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仏名会 その5

天長7年(830)閏12月8日 禁中にて 三箇日夜 仏名経儀礼(日本紀略前篇14等)

承和2年(835)12月20日 清涼殿にて 三日を限り 仏名経礼拝(同15)

承和5年(838)12月15日 清涼殿にて 三日三夜 仏名懺悔を修す。 内裏仏名会の始(続日本紀7)

承和13年(846)10月 太政官符により五畿内七道諸国において 12月15日から17日まで 国内の名僧を請して国衙で仏名懺悔を修するのが恒例となる。
布施は正税を用い、期間中は殺生禁断とされた。

仁寿3年(853)11月 太政官符により右の期間を19日から21日までに変更。

貞観5年(863)4月 賢永は 凶作と疫病の退散を願って一万三千仏画像、観音像、一切経を 伯耆国分寺に安置(三代実録)

貞観13年(871)9月 元興寺静安の奉請により宮中仏名会が恒例化し(類聚三代格2)、弟子賢護の奏進によって一万三千仏画像が 太政官ほか諸国に 計72安置される。

貞観18年(876)6月 一万三千仏画像19鋪が 諸国に安置される。

延喜18年(918)玄鑒の上奏によって 所依経典が『十六巻仏名経』から『三千仏名経』に改められる(塵添壒嚢鈔14) 
以降 宮中弘徽殿、清涼殿、常寧伝、綾綺伝、仁寿殿等で 毎年12月に3日間仏名懺悔が行ぜられたが、歳末で公事多く(雲図抄)、神事に当たる(年中行事秘抄)時などは 1日だけの修行もあった。

長寛以降 建久の頃(1163~1199)12月19日から25日までの1日だけの修行(玉葉)

建武年中(1334~1338) 一夜のみ修行

康永年中(1142~1345) 一日の修行に復される。

永和年代(1375~1379) 宮中仏名会断絶。鑒





以上の事項から、仏名会は 宮中における三会以外の公式行事にもなったが、

目的は 個人の懺悔というよりは、
懺悔を通して五穀豊穣や疫病退散などを祈る祈祷的性格が
当初より見られ、

やがては年末年始の神事(仏教行事としては成道会)に押されて
行われなくなってしまったようだ。



しかし、仏名会は 宮中だけでなく、諸寺においても伝えられ、

『薬師寺新黒草紙』『東宝記』『四天王寺年中法事記』『塵添壒嚢鈔』
等に記事が見られ、

現在でも 大寺を中心に重要な仏教行事として伝えられている。



また、『枕草子』『栄花物語』『拾玉集』等 
文学の中にも宮中仏名会の様子が語られ、

民間においても
『兼盛集』『本朝文粋』等に
各家毎や 有志によって修行された仏名会の事が記されている。





今日は、ここまで!


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仏名会 その4

2、変遷

  中国では 東晋以降に 仏名経の訳出が盛んになり、
  仏名懺悔も行ぜられるようになった。

  『往生論註』巻下では 菩薩の行法として 
  十万一切の諸仏を 昼三時夜三時に礼するべきだと示す。

  『法苑珠林』第八十六には
  会昌寺得美が 十二巻本を誦して 懺悔毎に礼拝し、
  夏に一日一万五千仏の礼讃を行じた事が記られている。

  『仏祖統記』第三十九では 
  海陵の恵盈が 民の苦を救うために 
  六時に三千仏を礼したと記し、

  『広弘明集』第二十六には
  如来の正業に限量無く、
  本師釈迦と方広経諸説の三宝を
  礼すべき旨が説かれている。

  中国の仏名を誦するという行は、
  恵盈のように利他のための呪術的行という例もあるが、
  あくまで一つの懺悔法と見るべきで、
  期日や時間、所依なども 様々であったと推測されるのである。





  日本の現在の仏名会の起源を求めるとすれば、
  悔過行事という大枠の中において、
  民族的祓(はらい)の観念との習合や、
  仏教行事としての儀礼化などと関連して
  しだいに形を整えたものとみるべきで、
  中国直輸入の仏名会が そのままの形で
  現在に至っているわけではないと考えるべきだろう。





  記録に残る日本仏教の初期的悔過行事としては、

  朱鳥元年(686)七月 天武天皇の御悩祈祷の悔過、

  天平十一年(739)七月 五穀成熟経の転読と七日七夜の悔過、
  
  同十六年(744)十二月 諸国への七日間の薬師悔過修行の令、

  神護景雲元年(767)正月 国分寺に五穀豊穣のための
  七日間の吉祥悔過修行の令

  などがある。



  特に薬師、吉祥の二法は 以後 恒例化し、
  また、弥陀懺悔、釈迦懺悔なども 盛んに行ぜられるようになった。



  こういった中において、
  宝亀五年(774)十二月 方広悔過が宮中で行われ(年中行事秘抄)、
  
  弘仁十四年(823)十二月二十三日 長恵、勤操、空海等によって
  清涼殿で大通方広懺方が修せられた(日本紀略前篇十四等)。



  この方広懺悔が 仏名会の前身であると言われるが、
  内容的には『大通方広懺悔滅罪荘厳成仏経』を所依としていたようなので、

  正確には この方広悔過が 日本における仏名会の起源とは
  言えないかもしれない。



  その立場から、
  仏名会の初期的展開から恒例化するまでの
  主な記録を挙げてみよう。





今日は、ここまで!


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大切な「誰かのため」が 頑張れる「自分のため」になっている!

平成30年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様の御清栄を心よりお祈り申し上げます






日本人のおもてなしが、世界中で絶賛されています。

うれしいですね。


 
 この日本の『おもてなしの心』は 
どこからやって来ているのでしょう?

それは、ご先祖さまたちが育んできた、
美しい心・優しい気遣い・清らかな思考・素敵な智恵が、
時空を超えて現代の私たちの心につながってきているからだと思うのです。

そのことを ふだん何気なく口にしている普通の日本語の由来(語源)を尋ねて、
ちょっとだけ考えてみましょう。



『瞳』という言葉は、
だた「目」というより、
なんとなく愛らしい感じがしますね。

瞳の語源は「人見」です。

人を見る身体の器官だから人見なんです。

現代の私たちは、
鏡や写真で 自分の瞳を見る事が出来ますが、
昔の人は 
そうそう瞳孔を観る機会なんてありませんでした。

赤ちゃんや恋人など 愛する人と至近距離で見つめ合う、
そんな時だけ
相手の目の真ん中にある黒い小さな点を 確認できたんです。

その黒い点は、
なんの疑いもてらいもなく まっすぐに自分を見ていてくれている。

相手にとっても同じです。

ご先祖様たちは、
見つめ合う相手と 心が通じ合っている喜び、
そして 安心を感じながら、
黒い点を『瞳』と言ったのでしょう。



『ゆるす』のは むずかしい事です。

相手を許す(赦す)かどうか考えているうちは、
自分の心の傷が癒えてない状態です。

心が落ち着きを取り戻していれば、
許すか許さないかじゃなく、
これからどうして相手と関係していこうかを
考えているはずです。

無理して相手を許そうとすると、
自分の心の傷は どんどん広がっていくばかりです。

『ゆるす』の語源は
「ゆるくする・ゆるやかにする」です。

ギュッと絞っていた心の入り口を 少し緩めて開いてあげる事。

相手の行為の正当性は絶対認めないけど、
相手の真剣な姿にも 考えを巡らせてみる。

相手の過ちを糾弾しても、それを繰り返さないように懸命に考え、
努めている相手の努力を想ってみる。

そんな心の広げ方が
『ゆるす』という事なんです。

そして、
相手から「ゆるしてもらう」という事は、
相手のやさしさに包まれたことなのです。



この他、
『住む』
「心が澄んだ状態で 日々を過ごせる事」、

『謎』
「何ぞ 何ぞ の好奇心」、

『にこにこ』
「心が柔らかい事で、相手を優しく受け入れる事」、

『ついたち』
「月が立つ~つきたち」、

『もみじ(もみぢ)』
「もみづ。秋の紅葉の事ではなくて、
 神さまが 手ずから揉み出してくれた 命の輝き」 等々。 



この他にも 
まだまだたくさん 日本語の由来の面白さは ありますよ。

(参考「日本の言葉の由来を愛おしむ」高橋こうじ著・東邦出版)



日本語の中には、
先人たちの育んできた 温かい優しさや繊細な智恵が、
真摯な信仰心や 
ふと微笑んでしまうユーモアなどと共にあふれていて、
それが おもてなしの考え方にも
つながっているんだと思います。

日本て素敵ですよね。






檀信徒の皆さんが、和やかな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。

                       山主合掌



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仏名会 その3

   一方、現存仏名経典中 最も大部の『三十巻本仏名経』も
   『十二巻本仏名経』に準じて増補された経典で、
   各巻毎に 

   ①仏名 

   ②経名 

   ③菩薩名 

   ④声聞縁覚名 
   
   ⑤三宝敬礼の事等

   ⑥宝達の三十二地獄歴訪

  が類型的に説かれている。



  さて、十六巻本、三十巻本の基本となった十二巻本は、
  菩提流支が 正光年間(520~524)に訳出した経典で、
  仏、菩薩、辟支仏名が 計一万一千九十三 記されている。



  また、仏名の受持読誦の功徳として、

  必遠離一切業障、

  永滅諸罪、

  超越世間不入悪道、

  不得作五逆罪、

  当得宿命、

  不久転法輪、

  必得不退菩提、

  得脱三悪道、

  畢竟不退阿耨多羅三藐三菩提、

  一切諸魔不能道、

  畢竟得大無畏、

  摂取無量無辺功徳聚、

  畢竟不入地獄不入畜生不生辺地不生貧窮家不生下賤家常生天人豪貴之處常得一切世間尊重供養乃至得大涅槃

  等が挙げられ、即ち過去の罪業を滅し、
  現在を安楽ならしめ、
  未来の開悟と平安が捧げられるというのである。





  仏名を誦し、礼するという行為は、
  哲理的には 仏 即ち 如来 即ち 真如のすべてを
  礼讃するという事で、
  如の思想に関わる、
  如の顕現云々の解釈がなされるであろう。

  しかし、日本の仏名会に見られる如きを考えると、
  求められたのは 多くの仏名を唱えるという中の
  むしろ 呪術的意味合いのものであったように思える。
 
  日本的祓の観念の仏教的発揮である。






今日は、ここまで!


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仏名会 その2

歴史、思想

1、経典

   現在 仏名会の所依として用いられている経典は、

   『過去荘厳千仏名経』
   『現在賢劫千仏名経』
   『未来星宿劫千仏名経』 各1巻、

   合して 『三千仏名経』3巻で、

   仏名法会の残る各宗派とも
   ほぼ 同教を用いているようである。



   しかし、仏名経典 それ自体は 意外に多く、
   現存のものだけでも 14種17巻 ある。


   
   日本では 天平勝宝6年(754)に
   鑑真和上が『十六巻仏名経』を請来して

   9世紀中には
   宮中仏名会が恒例化されたが、

   『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』によると
   延喜18年(918)に
   『十六巻仏名経』が 現在の『三千仏名経』に改められた
   という。

   十六巻本には 一万三千余仏の名が記されていたというから、
   むしろ これが敬遠されて 三千仏がポピュラーになったのであろうか。

   ただし、
   道場荘厳や式次第には さほどの変化はなかったようだ。





   問題は 十六巻本が現存仏名経の中に無い事だが、

   『開元釈教録』によると
   菩提流支訳『十二巻仏名経』を中心に
   唐代に編集されたものが十六巻本であり、

   井ノ口泰淳博士が 
   敦煌古写経中の本経断片から これを復元し、
   近年 名古屋長福寺(七寺 ななつでら)蔵一切経中で
   『十六巻仏名経』の確認がされた。

    (ただし 七寺の十六巻本 第9巻は
     十二巻本 第9巻の途中からの写経で、
     元の経典とは異質の装丁である。

     また、宮城県新宮寺一切経中にも
     十六巻本発見の報告がある。)



   一度散逸した日本の仏名会の 当初の所依経典十六巻本は、
   ごく最近になって 再び発掘されたのである。






今日は、ここまで!


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