おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

恋におちたシェイクスピア

2017-10-13 13:51:51 | 映画
ハーヴェイ・ワインスタインがプロデュースした作品の一つ。

「恋におちたシェイクスピア」 1998年 アメリカ


監督: ジョン・マッデン
出演: グウィネス・パルトロー ジョセフ・ファインズ ストーリージェフリー・ラッシュ
    コリン・ファース ベン・アフレック ジュディ・デンチ 寸評トム・ウィルキンソン

ストーリー
芝居熱が過熱するエリザベス朝のロンドン。
ローズ座は人気作家ウィリアム・シェイクスピアのコメディが頼みの綱だったが、彼はスランプだった。
なんとか書き出した新作コメディのオーディションにトマス・ケントと名乗る青年がやってくる。
実はトマスは裕福な商人の娘ヴァイオラの男装した姿だった。
商人の館にもぐり込んだシェイクスピアは、ヴァイオラと運命の恋に落ちるが、そこでトマスがヴァイオラの仮の姿だと知る。
心のままに結ばれたふたりはその後も忍び逢いを続け、この恋が次第に運命の悲恋物語「ロミオとジュリエット」を形づくっていく。
ヴァイオラは、トマスとして劇場の皆を欺き芝居の稽古を続けていた。
初演を待つばかりの日、トマスが実は女性であることがバレ、劇場の閉鎖が言い渡される。
女性が舞台に立つことが許されない時代だったのだ。
ライバル劇場のカーテン座の協力で初演を迎えたが、同じ日ヴァイオラはいやいや結婚式を挙げていた。
式の後劇場に駆けつけたヴァイオラは、突然声変わりが起こって出演できなくなった少年の代わりに、ジュリエット役を演じることになり、ロミオ役はシェイクスピアだ。
詩に溢れた悲恋劇は大喝采を呼ぶが、芝居好きのエリザベス女王の許しで劇場閉鎖は免れたものの、ヴァイオラの結婚は無効にはならず涙ながらにふたりは別れることに。
結婚して新天地アメリカに赴いたヴァイオラを思い、シェイクスピアは新たなコメディ「十二夜」を書き始める…。

寸評
シェイクスピアの秘めたる恋を劇中劇に絡めて描いていくところが面白い。
劇中劇はもちろん「ロミオとジュリエット」である。
例えば実在の著名な劇作家で居酒屋での喧嘩に巻き込まれて不慮の死を遂げたといわれるクリストファー・マーロウの死を、シェイクスピアが告げた嘘で引き起こされたと勘違いして悩むところなどは、「ロミオとジュリエット」にかぶせているなと感じた。
ヴァイオラとシェークスピアの恋は偶然の出会いから一気に燃え上がるが、その様子は舟で愛の言葉を交わすシーンで巧みに表現していた。
カメラは言葉を発するたびにふたりのアップで切り替わり、その間のカット数はやたらと多い。
しかしそのカットの多さでもって恋の盛り上がりを感じさせられた。
わずかの時間でそれを演出してみせたのは素晴らしいと思う。

「十二夜」と題する新作喜劇の構想を練るシェイクスピアは、アメリカに渡ったヴァイオラの新しい人生を夢想する。
難破した船から一人生き残ったヴァイオラが、アメリカ大陸に上陸するシーンで映画は幕を閉じるのだが、エンドクレジットと共に映される砂浜を歩き続ける長いそのシーンは余韻を残す。
豆粒のようなヴァイオラが歩き続けるのだが、その姿は凛としているようであり、彼女の生きる決意を暗示していたようでもあった。

ヴァイオラとしてシェークスピアと逢瀬を重ねている時と、男装してトマス・ケントとして芝居をやっている時と、行ったり来たりしながら物語が進行していくが、片や金髪のロングヘアで片や茶色のショートヘアなのが見ながらずっと気にかかっていた。
ヴァイオラのロングヘアはカツラなのかと思ったぐらいだ。
流石にそのままでは違和感がありすぎなので、ある時トマス・ケントがさっとカツラを脱ぎ捨てるとロングヘアが現れるシーンが用意されていた。
でもそれは映画的なトリックで、グウィネス・パルトローがトマス・ケントをやっているシーンは、髪を切ってまとめ撮りをしていたに違いないと思う。
トマス・ケントが女性であることを暴く陰気な少年ジョン・ウェブスターも実在の人物で、劇作家になったことを知ったが、時代を描く中でエリザベス1世は当然として実在の人物がいろいろ登場すると歴史映画らしさが増してくる。
それにしてもジュディ・デンチのエリザベス1世はその風貌とともに存在感があったなあ。
ヤケにあの顔を思い出してしまう。
最後の裁きも貫禄充分だったし、「遅すぎる」と言って水たまりの中を歩き馬車に乗り込むシーンなどは滑稽だった。

シェイクスピアが「彼女は僕の生涯のヒロインだった。名前は…」と独白するシーンがあるが、大抵の男はそんな独白をしたくなるような経験を有しているのではないかなと思ったりもした。
中世の雰囲気は出ていた映画で、女王は婚姻をも支配する絶対権力を持っていたんだなあということもわかった映画だった。