住職のひとりごと

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水子の葬儀について

2018年04月11日 13時37分26秒 | 仏教に関する様々なお話
先日、水子のお葬式をさせていただきました。水子は葬儀をしなくてもよいもの、供養のためには墓所に地蔵尊を祀りそこに遺骨を納めたらよいという程度に考えていました。しかし、この度、若いお父さんから、たとえ14週までであっても母親のお腹の中で命をともにした赤ちゃんをきちんと一人の子として考えたいとの切実な真面目な思いを聞くにしたがい、きちんとお葬式をしてあげたいと思うようになりました。そしてまずは、どのように水子の存在を捉え葬るべきかと考えました。

調べをしてみると、医学的な死産というのは妊娠22週以降のことだそうですが、妊娠12-22週の流産の場合にも死産届の提出と火葬の義務があります。この家族の場合、14週でお腹の中で亡くなったので流産ということになりますが、死産届を提出し火葬許可証を取得する必要がありました。死産の子のための小さな棺を用意し、特別に火力を抑えて火葬され、遺骨もわずかであっても小さな骨壺に入れられるとのことでした。

因みに、妊娠22週以降は死産・早産という扱いになり、死産届の提出と火葬の義務があります。これは妊娠12週から22週までの場合と同様ですが、誕生後亡くなりますと、出生届を出す必要があります。また、妊娠24週を超えると通常人が亡くなったとき同様に、死産後24時間たたないと火葬することはできません。

ある統計によれば、6ヶ月までの死産では6、7割の方が火葬のみですが、8ヶ月あたりから火葬のみの方は1、2割程度となり、ほとんどの家族がお葬式をされているということです。しかし、赤ちゃんの月齢に関係なく、ご家族がお葬式を希望されるならそのお気持ちを尊重してあげるべきだと思います。(下記・水子供養のすべて[まとめ]知らないと困る死産の時の火葬の手続きから葬儀・供養 参照)

ところで、水子は生まれ出ていないのだから、純粋な存在であり、煩悩がない、清らかなのだからお葬式は必要ないと考える方もあるようです。それは、本当でしょうか。生まれ出たばかりの赤ちゃんも純真で何の汚れもないようには見えますが、そんな赤ちゃんであっても、今生に生まれる前からの沢山の業を抱え持って生まれてくるんだと、仏教では考えます。

私たちの命は今生が初めてのものではありません。また、たった一度の人生でもありません。生きとし生けるもの、衆生はみな六つの世界に流転し、何度となく生死を繰り返してきています。みんな違う顔をして、違った才能を持ち、違った好み嗜好を持って生まれてくるのも、そうした過去の生涯での蓄積がみんな違うからです。お釈迦様のような最高の悟りを得ずに、全ての煩悩を消滅させ得なかった凡夫衆生は、死に際に、もっと生きたいという煩悩が起こり、この輪廻の世界にまた生まれ出てしまうのです。

いま私たちは、生まれがたき人間という恵まれた世界に生きていますが、それは前世までの行いが比較的良好で、善業の蓄積があり、そのお蔭でお母さんのお腹の中に入り、命の宿った身体と一体となって、人として生まれ出てくることが出来ました。ですから、残念ながら今回はお母さんのお腹の中で十分に成長することが出来なかった水子も、少なくとも人間に生まれる業はあったと考えられます。

また、仏教はなにごとにも因縁ありとも言います。すべてのことは原因と結果するための様々な条件が合致してはじめて生起します。人との出会いも、因と縁が重なり生まれるものです。であるならば、この度、残念ながら死産になってしまった水子の心もこのお母さんお父さんのもとに生まれる因縁があったと考えられます。

であるならば、もう一度頑張って、身体の健康を回復されて、また、精神的にも落ち着いた中で、お父さんお母さんに命を授かることで、この度お母さんの中に入ったのに生れ出てくることのできなかった水子に、再びお母さんのお腹の中に入ってもらって、今度こそ元気な産声を上げてくれるようにと願うことこそが水子が望んでいることでもあり、最も水子が喜んでくれることではないかと考えました。

お葬式では、ご家族の予め用意されていたお名前を入れた六字戒名も用意させてもらい、本堂に祀られた地蔵尊の前に特設の祭壇を設け、位牌、遺骨壇、御供えをし、引導作法をして、戒名を授け、諷誦文を読み上げて、読経しました。前世でも人間界で死後お葬式をしてもらっているかもしれませんが、改めて水子の縁によって、仏式にて三帰五戒をお授けしました。近い身内だけの小一時間のお勤めでしたが、十分に喪主ご家族には心通じるものがあったように感じられ、残念ながらこの度は生まれ出ることが出来なかった水子の心に、次に繋がる何かを感得いただけたようにも思われました。

この度の妊娠、そして死産という悲しい出来事によって、若い父母の心にはこれまでになくいろいろな思いが去来し、命、家族の尊いつながりやありがたさ、そして亡くなった命を供養する心を学ばれたことでしょう。小さな位牌も用意されて、小さな骨壺を祀り日々供養されることと思います。私自身もこの度の思わぬ水子の葬儀を依頼されて、迷いながらもいかにあるべきかと思考し、あるべき水子の葬儀を執り行うことが出来ましたことに感謝申し上げたいと思います。関係された諸氏にも、このような機会をいただきましたことに御礼を申し上げます。


(参照)
水子供養のすべて
[まとめ]知らないと困る死産の時の火葬の手続きから葬儀・供養
http://水子供養方法.net/shizan-sougi.html#comment-2


(参考文献)
『子どもは親を選んで生まれてくる』池川明著・日本教文社

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