうね。」
 「おー、でよ、唄を作ったぜ。」
 「ほう、つまり、そういった内容の唄ってわけだな。」
 「まあな、とりあえずそうなんだが、先ずは、聞け。」と言って、ケダマンは歌った。大きな声で、聞き取りやすいように歌ってくれたが、しかし、何を歌っているのかほとんど意味不明。ミミズとかノミとかミズとかを繰り返しているだけ・・・のような。
 「分からん!何歌ってるんだ?」と、ケダマンが歌い終わってすぐ訊く。
 「えーっ、簡単だぜ、つまりだな、ミミズにはミミズの飲み水があって、ノミにはノミの飲み水がある。それは慣習として決められたことだが、それにも関わらず、自分の飲み水が干乾びたからといって他人の飲み水を奪う奴がいる、って意味の唄だ。つまりだな、それが野生の掟ってわけだ。強い者が勝つんだな。」
 「えっ?強い者が勝つってのを風刺しているわけじゃないのか?」
 「野生ではそうってことだ。でも、人間は野生では無い。」
 「あっ、そうか、野生から抜け切れない人間を風刺しているってことか。」
 「そうだ。ヘッ、ヘッ、ヘッ。」

 その後、二匹でユイ姉の店に行った。ちょっと店が空いたところで、ケダマンがさっきの唄を「俺の作詞作曲だ」と言って、ユイ姉に歌って聞かせて、
  「ピアノで伴奏できるか?」と訊いた。
 「そりゃあできるけど、演奏するのは嫌だね。」
 「何でだ?良い唄だとは思わねぇか?」
 「あんたさあ、俺の作曲だって威張って言ってたけど、そのメロディー、『おもちゃのチャチャチャ』じゃない。気付かなかったの?それに、そんな駄洒落の早口言葉みたいな歌詞も、私の趣味じゃないさあ。」
 「『おもちゃのチャチャチャ』?・・・って何だ?」とケダマンは言って、「のみのみず、のみのみず」と一節歌った。で、私は気付いた。そうだ、確かにそれは『おもちゃのチャチャチャ』のメロディーだった。
 「ケダ、ユイ姉の言う通りだよ、それは『おもちゃのチャチャチャ』だ。ということはさ、お前が作ったのはただの替え歌ってことだ。」
 「替え歌?ってか。うーん、ただの替え歌では惜しいな、そうだ、歌詞を書くから、お前、それをガジ丸のところへ持って行って、曲を付けて貰ってくれ。」

 ただの替え歌でも全然惜しいとは、私は思わなかったが、ケダマンがずいぶんと執心なので、その頼みを聞いてやった。後日、ガジ丸にその話をすると、意外にも、
 「あー、まあまあ面白ぇんじゃないか。」との感想で、「作曲してやりやしょう。」となり、で、先日、曲が出来上がった。軽めの曲だった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.16 →音楽(みみずののみみずのみのみず)


自由競争社会の迷惑

2009年10月16日 | 通信-社会・生活

 先週金曜日、午前中2時間半、夕方から1時間ばかり畑の草抜きをし、「今日はよー働いた。」と自分で自分を褒め、「今日はビール2缶飲んでもいいな。」と自分で自分の褒美を考えつつ、帰り、スーパーに寄り、肴を物色する。
 もちろん、ビール2缶だけで私の晩酌は終わらない。ビールの後は、「キュウリの糠漬けが1本残っているので今宵は日本酒」と決める。キュウリの糠漬けの他に、冬瓜と豚肉の煮物も多く残っている。これに加えるための厚揚げを買う。それと、料理する時間はあまり無いので、お惣菜のおから炒め(日本酒に合う)を1パック購入する。

 家に帰って、本日アップしたガジ丸HPに誤字脱字などが無かったか、写真のリンクミスが無かったなどの確認作業を終えて、糠漬けのキュウリを切って皿に盛り、厚揚げを加えた冬瓜の煮物を温めるなど飲む準備を整えて、シャワーを浴びる。
 テレビを点け、画面がちらつくTBS系の10チャンネルにして、ニュースを眺めながらビールを飲む。「あー、何という幸せ。」と人生の喜びに浸る。
 喜びに十分浸ったら、テレビを消し、ラジオを点けて、音楽を聞く。聴くのでは無く、聞く。聞きながら酒を飲む。そして、聞きながら酒を飲みながらパソコンを開いて、記事書きをする。ほろ酔い気分の状態で書いていると良いアイデアが浮かんだりする。良いアイデアが浮かぶとさらに気分が良くなり、酒が旨い。相乗効果だ。

  その夜もそんな良い状態にいた。ところが8時頃、小さなぐい呑みに2杯目の日本酒を注いだ頃、電話が鳴る。かけてきたのは知人の、設備工事会社の社長Gさん。
 「写真をUSBメモリーにコピーしたいんだが上手くいかない。来てくれないか。」
 「どうしても今日ですか?今ですか?」
 「明日、元請会社に届けなければならない。悪いけど・・・。」
 というわけで、ほろ酔いで良い気分にいた私だが、靴下を穿き、ズボンを穿き、上着をまとい、夜の外へ出る。Gさんの会社は徒歩10分ほどの場所にある。ただでさえ、夜外へ出るのは面倒だと思っている私なので、その足取りは重い。
 やっと(という気分)、Gさんの会社に着き、「嫌だなぁ」という思いが表情に出ないよう、入口で深呼吸をして、中に入った。

  「元請に、写真を整理して持って来いと言われている。写真の整理は今まで元請の方でやっていたんだが、今回から押し付けられている。」とのこと。言うことをきかなかったら、これから仕事を回さないぜ、ということのようだ。おそらく、「うちならそういうことも喜んでやります。」という設備会社はいくらでもあるのだろう。
 自由競争社会となって、元請、下請けの付き合いもドライになって、利益優先で、言う通りにしない下請けはあっさりと切られてしまう。情の差し挟む余地は無い。これが、数年前に濃い墨元総理が目指した自由競争社会だったようだ。
 Gさんは今60過ぎ。仕事上どうしても必要になったためパソコンを始めたが、それも50歳を過ぎてから。なので、なかなか上達しない。そんなことも元請の大会社は酌量しない。自由競争社会は冷たい社会のようだ。そんな社会で私は迷惑する。
          
          
          
          

 記:2009.10.16 島乃ガジ丸