おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

けんかえれじい

2019-05-19 10:07:53 | 映画
「けんかえれじい」 1966年 日本


監督 鈴木清順
出演 高橋英樹 浅野順子 川津祐介 片桐光雄
   恩田清二郎 宮城千賀子 田畑善彦
   夏山愛子 佐野浅夫 晴海勇三 長弘
   福原秀雄 横田陽子 加藤武 野呂圭介

ストーリー
岡山中学の名物男南部麒六(高橋英樹)は“喧嘩キロク”として有名だ。
キロクに喧嘩のコツを教えるのが、先輩のスッポン(川津祐介)。
そのスッポンのすすめでキロクは、OSMS団に入団した。
OSMS団とは岡山中学五年生タクアン(片岡光雄)を団長とするガリガリの硬派集団だ。
そのOSMS団と関中のカッパ団とが対決したがキロクの暴れぶりは凄まじくたちまち副団長となった。
だが、キロクにも悩みはあった。
下宿先の娘道子(浅野順子)が大好きで、硬派の手前道子とは口もきけないことだ。
反対に道子は一向に平気でキロクと口を聞き、野蛮人のケンカ・キロクには情操教育が必要とばかり、彼女の部屋にキロクを引き入れてピアノを練習させる始末だ。
この二人の道行きをタクアンが見つけたからおさまらない。
硬派にあるまじき振舞いとばかり、キロクを殴りつけようとした。
それと知ったスッポンがかけつけて、その場は何とか切り抜けたが、キロクの道子病は重くなるばかり。
その煩悩をたち切ろうと、学校では殊更暴れ廻り、配属将校と喧嘩したため、若松の喜多方中学校に追い出されてしまった。
しかし、転校一日目にして、喧嘩キロクの名前は全校にひろまってしまった。
会津中学の昭和白虎隊と名乗る三人組をやっつけたからだ。
この喧嘩は昭和白虎隊がキロクに宣戦布告をし大喧嘩に発展した。
キロクには喜多方中学の硬派が続々と集り、決戦の場会津鶴ケ城でしゆうを決することになった。
この大喧嘩は町中の評判となり、キロクは停学処分をうけてしまう・・・。


寸評
旧制中学と言えば今の中学から高校にかけての年代だから、キロクたちは正に思春期の真っただ中である。
思春期といえば自我意識が芽生える時期であり、したがって自己表現と異性への関心が重大な要素となる。
この映画で描かれる青春もそうしたもので、思春期の若者の生態を大らかに賛美したものとなっている。
主人公のキロクは下宿先の美少女道子に淡い恋心を抱いていて、その悶々とした気持ちの表現が面白い。
筋力たくましい高橋英樹が色気のついた少年を演じ、道子の弾くピアノをチンポコで弾く場面などに包括絶倒。
この頃に恋い焦がれる女性がいれば、頭の中はその子のことが半分を占めている。
異性に想いを伝えられないもどかしさ、有り余る身体に宿るエネルギーのはけ口が、キロクにとっては喧嘩だ。
僕も寝ても覚めても恋い焦がれた女の子を想い続けた時期があったが、キロクのように喧嘩には走らなかった。
運動クラブにも入っていなかったから、はけ口はもっぱら友達とのバカ騒ぎであり、映画だったのかもしれない。
映画を見ていても主人公の女性は彼女に見えてくるし、登場人物に自分を重ね合わせて思いをはせるのも、この時期の映画の味方だった。

前半の舞台は備前岡山で、後半が会津若松なのだが、そのどちらも少年たちが繰り広げる喧嘩のシーンからなっているといってよい。
描かれる喧嘩というのが、少年の喧嘩にしては大げさで、それこそ命にかかわるような派手な喧嘩をする。
今どきこんな喧嘩をするのは劇画の世界だけだと思うが、そこが見ているものにはスカッとする部分だ。
キロクの相手は同世代の男たちだけではない。
反抗精神は時に教師や軍人にも向けられ、権力に対する抵抗ともいえる姿を描いていると言えなくもない。

最後の場面でいきなりキロクの思い人である道子が出てきてキロクに別れを告げる。
不幸な結末となっているのだが、そこのところが錯綜していてよくわからない。
道子は自分は修道院に入ると告げ、将来の嫁にとせがむキロクに対し「自分は結婚できない体だからあなたの愛に応えられない」とわけのわからぬことを言って泣き崩れ画面から消えてゆく。
なぜこのタイミングで、こんなわけのわからぬことを言い出したのかわけがわからない。
雪道で軍人たちに跳ね飛ばされわき道で倒れ込んでいるが、このシーンは一体何を言っているのだろう。

面白いのは北一輝が登場することだ。
北はニヒルな男としてキロクの前に現われるが、そのまま何もしないでスクリーンから消える。
キロクと我々がこの男の正体が北一輝であると知るのは、2.26事件の報道をする新聞が映し出された時である。
キロクはこの騒動の思想的な立役者だと知るが、この映画に北一輝を登場させる必然性はない。
鈴木清順は旧制弘前高等学校(現弘前大学)に進んだ時、寮の同室の学生に北一輝の「支那革命外史」を読むように勧められたというから、そんなことが影響していたのだろうか。
映画はキロクが汽車に乗って東京に向かうところで終わっているから、あえて言えばキロクは子供の喧嘩から脱却し、もっと大きな喧嘩をすることに目覚めたということだと思うが、もしかすると道子と別れなければならなくなったつらさを忘れるために、もっと喧嘩しなければならないと思っただけかもしれない。
「けんかえれじい」は清順の代表作の一つとされているが僕はあまり評価していない。