おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

濹東綺譚

2024-03-06 05:44:17 | 映画
「濹東綺譚」 1992年 日本


監督 新藤兼人
出演 津川雅彦 墨田ユキ 宮崎淑子 八神康子
   佐藤慶 井川比佐志 浜村純 角川博
   杉村春子 乙羽信子

ストーリー
永井荷風文学の真髄は女性を描くことで、特に社会の底辺に生きる女性達に目が向けられた。
そのため紅燈に親しむことも多く、荷風(津川雅彦)は文人たちから遊蕩児とみなされた。
文壇という特殊世界に入って文士と交わることを嫌い、究極において紳士である荷風にとって、それは女性に真の愛を求める人生への探究でもあった。
大正15年正月、墓参りしたのちに、囲い者のお歌(瀬尾智美)の所へ行き、身体を重ねる。
8月、荷風はカフェで客に絡まれるが、女給のお久(宮崎淑子)の手引きで裏口から逃げ出し、家に帰るとお久が来ていたので、荷風はそのお久と寝るのだった。
お歌が金沢に帰り、お歌のいなくなった荷風は私娼のきみ(八神康子)と出会う。
荷風は「断腸亭日乗」に名器だと記したきみに惚れ、彼女の住まいを探すが見つからない
やがて玉ノ井のお雪(墨田ユキ)と出会った荷風は、社会底辺の世界に生きながらも清らかな心をもった彼女に、運命的なものを感じる。
しかし、57歳の荷風にとって、年のひらきのあるお雪と結婚するには、互いの境遇が違い過ぎた。
それでもお雪の純情さに惹かれた荷風は、彼女と結婚の約束をする。
だが、昭和20年3月10日、東京大空襲の戦火に巻き込まれて、2人は別れ別れになってしまう。
戦後、昭和27年のある日、お雪は新聞で荷風が文化勲章受章者の中にいるのを見て驚くが、あの人がまさかこんな偉い人ではないだろうと、人違いだときめてしまう。
そして2人は二度と出会うことはなかった。
それでも孤独の中に信ずる道を歩き続けた荷風は、昭和34年4月30日、市川在の茅屋で誰に看取られることなく80歳の生涯を終えるのだった。


寸評
僕は永井荷風の名前は知っていてもその作品を読んだことがない。
さらに永井荷風がどのような人物であったのかも知らない。
映画は荷風の半生を描いたように見えるから、永井荷風とはこのような人物だったと言いたいのかもしれないが、印象としては「観客は永井荷風について知っている」という前提で作られているような感じを持つ。

先ずは荷風と3人の女との関係が描かれるが、その内容は濃密ではない。
芸者のお歌にかいがいしく世話をしてもらっているが、そのお歌は早々と消えてしまう。
カフェで働くお久と関係を持ち、彼女から金をせびられるというお歌とは違う面が描かれるが、お久もそれっきり。
きみという娼婦の秘技に惚れこんで住所を調べたりするが、彼女もそれまでの存在で消え去る。
おそらく3人のエピソードを通じて、荷風が女に対してルーズだと示したかったのかもしれないが何とも軽い。
この映画とあまり関係のない女性たちで、はたして三人も登場させる必要が有ったのかと思ってしまう。
ヒロインのお雪が姿を現すのは、映画が始まってから30分近くが経過してからである。
しかも印象的には前の三人と変わらないものなので、荷風の女性遍歴を延々と見せられるのかと思ってしまう。

どうしたわけか荷風は前の三人とは違ってお雪を特別扱いしている。
荷風がお雪にたいしてどのような感情を抱いていたのかが伝わってこない。
お雪のどこに惚れこんでいたのか、あるいは安らぎを得ることが出来る女性と思っていたのかも分からない。
荷風は、お雪には歳を取った自分よりも若い男がいいのだとして、お雪のもとに通わなくなるが、その気持ちの変化がどこから来たのかもよくわからない。
そうかと思えば再び通い始めているのである。
どうも人物の心情が伝わってこない作品だ。

描かれた時代の玉ノ井は公娼の集められていた「遊郭」ではなく、モグリ営業の売春宿が軒を連ねていた私娼街で、店は間口の狭い木造2階の長屋建、1階には狭い通りに面して小窓が作られ、ここから店の女が顔を覗かせて客の男を呼んでいたらしいのだが、その雰囲気は出ている。
水田を埋め立てて作った土地のため、雨が降ると相当ぬかるんだということも描かれている。
あぜ道の名残の細い路地が何本もあり、路地の入り口のあちこちに「ぬけられます」あるいは「近道」などと書いた看板が立っていたという風景も描写されている。
人物に比べると玉ノ井の様子は随分と丁寧に描かれていると思う。
しかしそのことを通じて、僕にはこの映画を当時の風俗を様式美の中で描き出した作品にしか思えなくしている。
この作品は1992年の製作だが、何だか大した濡れ場のない1970年代に登場したころの日活ロマンポルノを見ているような気になった。
そして原作がそうだとしても「濹東綺譚」というタイトルはいただけない。
タイトルだけで敬遠されそうなもので、「ぼくとうきだん」と読めるかどうかも疑わしいし、このあたりも永井荷風とその作品を知っている人を前提にしていると思わせる要因となっている。


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