座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

青天を衝いた

2021-12-27 | おしゃべり

NHK大河ドラマ「青天を衝け」が終了しました。

 

住職も私も かなりハマっていて、

毎回必ず、食い入るように画面を見ていました。

 

一字一句 聞き漏らすまいという気持ちでしてた。

 

(オープニングの音楽も好きでした。)

 

ある晩には 放送中に親しい方から住職に電話があり、

住職は「深谷市民は この時間は <晴天を衝け>を見てるんだよ!」

と叱ったのだそうです。

 

お蔭で(?) 最終回は 電話に邪魔されずに

ゆっくりと鑑賞できました(笑)。

 

 

 

 

          

          渋沢栄一記念館の栄一さん

 

 

 

 

我が家では一大ブームとなった「青天を衝け」ですが、

よその地域ではどうだったのでしょう?

 

「地元」だからこそのブームだったのでしょうか?

 

中瀬の吉祥寺では 

不動堂や駐車場が「青天を衝け紀行」に出てきましたしね。

 

 

 

 

          

 

 

 

 

 

「大河ブーム」もあって、

たくさんのテレビ番組に深谷が特集されて、

たくさんの有名人が深谷を訪れて 

ネギや煮ぼうとうを食べていました(笑)。

 

中でも 5月1日放送の「ブラタモリ」は 

ご近所のお檀家さん達が出演なさったので、

ワイワイ言いながら家族でテレビを見ました。

 

正直、嬉しかったです。

 

 

 

 

 

なにより、渋沢栄一という人が

これまで把握してきたよりもずっと

大変な思いをしてきたと解った事、

偉大な人であると知った事で

ワクワク感(グルグル感?)が増していったのでした。

 

そういった人を輩出したのには

父母の養育もあるでしょうけれど、

生まれ育った土地が醸造していた空気というものも

あるように思います。

 

舟運が盛んだったために

江戸の空気がいち早く届く場所だった事。

 

(血洗島や中瀬が)交通の要衝であり、

どこへ出向くにも便利な立地だった事。

 

耕作地が広くて 桑や藍の作付面積が大きかった事、

土地が平らで 養蚕のための大きな建物を容易に建築できた事。

 

利根川流域の土壌は地味が良く 作物が良く実った事。

 

などなど、いろんな事柄が

どれをとっても 「渋沢栄一」という人を育むために

必要でなかったものはないと言えるでしょう。

 

そして、栄一本人が 優秀・有能だった事。

 

 

 

すごい人だったのですね。

 

そして、骨太の、すごいドラマでしたね。

 

 

 

 

 

          

「鎌倉殿の13人」も面白そうですが(畠山重忠も出てくるし)、

しばらくは「青天」ロスを味わいそうな私です。