週末の夕方、いつものようにユクレー屋に行く。いつものようにカウンターに座り、いつものようにマナがいたのだが、その日はしかし、ケダマンがいない。
「ケダマン、いないの?」と訊く。
「うん、昼間、散歩してくるっていって、まだ帰ってきてないね。」(マナ)
などと話をしていたら、噂をすれば影である。ドアが開いて、ケダマンが帰ってきた。
「どこ行ってたんだ?」と訊く。
「歯に染み透る秋の夜って、この島じゃあ今がその季節かなと思ってな、今夜は日本酒が飲みたいと思ってな、新鮮な刺身を肴にしたいと思ってな、で、シバイサー博士のところへ釣道具を借りに行ったのさ。」
「ほう、そりゃあ良い考えだ。で、獲物は?」
「いや、それが、博士のところへ行ったらゴリコの遊び相手をさせられて、その後、ガジ丸がやってきて、ちょっとユンタクしてたらこの時間になってしまった。」
「それじゃあ、新鮮な刺身は御預けってことだ。残念。」
「いや、新鮮な刺身はあとでガジ丸が持ってくるそうだ。今頃、釣っているころだと思うぜ。マナ、今日は日本酒にするぜ。でも、その前にとりあえずビール。」
ビールを三口四口、グビグビと流し込んだ後、
「シニカバカ、シニカバカ、シニカバカの夜は更けて」と、ケダマンが突然歌う。
「何よそれ、何の唄なのよ?」(マナ)
「あー、ガジ丸の作った唄だ。つい最近できた新作だそうだ。前に歌ったシバイサー博士の『寝たりん節』はどうでもいい唄だが、これは現代の心弱い男の悲哀が表現されていて、なかなか面白いぜ。何でもほどほどにしないと良く無いって唄だ。」
「ふーん、ちょっと興味あるね。何て唄なんだ?」(私)
「『シニカバカの夜は更けて』って題。」(ケダ)
「心弱い男の悲哀って、具体的にはどんな内容なの?」(私)
「日雇い労働者が一日の稼ぎをその日の内にスロットマシンで摩ってしまう。これではいけないと頑張って零細企業に就職するが毎日忙しい。その憂さ晴らしにキャバレー通いして、借金が溜まる。しかしまた、そこから踏ん張って中小企業に就職する。そこで、真面目に働くが、不況のせいでリストラに会う。で、無職になって、自暴自棄になって、酒飲んで暴れて、警察の厄介になるという悲惨な物語の唄だ。」
「ほーう、それは何だか面白そうだね。全部歌える?」(私)
「あー、歌えるぜ。マナ、これ、ピアノで伴奏できるか?」
「そんな、楽譜も無いのに伴奏なんてできないよ。それほど音楽の才能は無いよ。」
「楽譜はあるよ。ほら、これ。ガジ丸に書いてもらった。」
「えー、ちょっと待ってね。」とマナは言って、楽譜を見る。
「うん、そう難しくはなさそうね。ちょっと練習すればできると思うけど。でもさあ、現代人の悲哀ってのは分るけどさ、このシニカバカってどういう意味?」
「あー、シニカバカか。シニカバカはウチナーグチだ。バカは和語と同じでバカ、シニカがウチナーグチで、死ぬほどってことで、死ぬほどバカって意味だ。」(ケダ)
「あー、なるほどね。働いて稼いだお金をギャンブルや酒に注ぎ込む男は、死に値するくらいバカって唄だね。・・・って、あんたのことじゃない?」(マナ)
「あほっ、俺は怠け者ではあるが、もしかしたらちょっとはバカかもしれないが、シニカバカでは断じて無い。シニカバカをやっている者達の多くは怠け者では無く、精神の弱い者なんだぜ。欲望に溺れているだけだ。俺はそいつらとは違う。俺は俺の揺ぎ無い固い意志でもって怠け者をやってるんだ。どうじゃい!」とケダはふんぞり返る。
「怠け者を自慢するなんて、それこそバカみたい。」(マナ)
それからしばらくして、ピアノを鳴らしていたマナが我々に声をかける。
「できそうだよー、みんなで歌ってみる?」
「おー、歌おう、歌おう。」とケダが言い、私も一緒にピアノの傍へ行って、『シニカバカの夜は更けて』を三人で歌った。易しい曲なので、すぐに歌えた。
「なかなか良い歌だね。ヒットするんじゃないの?」とマナ、
「最後のジャジャジャジャーンはベートーベンの『運命』だよね。そういう運命なんだって意味なんだろうね。面白いよ。」と私の評価。そんな褒め言葉が聞こえたのか、外で大きなくしゃみが一つし、ガジ丸が手に魚を持って入ってきた。
「よー、ガジ丸、今、お前の唄を褒めてたところだ。」とケダが言う。
「『シニカバカの夜は更けて』だろ?外からも歌ってるのが聞こえてたよ。どれ、作った本家本元が歌ってみせよう。」
ということで、この夜は新鮮な刺身を肴に旨い日本酒を飲みながら、『シニカバカの夜は更けて』を繰り返し歌いつつ、夜は更けていった。
記:ゑんちゅ小僧 2007.12.14 →音楽(シニカバカの夜は更けて)