おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

クレイジー・ハート

2019-05-09 07:02:46 | 映画
「クレイジー・ハート」 2009年 アメリカ


監督 スコット・クーパー
出演 ジェフ・ブリッジス  マギー・ギレンホール
   ロバート・デュヴァル ライアン・ビンガム
   コリン・ファレル   ポール・ハーマン
   トム・バウアー    ジャック・ネイション

ストーリー
57歳のカントリー・シンガー、バッド・ブレイクは、かつては一世を風靡したこともあるものの、すっかり落ちぶれて今では場末のバーなどのドサ回りで食いつなぐしがない日々。
新曲がまったく書けなくなり、かつての弟子トミー・スウィートの活躍にも心穏やかではいられず、酒の量ばかりが増えていく。
バッドはショーのため訪れたサンタフェのバーで、バンドのピアニスト、ウェズリーから、彼の姪で地元紙の記者ジーン・クラドックの取材を受けるよう頼まれる。
ショー終了後、バッドはジーンとなりゆきで一夜を過ごすが、しかしジーンは4歳の息子バディを持つシングルマザーで、離婚の痛手から、バッドとの関係を深めるのを躊躇う。
バッドの次の仕事は、フェニックスの巨大スタジアムでのトミーの前座だった。
ショーの後、バッドはヒューストンへ帰る前にジーンに会いに行くと電話をかける。
しかしその直後、居眠り運転で車を横転させてしまう。
ジーンの家で休養し、家庭の温もりに触れたバッドは、元妻との間に28歳になる息子スティーヴンがいることをジーンに打ち明ける。
バッドは長年の付き合いであるバーのマスターのウェインに、ジーンの存在を告白するのだが・・・。


寸評
どん底にあえいでいても、若くはない年齢でも人生をやり直すことはできるのだという映画は作れるのだが、音楽を中心においたこのような映画は中々日本映画に登場しない。
日本映画では撮れそうで撮れない雰囲気の映画だ。
話は単純で、落ちぶれた破滅型の男がシングルマザーの女性記者と知り合って再起を目指すが、愛する女の信頼を裏切ってしまうという傷だらけの再生を描いている。
ストーリーは月並みでベタな演出で目新しさはない。
しかし、それでもこの映画は魅力が満ち溢れている。
しみじみとしたカントリー・ミュージックに主人公の人生が重なり、映画は徐々に熟成していくのだ。
この雰囲気、この展開の作品は日本映画と一線を画しているのだ。

ジェフ・ブリッジスの自然体の演技のおかげで、物語が心にじんわりと染み込んでくる。
疲れた表情、酔った醜態、顔のシワ、ゼエゼエという息遣い、57歳からくる肉体的衰え…。
彼が経験してきた人生の年輪と悲哀を自然体で表現している。
オープニングはさびれたボーリング場でのステージで、かつての栄光にすがりはしないが、自分で車を運転してドサ回りをやっているハードな生活が披露される。
どうやら主人公バドはアル中であるらしいことも示される。
しかし、場末の店などのステージで披露されるバドの歌は味わい深く、早くもこの時点で素晴らしい映画的雰囲気を生みだしていた。

登場人物は善人ばかりである。
いまやスーパースターとなったトミーもすこぶるいい奴で、けっしてバッドから受けた恩を忘れていない。
マネージャーのジャックも口汚くののしりながらもコンサートでは落ちぶれたバッドを気遣う演出を施す。
バドはジーンの息子に自分の別れた息子を重ね合わせて可愛がるが、性根の悪さが出て破局を迎えてしまう。
それでも悲惨な結末という印象を持たないのは、バドを取り巻く彼ら善人の存在と、女性記者役のマギー・ギレンホールの抑制的な演技によるものだったと思う。

挿入されるカントリーミュージックはいいし、ポップスやロックとは違った味わいのある歌声で、音楽映画として十二分に楽しめる。
主人公のジェフ・ブリッジスと、彼の弟子で今や人気絶頂というコリン・ファレルの歌のうまさはこの映画を支えていた(まさか吹き替えではあるまい)。
僕は英語を理解できないのでその歌詞の内容は全く分からなかったのだが、まったく浮き上がることなく心に響いてきた。
ラストシーンはいい。
ジーンの指輪に象徴される僕好みの素晴らしいエンディングで、ここだけはあっさりとした演出が光っていた。
ラストが幸福感に満ちているのは、傷ついてもなお音楽と共にある主人公の再生に感動するからだ。
背景に映るアメリカの大地と夕日が映画に余韻を残していた。