おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

死刑台のエレベーター

2019-07-09 09:03:44 | 映画
「死刑台のエレベーター」 1957年 フランス


監督 ルイ・マル
出演 モーリス・ロネ
   ジャンヌ・モロー
   ジョルジュ・プージュリイ
   リノ・ヴァンチュラ
   ヨリ・ベルタン
   ジャン=クロード・ブリアリ

ストーリー
未開地開拓会社の技師ジュリアン・タベルニエと社長夫人フロランス・カララは愛し合っていた。
二人の自由を阻む邪魔者シモン社長を亡きものにせんと、二人は完全犯罪を計画していた。
殺害計画実行の日が来て、ジュリアンは拳銃をポケットにしのばせ、バルコニーから手すりに錨つきのロープをかけて上り、社長室に入ると社長を射殺し、その手に拳銃を握らせた。
彼は再び手すりから一階下の自分の部屋におり、何くわぬ顔をして外に出た。
しかし手すりに錨つきロープを忘れて来たことに気付く。
ビルにかけこみ、エレベーターに乗り上りはじめたが、ビルの管理人が電源スイッチを切って帰ってしまったので階の途中でエレベーターは止まってしまい、ジュリアンは閉じ込められてしまった。
彼を待つフロランスは段々と不安にかられ、彼を求めて夜のパリをさがしまわった。
一方、花屋の売り子ベロニックとチンピラのルイはジュリアンの車を盗んで郊外に走り出た。
前を走るスポーツ・カーについて、或るモーテルに着いた彼等は、ジュリアン・タベルニエ夫婦と偽り、そのスポーツ・カーの持主ドイツ人夫婦と知り合いになった。
ルイはふとしたことでドイツ人夫婦を殺してしまい、その嫌疑はジュリアンに向けられてしまうのだが・・・。


寸評
非常によくできた脚本だ。
モノトーンであることがより一層サスペンス感を盛り上げる。
特に夜のシーンが素晴らしい。
疾走する車とライト、にじむ街の明かりと黒いドレスでさまようカララ夫人。
心の中のつぶやきを聞かせながら夜の街を歩き回るジャンヌ・モローの姿と表情は見るものを圧倒する。
それにマイルス・デイヴィスのトランペットとジャズのメロディが重なると、とてつもない哀愁を感じさせる。
それを1時間半にまとめ上げたルイ・マルだが、この時25歳と言うのは驚くべき才能の開花だ。

社長夫人のフロランス・カララは夫の会社の社員であるジュリアン・タベルニエと浮気をしている。
浮気ではあるがタベルニエを心底愛しているカララ夫人は夫を殺して彼と一緒になろうとする。
タベルニエをたきつけて完全犯罪の殺人を行わせるのだが、それがふとしたことからほころびを見せる。
完全犯罪と思われた犯行が、些細なことから破たんしていく作品は数多くあるが、本作では別のカップルによる犯罪でほころびを見せるのがユニークなところとなっている。

別の二人とはカララ夫人などとは別世界の低層の若者たちである。
ベロニックは花屋の売り子だが、ルイという青年はスクーターの窃盗で指名手配されているチンピラだ。
ベロニックはルイの無軌道な行動を注意しながらも、結局彼に引きずられるようにして楽しみに走ってしまう。
ジュリアンの車を奪ったルイたちは高速道路でドイツ車と競争を挑む。
相手はおおらかなドイツ人夫婦で、彼等を部屋に招き入れるのだが、ホテルのチェックインには指名手配の事もありルイは姿を見せない。
このことがやがて起きる事件の伏線となっている。
相手の紳士はルイとは違って大人である。
ルイの嘘も最初から気付いているが、馬鹿にしているのかその嘘に乗っている。
そして車を盗もうとしたルイに葉巻を拳銃に見立てて冗談ぽく詰め寄るが、動転したルイは二人を殺してしまう。
ルイたちが犯行に至り、逃亡に至るまでの経過も実に要領よくまとめられている。
ベロニックとルイの下層としての苛立ちや軽薄さと、偶然のあやが巧みに語られているし、ラストに向かっての伏線も巧みに張られている。

一方のジュリアンはエレベーターに閉じ込められて悪戦苦闘している。
街では出会えなかったジュリアンをカララ夫人が必死で探している。
そしてルイ達の行動がかぶってきて、サスペンスとしての盛り上がりを見せる。
途中で連行されたカララ夫人の証言内容とか、「この件はご内密に」と警察に言わせるシーンを挟むなど、細かな点にも配慮が行き届いている。
そのために、よくある内容ながら、ずいぶんと格調のある作品となっている。
ヌーベルバーグの先駆的作品とも言われているが、25歳と言う若さだけで新しいものを感じさせる作品ではないが、実によく練られた秀作で、ラストも決まっていた。


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2 コメント

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「死刑台のエレベーター」について (風早真希)
2023-07-06 15:25:23
この映画は、都会を映すノワールなモノクロ映像と即興演奏によるジャズの音楽が、現代人の空虚な心理を斬新な演出で鋭く抉ったルイ・マル監督の秀作だと思います。

この映画「死刑台のエレベーター」は、「ジュ・テーム、ジュリアン」と電話口でけだるく囁く女の顔のアップで、幕を開けます。

マイルス・デイヴィスのトランペットの旋律が、けだるく響き、この疲れた顔の女の恋が、切なくもの哀しい運命にある事を予感させます。

監督は、フランスの新しい波と言われるヌーヴェル・ヴァーグの旗手的存在だった、ルイ・マル監督の若干25歳の時の衝撃のデビュー作で、音楽は、モダンジャズの帝王マイルス・デイヴィス、撮影は「太陽がいっぱい」の名手アンリ・ドカエ、主演は、当時29歳のフランスの名女優ジャンヌ・モローと「太陽がいっぱい」「鬼火」のフランスを代表する演技派俳優のモーリス・ロネ。

監督、撮影、音楽、役者、ストーリーと、どれをとっても最高に素晴らしく、それらが互いに絡み合い、見事に化学反応を起こし、優れた映像世界を作っているのです。

土地開発会社で働くジュリアン(モーリス・ロネ)は、社長夫人フロランス(ジャンヌ・モロー)と密会を重ね、遂に、邪魔者になった社長を殺す完全犯罪を企て、二人は実行しますが、犯行直後、帰り際に乗ったエレベーターが、電源解除のため停止してしまい、彼はその中に閉じ込められてしまいます--------。

フロランスは、ジュリアンと連絡がとれないため、ジュリアンを探して、夜のパリの街を歩くシーンは、まさに"映画そのもの"で、夜の中を、ジャズのけだるい音楽の中を、街の灯の中を、ハイヒールを履いた身なりのいい女が必死にさまよい歩く--------。

そして、小雨が降り始め、雷が鳴り響き、女の顔には目の下に深いくまが刻まれ、焦りと焦燥の色がにじみ出てきて--------。

名手アンリ・ドカエのカメラワークとマイルス・デイヴィスの即興演奏によるジャズのけだるい響きが、フロランスの心理を効果的に物語っていて、実に見事です。

およそ映画でしか表現できない、"映像が伝える感情"が、ここにあるのです。
パリの街中を行き交う人々や車、ネオンサイン、こういう"夜の街の表情"が、全て恋人を必死で探し歩く女の心理を的確に表現しているのだと思います。

このような優れた映像テクニックを持つルイ・マイ監督の映画は、極力、無駄なセリフをなくし、我々観る者の創造力をかき立ててくれます。

そして、車の窓ガラスに映った自分の顔を見て、「ひどい顔、悪魔のようだわ」とつぶやく女------、ジャンヌ・モローは本物の女優だと痛切に感じます。

この映画の全編を覆う、アンリ・ドカエの撮影によるモノクロの映像が、美しくもスリルに満ちた光と影を投げかけ、映像的な痺れるような陶酔感を味合わせてくれます。

それにしても、このモノクロの映像による、夜のパリの美しさは、比較するものがない程の美しさに溢れています。

喧噪の中に孤独が潜み、傍観者にはただ美しく見える街、それがパリの街なのです。

真っ暗なエレベーターの中で、ジュリアンの憔悴しきった横顔を照らし出すライターの光。
見回りに来た警備員が持っている蛍光灯の光、そしてラストの--------。

この映画「死刑台のエレベーター」は、ヌーヴェル・ヴァーグの存在を広く世界に知らしめた記念すべき作品で、ルイ・デュリック賞を受賞した、映画史に長く残る名作だと思います。
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ジャンヌ・モロー (館長)
2023-07-07 08:00:04
私は外国の女優の中でお気に入りを一人あげろと言われれば、間違いなくジャンヌ・モローと答えます。
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