おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

グラン・トリノ

2019-05-04 10:13:01 | 映画
「グラン・トリノ」 2008年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ビー・ヴァン
   アーニー・ハー クリストファー・カーリー
   コリー・ハードリクト ブライアン・ヘイリー
   ブライアン・ホウ ジェラルディン・ヒューズ

ストーリー
フォードの自動車工を50年勤めあげたポーランド系米国人、ウォルトは、愛車グラン・トリノのみを誇りに、日本車が台頭し東洋人の町となったデトロイトで隠居暮らしを続けていた。
頑固さゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人と悪態をつき合うだけの彼は、亡妻の頼った神父をも近づけようとしない。
ウォルトを意固地にしたのは朝鮮戦争での己の罪の記憶であり、今ではさらに病が彼の体を蝕んでいた。
その彼の家に、ギャングにそそのかされた隣家のモン族の少年タオが愛車を狙って忍び込むが、ウォルトの構えた銃の前に逃げ去る。
その後なりゆきで、タオやその姉スーを不良達から救ったウォルトは、その礼にホームパーティーに招いて歓待してくれた彼ら家族の温かさに感じ入り、タオに一人前の男として仕事を世話してやる。
だが、これを快く思わないモン族のギャングが、タオにさらなる嫌がらせを加えた。
顛末を聞いて激昂したウォルトはギャングに報復するが、一矢報いるべくギャングはタオの家に銃弾を乱射し、スーを陵辱する。
復讐の念に燃えるタオと、それを止めようとするウォルト。
報復の連鎖に終止符を打つべく、ウォルトはある策を胸に、ひとりでギャング達の住みかに向かう。


寸評
差別用語がバンバン飛び出しとても日本では作れないような会話が飛び交う。
その会話のやり取りがウォルトの性格を表していて小気味よい。
ハリー・キャラハンとしてマグナム35をぶっ放して正義を示したのが僕にとってイーストウッドとの最初の出会いだったが、最後の主演作といわれるこの作品では全く違った正義を示してその間の歳月を感じさせた。
アジア系の人間を描いているのはアカデミーの作品賞意をとった「スラムドッグ$ミリオネア」と同じだが、むしろこの作品の方が出来がよく、これがアカデミー賞で話題に上らなかったのは不思議だ。

ウォルトは子供たちからも煙たがられていて、二人の子供が彼の最後の後始末をどうするかということを母親の葬儀の場で言い合う始末。
ウォルトは、毒舌家で偏見に満ちてはいるが悪い人間ではなく、昔気質の価値観を持つ典型的なアメリカ人だ。
前半は偏屈な白人の老人とシャイなアジア系少数民族の少年との世代と人種を超えた友情が軽やかに描かれ、笑いが絶えない。
自分の進むべき道が分からないタオに"男の生き方"を教えることは、人生の最終章を迎えたウォルトにとっても喜びとなる。

生と死が神父との間で語られるが、ウォルトにとって自分の生とは何だったのかの疑問がある。
よき理解者であったであろう妻を亡くして、なおさらその事を感じたのではないか。
嫌っていたはずのモン族の連中にたいして「身内の人間よりよほどこの連中のほうが良いと」つぶやくのはその気持ちの表れだったと思う。
祈祷師に自分の気持ちを言い当てられ、彼等の方が自分のことを理解していると感じたのだろう。
ウォルトは朝鮮戦争を経験していてその悪夢を背負って生きている戦争犠牲者である。
タオやスーの家族はベトナム戦争で米軍に味方したために、共産党支持者の報復をおそれアメリカに移住してきたのでやはり彼等も戦争の犠牲者である。そんな共通の過去が彼等を結びつけたのかもしれない。
最後は想像がつくが、彼はその事で生を取り戻したのだと思う。
イーストウッドの役者としての遺書映画と見れば納得できたが、もう少し感動を期待したのも事実。
結局、家族との雪解けもなかったし、大事なグラン・トリノを譲ってもらったタオの喜びの気持ちがすんなりと入ってこなくて、少し気の抜けたエンディングだった。

息子はトヨタの車を売っている。一方のウォルトはいまや凋落の一途のフォードの車を大事にしている。
ビーフジャーキーよりモン族の料理の方が美味しいことも描かれる。
アジア系の住民を嫌っているが彼もポーランド系で、我々から見れば移民国家のアメリカでは同じではないかと思える。そんなユーモアもあって、良い点をあげると内容的に重くなっていないのがよい。
かつて「ダーティハリー」で銃を武器に不正を打ち砕いたイーストウッドが、こういう形の結末を描いたのは時代の変化を感じさせると同時に、より強い説得力が感じられる。
イーストウッドは監督としての力量が素晴らしくて作品に大きなハズレがないのがよい。
安心して作品を見に行ける数少ない監督である。