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座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

『渋沢栄一の深谷』

2021-05-05 | おしゃべり

ブラタモリに出演なさった方(例の、「砂壌土」のセンセイです)

の著書に『渋沢栄一の深谷――写真で訪ねる ふるさとの原風景』

という本があります。

(著者:河田重三 清水勉、さきたま出版会、1800円+税、

 協力:公益財団法人 渋沢栄一記念財団)

 

 

 

          

          都内某所の書店にて。オッと思って撮影。

 

 

 

タイトルに「写真で訪ねる」とあるように、

写真でいっぱいの本です。

 

栄一の生涯を通した多彩な活動を反映して

多様な方面から あらゆる活動の歩みと

その背景を紹介していて 飽きさせません

 

というか、まだ読んでいないのですが、

飽きなさそうです。

 

 

 

 

「8 利根川舟運の拠点 中瀬河岸場」の写真、

「遠く榛名山(左)と赤城山(中央)を望み、

 利根川を背にする中瀬集落」(p29)

という写真を見て、住職は

「中瀬の吉祥寺が載ってる!」といって大声を出しました(笑)。

 

また、パラパラとめくっては 

ここは、あそこだ! と喜んでいました。

 

地域を知ってる人には とても楽しい本です。

 

知らない人には 

身近に感じていただける写真でいっぱいの本です。

 

中瀬河岸場を 渋沢栄一を 桃井可堂を 煮ぼうとうを

東京駅を 深谷の煉瓦を 富岡製糸場を 東京商工会議所を 

東京証券取引所を 東京都健康長寿医療センターを 

血洗島を 渋沢平九郎を

少しでも知りたいと思う人には

ぜひ手に取っていただきたい本です。

 

1800円(税別)です。

 

 

 

 


見たぁ? ブラタモリ

2021-05-05 | おしゃべり

土曜日の「ブラタモリ」、ご覧になりましたか?

 

私はとっても楽しみました。

 

だって、ご近所の風景や 知ってる人がいっぱい出てきて、

映ったり お話してくださるんですから、

楽しいですよぉ。

 

地面に上手に絵を描いた可愛らしい小学生のお顔も 

エンディングで拝見できましたし、

私的には、とっても良い番組でした。

 

 

 

それにしても、「砂壌土」って、知りませんでした。

 

というか、「砂壌土」という言葉さえ 知りませんでした。

 

中瀬の吉祥寺近辺の土は 粘土質だなぁと感じていましたが、

砂が多く含まれているとは 考えてもみませんでした。

 

知らない事を学ぶ事ができるって、楽しいです。

 

なんか、賢くなれたような気になるじゃないですか。

 

楽しいです。

 

そんなところに「ブラタモリ」が好きな理由が

あるんだと思います。

 

 

 

「砂壌土」。

 

う~~~ん。

 

忘れそう。

 

 

 


明日は必見! ブラタモリ

2021-04-30 | おしゃべり

先週のNHK「ブラタモリ」をご覧になりましたか?

 

埼玉の特集という事で、

「ブラタモリ」で撮影した長瀞の過去の映像が流れていました。

 

地形が特殊で、長瀞はやはり特別な場所なのだなぁ、

と知りました。

 

 

 

来週は「深谷」との事で、

度々 深谷の映像が挟まれていましたが、

中瀬の吉祥寺のご近所さんが映っていましたよ!

 

すぐ近くのお宅です

 

とっても楽しみです

 

渋沢栄一に関連した映像が多くなると思いますので、

「渋沢栄一記念館」とか「深谷ネギ」とか「ふっかちゃん」とか、

あと 深谷産の煉瓦と東京駅との関連で

「ホフマン輪窯」とか「深谷駅」とかも出てくるのではないでしょうか

 

 

残念ながら 「中瀬の吉祥寺」は出演していないのですが、

とっても、とっても、楽しみです

 

皆さん、どうぞ お見逃しなく

 

 

 

          

           3月19日撮影

 

 

 


吉祥寺の不動堂、テレビ出演!?

2021-02-02 | おしゃべり

向島地区にある吉祥寺不動堂が

テレビに出ます!

 

 

 

NHK大河ドラマ「青天を衝け」は

初めて埼玉県が舞台となります(途中まで?)。

 

我等が郷土の偉人 渋沢栄一が主人公です。

 

若き日の渋沢栄一を語るうえで、

地理的なものは はずせません。

 

生誕の地が、利根川という水運の要衝にあった

という事は さまざまに影響を与えていると思います。

 

商売も、知識も、思想も、行動も。

 

利根川を渡って北へ向かう人々の多くは

当地近辺を通ったはずです。

 

渋沢栄一の藍玉もそうでした。

 

水戸の天狗党もそうでした。

 

そういった時に 

中瀬の吉祥寺周辺の川岸地区の船着き場は

さまざまなものを見てきたのでしょう。

 

向島地区の不動堂も、また。

 

 

大河ドラマ「晴天を衝け」の放送が 

2月14日から始まります。

 

2月21日に放送される第2回の後の、

「ふるさと紀行」の中で

向島の不動堂や 

河岸場の面影を残す川岸地区の通りが

紹介される、と 公民館だより2月号にありました。

 

吉祥寺周辺が どんなふうにカメラに写るのか、

楽しみなような、心配なような(笑)。

 

 

 

 

 

画像はどちらも10年前のものです。

 

節分 その2

 

OGPイメージ

節分 その2 - 座敷ネズミの吉祥寺だより

1時頃から護摩を焚き始める、と聞いていました。その1時頃に家を出て歩いて行きました。不動堂に到着すると、まだ護摩の最中。住職が護摩壇の前に座...

節分 その2 - 座敷ネズミの吉祥寺だより

 

 

 

 

 

 

強風の中で 本堂や観音堂へのお詣りを済ませ、

ともかくも、今年の節分祭も 無事に終りました。

 

この、節分が2月2日って、極めてレアな事だって、

御存知でしたか?

 

節分は 2月3日の事が多いのですが、

2月4日の事もあったな、と うっすら記憶しています。

 

2月2日になるのは、124年ぶりですって

 

貴重な機会では ありました。

 

 

 


角大師の掛け軸 続き

2021-02-01 | おしゃべり

先日は くたびれてしまって。。。

今日は最後まで書こう、角大師の掛け軸の、

左側に 縦書きで書かれている(刷ってある)部分を。

 

 

 

 

 

 

 

慈恵大師常住金剛降魔尊影敬写施行一千幀之内

願此功徳仏天哀愍令法久住利益人天天下和順日月

清明風雨以時災⊡不起國豊民安兵戈無用崇徳

興仁務修禮譲乃至法界平等普潤      

 

     元治元秊甲子五月叡岳大行滿菩薩比丘願海大悲畔体記

 

⊡は、マダレに萬です。

 

それほど難しくはない漢字(でも、読めない)の羅列。

 

 

 

 

 

 

その中に、人の名前らしい部分があります。

 

「願海」と読めます。

 

あら、願海さんなら、歴代の住職の中に、いたんじゃない?

 

と思って、歴代住職の羅列を見てみました。

 

 

 

中瀬の吉祥寺の住職は、ずっと、全部

分かっています。

 

辨圓さんから、玄海さん、恵海さん、舜海さんに、

寛海さん、善海・・・。

 

あら、いません。

 

法名に「海」の字のある住職は 何人もいるのに、

「願海」さんはいません。

 

「願海」さんは 吉祥寺の住職になった方では

なかったようです。

 

では、どこの方だったのでしょう?

 

ちょっとそこまで推理するのは 

ホームズ君かコナン君じゃないと無理

 

 

 

 

 

虫食い穴が開いているのを表具しなおした

古い(あるいは、単に保存が悪かった?)軸でもあり、

どこからどう通ってここまで来たのかはわからない、

そんな掛け軸でした。

 

刷ったのは元治元年とは 限りませんし。

 

元治(げんじ)元年?

 

それは、いつ頃でしょう?

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%B2%BB

文久の後、慶応の前。大化以降242番目の元号。

1864年から1865年までの期間。

この時代の天皇孝明天皇

江戸幕府将軍は徳川家茂

 

もうすぐ江戸時代が終わる、というあたりですね。

 

私のお気に入りの日本史年表によると、

1858年に コレラが流行とか。

 

生麦事件が1862年、

薩英戦争が1863年、

元号が元治になったのが1864年。

 

この年、池田屋騒動や 蛤御門の辺があり、

・・・・・・・・・、

歴史の教科書やテレビドラマの俳優さんの顔が

頭の中でグルグルしますが、わけがわからん。

 

また、

1860~65年ごろには

「米価高騰による農民一揆が頻り。」とか。

 

1866年には 徳川慶喜が将軍となります。

 

「願海」さんは 世情に不安を覚えたか、

不安を訴える人が周囲に多かったか。

 

 

 

 

 

紙に書いた、あるいは 版画で刷った角大師も

人の心を ひとまず安心させて

冷静に 自分のなすべき事を思い出させるには

有用であったかもしれません。

 

可愛らしい(少々不気味であっても)あまびえちゃんに

頼りたい気持ちは 私にもあるのです。

 

変異型が県内で見つかるなどしているので、

角大師よ、元三大師よ、慈恵大師よ、良源さんよ、

よろしく、よろしく、お願いしますよ。

 

          

 

 

 


元三大師

2021-01-19 | おしゃべり

元三大師は なぜ元三大師というかというと、

お命日が1月3日だったからだそうです。

 

本名は良源(りょうげん)、

西暦912年、滋賀県長浜市のご出身だそうです。

 

慈恵大師とも言います。

 

第18代天台座主となりました。

 

 

ウィキペディア「良源」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E6%BA%90

 

なんと、おみくじの開祖です!

 

中瀬の吉祥寺の観音堂のおみくじでも お世話になっています!

 

 

 

 

 

元三大師は 日本に疫病が流行った時に 

疫病神を自らに取りつかせて

その疫神と闘ったのだそうです。

 

疫病神(やくびょうがみ ではなくて、えきびょうしん)。

 

う~~~ん、日本では 疫病までもが神さまになってる!(笑)

 

 

 

その時、弟子に命じて 疫病と闘う自らの姿を描かせ、

その絵を版木に起こして印刷して配り

この御札を玄関に貼った者の家には 

疫病は近寄らない、としました。

 

 

 

          

 

つまり、疫病に罹患しても 自力で治してしまったようです。

 

なんたる 気力! 体力! 免疫力!

 

そして、この姿を模した御札を貼った家には

近寄らないように 疫神と対話・交渉したのか?

 

なんたる 交渉力! ごり押し力!(笑)

 

 

 

 

 

 

日本中の天台宗の寺院には 

この 一見 恐ろしい鬼のようなお姿の

元三大師が祀られたり 御札を配ったりするお寺さんがあります。

 

元三大師の弟子が おそらくは紙に筆で描いたものを

版木に起こして 刷って 配って

配られたものを さらに版木に起こして 刷って 配って

手に入れた御札を さらにさらに版木に起こして・・・

 

をして、各地に元三大師信仰と共に広がっていった御守り札です。

 

各地の御札をよく見ると、

全部が同じよう。

 

同じようでいて、必ず どこかが違います。

 

それは、版木に彫った時に 必ずどこかしら 違っていて

全国に伝播する際に 少しずつ少しずつ 変わっていったから。

 

 

不思議で面白い事です。

 

 

 

          

           中瀬の吉祥寺にある掛け軸のお姿

 

 

ね?

 

よく見ると、全然違っているでしょう?

 

 

 

ちなみに この角(つの)は、

長くて持ち上がった眉毛かもしれないそうです。

 

もちろん、眉毛が長かったら、

必死で病魔と闘う時には

天を衝くほど 持ち上がったかもしれません。

 

でも、できたら、角の方が面白い。

 

疫病と闘っている時ですもの、

鬼のように必死になって、

もしかしたら 角が生えていたかもしれないじゃないですか!

 

 

 

 

 

年末まで 吉祥寺の大玄関には

アマビエちゃんがいました。

 

 

   

 

川越のお菓子屋さんのものだったと思いますが、

わざわざ予約して 買って来て下さった方がいて、

美味しい和菓子を頂戴しました。

 

その時に入っていたアマビエポストカードです。

 

最初は「商魂たくましいなぁ」と思いましたが、

ちゃぁんと普通に美味しい練り切りでしたし、

なにより それを届けて下さったご好意に感謝しました。

 

今年も たくさんの方々のご好意と

元三大師にもアマビエちゃんにも守っていただいて

粛々と吉祥寺は 役割を果たしてまいります。

 

 

 

元三大師(がんざんだいし)の御札、

ご希望の方は 中瀬の吉祥寺までお申し出下さい。

 

 

 


御札の場所

2021-01-17 | おしゃべり

中瀬の吉祥寺では、毎年 年明けに

檀家・信徒の方々に 御札を差し上げています。

 

一枚は「本山札」で、

天台宗総本山 比叡山延暦寺から取り寄せた、

各家の今年一年の無事安寧を祈念するための御札です。

 

仏壇や神棚などにお祀り下さい。

 

 

 

もう一枚は 「戸守り」です。

 

火伏(ひぶせ)、盗賊除け(とうぞくよけ)のための、

吉祥寺独特の御守護札です。

 

 

今年はもう一枚、「角大師(つのだいし)」があります。

 

比叡山の元三大師様に因んだ 疫病除けの御札です。

 

コロナ禍の今年に限り 檀信徒に授与させていただきます。

 

こちらは、玄関や神棚にお祀り下さい。

玄関や裏口などに お祀り下さい。

 

 

 

角大師、ご存知でしたか?

 

仏遊会が中止になった頃から

本堂には ずっとこの掛け軸が掛けっぱなしでした。

 

     

      本堂正面の左側

 

ずっと本堂の南東の角(かど)、涅槃図の近くに掛けてあり、

元旦には 正面に。

 

 

天台宗の寺院では この角大師を配るお寺さんも多くて、

伊勢崎市や 神川町でもお配りしていると聞きますし、

ご覧になった方も多いと思います。

 

比叡山延暦寺の横川(よかわ)にお参りした事のある方、

思い出しませんか?

 

角(つの)が生えた、異形の御守りの数々。

 

 

 

          

           角大師と豆大師

 

 

 

次回は 元三大師について

ちょこっとおしゃべりしましょう。

 

 

 


武器学校前

2020-12-10 | おしゃべり

私の生家は 茨城県にあります。

 

国道125号線沿いの 霞ヶ浦のほとりです。

 

滅多に聞かれる事はありませんが、

そう答えると、聞いた人からは だいたい

「ふ~ん」とか「へ~~」とかの反応があります。

 

まれに「その辺、行った事があります!」と言われれば、

「レンコンが美味しいんですよ」とか

「鯉は 洗いより旨煮!

 でも、寒くなると、何といっても

 鯉こくが美味しくて、あったまりますよね!!!」

などとお話できます。

 

けれど、<霞ヶ浦>と聞いて

連想が戦争と直結する方々とは

話が続きません。

 

12月4日「予科練の歌」の続きです。

 

 

 

 

 

その中のお一人は 

「あれは昭和20年の ○月○日、

 私は・・・・・・」

と必ず年月日入りで記憶をたどって

何度も何度も お酒が入る度に

同じお話をして下さった方。

 

戦友が 霞ヶ浦のほとりに実家があったとかで、

終戦の年に もう一人の戦友と 訪れたのだそうです。

 

必ず年号入りで、

そして 必ず 大陸での戦闘体験まで続きます。

 

「だから戦争は良い! いけない!」だとか

「私はその戦闘で勝った! 負けた!」 だとか

「辛かった、悲しかった、楽しかった、嬉しかった」だとかは

決しておっしゃらないけれど、

必ず終わりまで語り続ける方でした。

 

だから、どう、 ではなく、

とにかく、口に出してしまわなければいられないくらいの、

かなり過酷で強烈な体験で、

そして 消化しきれずに胸の奥に残っている記憶なのだろう、

と 今の私なら想像もできますが、

 

当時は

「どうして こうも毎度 同じ話を繰り返すのだろう」

くらいしか考えられずに

ただただ 相槌を打ちながら呆れていたのでした。

 

お家の人たちは もう 誰も聞いてくれないんだろうな、

なんて思っていました。

 

(それを お家の人に確認した事はありません。)

 

 

 

一ヶ月ほど前のケヤキ。ケヤキの黄葉も美しい。

 

 

 

 

 

もうお一人は

出身地を伝えると

「えええっっっ!!!!!」

と大げさに驚いて 絶句なさった方です。

 

私は「?????」でしたが、

やがて

「私は予科練にいたのです」と。

 

「あ、そうですか」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 

 

沈黙は 私の言葉の続きを期待なさっているからだと感じて

私は 言葉を探しました。

 

「あそこには 「武器学校前」というバスの停留所があって、

 私は時々バスに乗ってそこを通りました」

 

実は、私と予科練のつながりは 

「予科練の歌(若鷲の歌)」があっただけで、

他には何もないのでした。

 

その停留所で降りた事もないし。

 

あとは、「武器学校前」というバス停の名前が

恐ろし気だなぁ、と思っていたというくらいで。

 

陸上自衛隊武器学校 https://www.mod.go.jp/gsdf/ord_sch/

 

 

 

 

けれど、その人は 

私を見つめて 次の言葉を待っているようでした。

 

あと? 他に? 何を話せって?

 

 

 

「私はバスに乗って たまに通るだけでしたけれど、

 あそこは 窓から見ると 

 大きな格納庫のような屋根が見えて」

「そう、そう!!」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

 

 

「その向こうに、霞ヶ浦が広がっているんです」

「そう、そう!!!」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

 

 

 

他に、何かある?

 

 

 

ただ、その時のその方が

今にも笑いたそうな、泣きたそうな、

複雑な表情をずっとなさっていたと

今 思い出せるのです。

 

そして その表情を思い出すと

見開いた目は 涙をためていたようにも思えるのです。

 

そのお顔を 忘れられません。

 

けれど そのお顔を思い出したのは、

ご高齢だったその方が亡くなられた時でも

その後 奥さまが亡くなられた時でもなく

だいぶ経ってからでした。

 

そう、それは 今年

朝ドラ「エール」で 予科練の歌を聞いてからだったのです。

 

 

 

同じ年代の奥さまが 

ご主人が予科練にいた事を

ご存知ないはずはありません。

 

けれど どれほどの思い出話をなさってきたでしょう?

 

あるいは 息子さんや娘さんに それから お孫さんに 

お話なさってきたでしょう?

 

 

死を覚悟して 予科練の地に赴いて

生きながらえて 

戦後を生きぬいて

繁栄を築いて

安定した生活を手に入れて。

 

今の私なら

それらのすべてが 日本の近現代史だったのだなぁ

と思うのですが。

 

いくらでも思い出話をお聞きしたいくらいなのですが。

 

あの老人のうるんだ瞳に出会った時は

少々迷惑に思ったのでした。

 

 

 

うまく言えませんが、

あの しわくちゃの顔の

笑っているような泣いているような顔を

私は忘れないようにしたいと思います。

 

 

 

 

 

朝ドラ「エール」で聞いた懐かしい歌が

口をついて出てくると

「うふふ」と思っていたのですが、

「予科練の歌」つまり「若鷲の歌」だけは

あの方のお顔を思い出して

心がザワザワして 

最後まで歌えなかったし、笑えない私でした。

 

 

私の思い出話にお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

 

 

 

「エール」の最終回は 

必要か? と思っていた歌謡ショーでしたが、

馬具職人の岩城さんこと、吉原光男さんの

「イヨマンテの夜」を聞けて、大満足でした♪

 

劇団四季のご出身とは 知りませんでした!

 

 

 


予科練の歌

2020-12-04 | おしゃべり

朝ドラの「エール」が終わりましたね。

 

(「おちょやん」が始まりました。子役がいいですね!)

 

「エール」が放送されている間、

その朝にピックアップされていた曲は

一日中、少なくとも午前中は 頭に残っている事がありました。

 

好きな歌なら、なおさら!

 

ふとした弾みに、歌ってしまいます。

 

(ただし、「長崎の鐘」は難しくて歌えませんでしたし、

 「とんがり帽子」の時は、つい笑ってしまいました。)

 

そんな中、口をついて歌が出てきそうになると

複雑な思いがして つい歌う事を止める、

というものがありました。

 

 

 

若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨(いかり)
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く

 

「若鷲の歌」です。

 

映画『決戦の大空へ』の主題歌として 

大ヒットしたそうです。

 

私はこれを 子供の頃 良く聴いて知っているので、

歌えるのです。

 

それは「懐かしの歌声」のおかげではなくて、

家に集う酔っぱらいの歌で 良く聴いていたせいで、

一番の歌詞なら そらで歌えるのです。

 

 

 

 

 

子供の頃、酔っぱらいたちは

歌を歌いだすと 歌うのはもっぱら

「チャンチキおけさ」(1957年)と

「潮来の伊太郎」(1960年 正しくは「潮来笠」)、

あとは軍歌、戦時歌謡でした。

 

戦時歌謡の中でも 「予科練の歌(若鷲の歌)」は

リズムも良く、頻繁に歌われていたように思います。

 

早い話、みんなで声をそろえて一緒に歌える歌というのは、

他にあまりなかったのです。

 

「チャンチキおけさ」は 

お箸でお皿を叩くという、もっとも行儀の悪い事を 

お酒に酔った勢いも借りて平気でできちゃう、

という快感もあったのではないでしょうか。

 

そして、「潮来笠」と「若鷲の歌」は

今でいう、ご当地ソングでした。

 

皆、<身近な歌>として 好んで歌っていたのです。

 

 

私の実家の近所の人にしてみれば、

潮来も 予科練も 地図で見ると 

さほど離れていない国道125号線上のご近所です。

 

横浜や長崎の人には理解できないかもしれませんが、

自分たちの住む地域(の、ご近所)が

歌に歌われるという慶事は 滅多にありません。

 

みんな<俺たちの地域の歌>として 

喜んで歌っていたように思います。

 

 

そんな中で。

 

 

 

つづきます。

 

 

 


エール

2020-11-22 | おしゃべり

東京12チャンネルの番組「なつかしの歌声」の影響で、

私は古い歌を知っている方だと思います。

 

「なつかしの歌声」は 母の好きな番組で、

当時 全盛期だった歌番組を

親の小言を聞かずに見るためには

週に1度 1時間の我慢をしなければならなかったのです。

 

(コロンビア トップ・ライト が司会をしていました。)

 

そんな私にも 

昔の歌の中には それなりに好きな曲があり、

往年の名歌手には それなりに好きな声の人がいました。

 

 

 

 

 

今月に入った時、

朝ドラの「エール」は いよいよクライマックスだそうで、

懐かしい曲がどんどん出てきました。

 

「エール」で再注目された古関裕而氏が

早稲田と慶應の 両方の応援歌を作曲してたとか、

巨人の「闘魂こめて」と 阪神の「六甲おろし」の

両方を作曲してたとか〈中日の歌も)、

この番組を見るまで知らなかったし、

知って笑っちゃいましたが、

 

今月に入って久しぶりに聞いたのが

「栄冠は君に輝く(夏の全国高等学校野球選手権大会の歌)」でした。

 

好きな歌です。

 

私の好きな歌手の伊藤久雄が歌っていたのを

聞いた覚えはありませんが。

(私は「イヨマンテの夜」が好きでした。)

 

 

 

 

 

頑張る人を応援する歌というのは、

力強くて、気分が上がってノリが良く、

聞いていて気持ちの良いものです。

 

そして そんな歌を たくさん作っていたのが、

古関裕而氏でした。

 

「エール」とは、

最適なタイトルをドラマにつけたものだと思います。

 

そして、そういった<よい曲>には

<よい歌詞>があるなぁ、との思いも強くなりました。

 

「栄冠は君に輝く」にも よい歌詞があり、

よい歌詞の裏には ドラマがありますね。

 

 

 

また、古関裕而氏の作曲ではありませんが、

高校サッカーの応援歌「ふり向くな君は美しい」とか、

国民体育大会の歌の「若い力」とか、

ワクワクして力が湧いてきそうな曲、

大好きです。

 

 

 

ガッカリする事もたくさんある中で、

誰かを応援できるというのはステキな事だし、

応援する歌を歌えるのは幸せな事です。

 

今日は「栄冠は君に輝く」を聞いてワクワクし、

作詞者についての話を読んでウルウルしました。

 

 

【コロナに負けるな!】第4弾 中部方面音楽隊「栄冠は君に輝く(鶫真衣)」いまこそ音楽の力で心をひとつに

「コロナに負けるな!」第4弾は、全国高等学校野球選手権大会の歌、古関裕而作曲「栄冠は君に輝く」を、西宮市の協力を得て鳴尾浜臨海公園野球場にて...

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「栄冠は君に輝く」に込められた作詞家の思い 前編 - 高校野球 : 日刊スポーツ