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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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幅広く仏教について考える

仏飯御茶湯の効用

2025年04月26日 13時17分16秒 | 仏教に関する様々なお話
仏飯御茶湯の効用




毎朝、鐘をついて仏飯、御茶湯を三十数ヵ所差し上げ、燈明お線香を灯しお勤めする。5時に鐘をついて、お勤めが始まるのが5時25分。もうこれを毎日、土日祭日なく25年間続けているだろうか。午後にはそれらを下げて、香華など明日のお勤めの準備をするのは、毎日の日課。

皆さんも仏壇にお供えしお勤めされていると思うが、皆さんのご家庭でも何十年と続けられていることだろう。勿論御供えは仏飯御茶湯に限られたものではなく、常に花は勿論、果物や饅頭などもあがっているとは思うが。

毎日換えられるのは仏飯御茶湯であろうか。毎日毎日、なんで御供えするのだろうか? 習慣になり、何でなどと考えることもないかもしれない。お母さんに言われたとおりしてきて何の疑問も感じずにしているかもしれない。

四恩という言葉がある。様々な解釈があるようだが、一般には父母・国王・衆生・三宝の四つとされる。だから、まず第一には私たちが恩を感ずべき対象である亡き父母への供養のためということもある。

お釈迦様は、善き人、良識ある人の立場とは、自らの恩恵に気づいている人だと言われた。自らがいまこうしてあるのは誰のお陰か、何によっていまにいたっているのかと、考えたとき、いまは亡き先祖、御縁有った人々ということになろうか。お寺では先師、歴代住職、そしてお寺を守ってきてくれた檀信徒、その先祖代々、そして本尊様、仏様方ということになる。

そうした皆様に、毎朝少しずつの仏飯ではあるが、今あることの感謝の気持ちを顕す、今あるのは自分たちの力でなどないのだと確認する意味でも大切な行いであろう。

そうして行う功徳が自らの善業となりよい未来をもたらし、よき家族身内の幸福繁栄をもたらすということになる。

報恩謝徳という言葉があるが、それは単に対象となるお世話になった人や神仏に対するばかりか、四恩の中に衆生とあるように、ありとあらゆるものたちのお陰でいまあることへ思いをはせ、感謝を捧げることを含むのではないか。とても幅広い意味として受け取るべき言葉であろう。

つまり、この言葉からは、生きとしいけるものがよくあって欲しい、幸せでありますようにという思いが自然と湧いてくるものであろう。そこには国や人種や宗教も、年も性別も関係ない、人も動物も昆虫も微生物も、化生も、あらゆるいのちがよくあって欲しいそういう差別のない思いを作る言葉であるとも言えようか。

家に仏壇や神棚がない方もあるだろう。それでも、日々先祖や亡き父母に感謝の気持ちを表すために、何かお供えするような習慣はあった方がよいだろう。家に祀るものがなければ近くのお寺神社に詣るとか、仕事の合間に通りかかった寺社に参ったり。

昔親兄弟を立て続けに亡くされた方があって、自然と亡き人たちの戒名を紙に書いて棚に置き、毎朝出がけに手を合わせていたという。それから、そこに何か御供えを置くようになり続けていたら、自然と自分が何かあっても守られていると感じるようになったと言われていた。その方はその後末期のガンにもなるのだが、そのお蔭か奇跡的に最先端の医療者と出会い、痩せられはしたが今も元気に活躍されている。

そんな先祖や周りの生きとし生けるものに感謝するなど当たり前ではないか。そう考える人もあるだろう。また、心で思っていたら良いと言われる方もあるかもしれない。が、やはり形に顕して初めて果報が期待されるものではないだろうか。これからも毎朝の仏飯御茶湯をひとつ一つ大切に御供えさせてもらおうと思う。


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