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お葬式とご法事 その1

これは、平成24年9月16日(日曜日)に、
JAアグリホールかごはらに於いて行った
葬儀セミナーで講演した内容です。






・・・・・・さて、前置きと言い訳が長くなりましたが、
お葬式のお話の切り口は色々あって、大変 難しい。

なにせ、私はお葬式を3m持っていて・・・

どういう事かというと、
坊さんなんかやってると 普段 結構 勉強する事も多くて、
いろんな本を読むんですが、

お葬式についての本、死とか、戒名とか、極楽とか地獄とか、
お葬式に係わる本を本棚に並べますと、
軽く3mになってしまう。



ここに何冊か持ってきました。

『葬式は要らない』 『葬式は必要』
それで『葬式をどうするか』、

外にも『葬式仏教』 『葬儀・法事がわかる本』 『ザ・葬式』、

<葬儀・先祖供養のしきたりとマナー>という特集を組んで
すぐ売り切れた最近の雑誌「大法輪」、

碑文谷創さんの『葬儀概論』は葬儀社さんのバイブル、
1万円もするんですよ。



そして それぞれの作者、先生方が
それぞれにお葬式を説明していて、
でも、はっきり言って 帯に短しタスキに長し、
限られた時間で皆さんにお話しするのは 
なかなか難しいいもんです。

ただ、私は、この後
齋藤部長さんの お葬式についての、
大事な・貴重な・ためになる・素晴らしいお話があるようで、
その前座ですので、
時間の許す限り、気楽にへらへらおしゃべりしていこうと思います。






何からお話しましょう?

.「人はなぜお葬式をするんだろう? するようになっただろう?」

その辺から考えてみたいと思います。


先ず、お葬式の始まり、
人は いつからお葬式をするようになったのか?

結論を最初に言いますね。

じゃないと、茨城県人の私の話は
何処へ飛んでっちゃうか わからないから。

「お葬式の起源は、人が人になった時です」



進化論の話をしてみます。

人が人になったとき 
二足歩行、2本の足で立って歩くようになりましたよねぇ。

そうすると 骨盤が大きくなります。

骨盤が発達すると、
逆に 女性の産道、赤ちゃんが通ってくる道が細くなります。

そうすると 新生児、赤ちゃんが小型化します。

つまり、赤ちゃんは 未熟児状態で生まれてくることになります。

必然的に、親は長く子供を保護しなければなりません。

教育機会が拡大するという事です。

二十歳過ぎても学生です なんて言ってるのは
人間だけですよねぇ。



つまり こういう事です。

生物学的・遺伝子的進化だけでなく、
学習と教育によって
次世代に伝える知識の重要性が爆発的に拡大した人間は、

脳がどんどん発達し、文化的進化という、他の生き物にはない
新しい進化、心の進化をするようになります。






今日は、ここまで!

まだまだ続きます!


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《考える》という事 下

それに、科学で発見されたものや、
思索の中で到達した哲学や思想、
芸術や文化も全部、
それ等は 考えた人だけが理解しているんじゃなくて、
それを学んだ多数の(場合によっては数人の)人が
解り、共感し、賞賛する。

更にはそれ等「考えたもの」「考えたこと」を発展させる。

仏陀から智顗に、智顗から最澄に、
伝教大師からあなたに(!?)





つまりは、「考え」というものは
自分だけのものでは無い。

誰のものとも言えない。



「考え」は普遍的なものである。

だから「考える」は小さな自我から脱却でき、
自然にも社会にも同化できる事なのだと思う。

「考える心」それ自体に
自分を同化させて幸福になる
という事を考えてみようと思う。

「チョコレートは美味しい」という考えって
普通的な考え。

みんなで甘い幸せになりましょう♡


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《考える》という事 上

「自然」とか「ありのまま」とか「如実知見」なんていう事が
仏教の悟りへの法則のように言うけれど、

《考えること》をしなければ
「自然」も「ありのまま」も、ましてや「如実知見」など
無くなってしまう。



一般的に「禅」とは、「無」の境地を目指して自力するのだが、
「無」を目指す禅宗
は、一方では 一番おしゃべりな仏教宗派でもある。

それは、「無(「悟り)」を説明しようとして
一所懸命考えるからにほかならない。






さて それでは「考える」とは いったいどういう事なのか?

というより、「考える」という事を
人は どう考えれば良いのか?



通常、人は、自分で考えている事は自分のものだと思っている。

あの人の、夫の、妻の、子供の、親の、友達の、上司の、
他人の考えている事は、
その考えている人のものだと思って疑わない。

当たり前の事である。



でも ちょっと待って!



ひとつの考えが誰かのものであるとは どういう事なんだろう?

それに明確な答えを探そうとすると、
「ひとつの考えが、それを考えた誰かのもの」
という意味がわからなくなってしまうのは
野衲だけ?






例えば、科学。

ノーベル賞を取れるほどの発見は
考えの積み重ねから生まれるものであるが、

それはノーベル賞を受賞した人だけのものか?

受賞者だけが独占的にその発見を使えるのか?



それじゃ 受賞者が
苦労して(或は楽しみながら)考えた意味が無くなる……
とは言わないが、
自己満足だけのつまらない「考え」になってしまう。



仏陀は仏教を考えた。

じゃあ、仏教はブッダだけのものなのか?

仏陀はがっかりするだろうね。

つまらない。






今日は、ここまで!

つづきます!


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徒然なるままに 資料(12)三十二相八十種好の5

眼広長  目が広くて長い。


孔門相具足  眼が大きく、美しい。


手足赤白如蓮華之色  蓮華の色のように、手足の色が 赤または白である。


臍不出  臍が出ていない。


腹不現  腹が、外からは見えない。


細腹  腹部がそっそりとしている。


身不傾動  身体が傾かず、ゆるぎない。


身持重  身体に重量感がある。


其身大  身体が大きい。


身長  背が高い。


四手足軟淨滑沢  手足が柔軟、清浄、滑らかで、光沢がある。


四辺光長一丈  身体から放たれる光の長さが1丈である。


光照身而行  光りがその身をてらし、遠くまで届く。


等視衆生  衆生を等しく視る。


不軽衆生  衆生を軽んじない。


隨衆生之音声不増不減  衆生の声に随うが、声の大きさが増減しない。


説法不著  法を説いても、執着することがない。


隨衆生之語言而説法  衆生の話す言語に従って、法を説く。


発音応衆声  衆生の声に応じて語る。


次第以因縁説法  順を追って因縁を明らかにしながら説法する。


一切衆生観相不能尽  如来の相を視ても、明らかにし尽くす事がない。


観不厭足  如来の相を視て、厭きるという事がない。


髪長好  毛髪が長く、好ましい様子である。


髪不乱  毛髪がまとまり、乱れる事がない。


髪旋好  毛髪が渦を巻き、好ましい様子である。


髪色如青珠  毛髪の色が、サファイアのように青い。


手足為有徳之相  手足の様子が、徳に満ちている。






ああ、まだまだ続くと思っていたら、終わりました。



今日は、ここまで!


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徒然なるままに 資料(11)三十二相八十種好の4

面具満足  顔がすべてにわたって円満である。


唇如頻婆果之色  唇が頻婆樹の果実のように赤い。


言音深遠  話すときの声が深く、遠くまで届く。


臍深而円好  臍の穴が深く、円満である。


毛右旋  体毛が右回りに生えている。


手足満足  手足が円満に整っている。


手足如意  手足が意のままに動く。


手文明直  手のひらの印文が鮮明で、まっすぐである。


手文長  手のひらの印文が長い。


手文不断  手のひらの印文が途切れていない。


一切悪心衆生見者和悦  悪い心を持った人間も、如来を見れば和やかになる。


面広殊好  顔が広々として好ましい。


面浄満如月  顔が満月のように清浄である。


随衆生意和悦与語  衆生の心にしたがい、和やかに語る。


毛孔出香気  毛穴から香気を発する。


口出無常香  口から無上の香気を発する。


儀容如獅子  立ち居振る舞いに威厳があり、獅子のようである。


進止如象王  歩くことも立ち止まることも、象王のようである。


行相如鵞王  歩行時は片足ずつ交互に運び、鵞鳥(がちょう)王のようである。


頭如摩陀那果  頭が曼荼羅果(まんだらげ)のようである。


一切之声分具足  声には、あらゆる音がそなわっている。


四牙白利  4本の犬歯が、白く鋭い。


舌色赤  舌の色が赤い。


舌薄  舌が薄い。


毛紅色  毛髪の色が紅い。


毛軟淨  毛髪が柔らかく、清浄である。






今日は、ここまで!

まだまだ続きます!


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