そのような部屋の中で展示されていた「孫総理実業計劃図」です。当時の中国国民党の領土認識が示されています。チベットも新彊も入っています。インド、ビルマとの国境も現状とは違います。
孫総理とは孫文を指しているのは明らかですが、「総理」は聞き慣れない名称です。孫文が「総理」の役職にあったのは、1905年8月20日~1912年8月25日中国同盟会総理と、1919年10月10日~1925年の中国国民党総理の2時期です。両方とも総理とは首相ではなく、政党の長を指しています。この写真に出ている総理とは中国国民党総理の時代のことと推定します。因みに1921年5月5日から1922年6月16日は中華民国大総統(非常時期)でもあったので、この時期なら、孫大総統というでしょうから、ここで言う孫総理とはこの時期ではないと思います。
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