おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ロッキー

2017-10-23 16:09:19 | 映画
村田諒太の世界戦勝利を記念して再見。

「ロッキー」 1976年 アメリカ



監督: ジョン・G・アヴィルドセン
出演: シルヴェスター・スタローン タリア・シャイア
    バート・ヤング カール・ウェザース バージェス・メレディス

ストーリー
フィラデルフィアのスラムに賞金稼ぎボクサーとしてヤクザな生活をしているロッキーがいた。
今、彼には新たな生きがいがある。
ペット・ショップに勤めるエイドリアンに恋心を抱き始めたからだ。
素朴な彼女は精肉工場に勤める兄ポーリーと共に暮している。
4回戦ボーイのロッキーは、今日もラフファイトぶりで勝利をおさめるが、『お前のようなガムシャラなファイトぶりではゼニにならん』と、ジムをほうり出されてしまう。
酒場でロッキーはポーリーと飲み交い、ポーリーはロッキーの妹への好意に感謝する。
数日後、ロッキーに人生最大のチャンスが訪れた。
近づく建国200年祭のイベントの一つ、世界タイトルマッチでのアポロの対戦相手がケガをしたため、代役としてロッキーが指定されたのだ。
ロッキーに元ハードパンチャーとして鳴らしたポーリーと、かつてのジムの老トレーナーのミッキーが各々彼への協力を申し出、そしてエイドリアンとの愛も育っていった。
ロッキーの短期間の猛訓練が始まった。
そして試合当日、賭け率は50対1でゴングが鳴った・・・。

寸評
スポーツ映画の金字塔の一つに挙げてもいい作品だ。
ストーリーは単純でひねったところがなく、そのシンプルさが素直な感動を呼ぶ。
三流ボクサーが世界チャンピオンと互角の試合を行うというサクセスストーリーは目新しいものではない。
弱者が強者に対して戦いを挑み勝利を得ると言う話は、形を変えて幾度も映画化されてきた。
その頂点に立つ作品と言っても過言でないくらいに上手くまとまっている。
前半はロッキーのすさんだ生活と、ペットショップに務めるエイドリアンとの恋が描かれる。
ロッキーは3流ボクサーで、借金の取り立て役で生活を維持している。
そんな生活に愛想をつかされ、ジムのトレーナーであるミッキーにまともな面倒を見てもらっていない。
恋心を寄せるエイドリアンは引っ込み思案んで男性と上手く付き合えない陰気な女性である。
エイドリアンと同居している兄のポーリーは精肉店に努めているが、ロッキーの仲立ちで街のボスに取り入ろうとしているヤクザな男で、登場人物は下層階級のあまり恵まれていない人々だ。
不良少女に意見するロッキーもどこかすさんでいる。
この前半は少しくどいところがあり、歯切れも悪いので僕は少々だれるところがあった。
ところがこの前半に溜まった鬱積みたいなものが後半に入るや否や一挙に爆発する。

上映時間的にも世界チャンピオンのアポロから対戦のオファーが入るところからが後半と言える。
一挙に映像が輝き始めるのがトレーニングシーンだ。
ステディカムという手ぶれを吸収してしまう手持ちカメラを駆使した映像が気分を高揚させる。
夜明け前のランニングでのフィラデルフィアの街並み、美術館前の広場で両手を挙げて街を見下ろすシーンの何と爽快なことか。(この階段は映画のヒットを受けて、ロッキー・ステップと呼ばれるようになったらしい)
僕が一番好きなトレーニングシーンは、ロードワークで市場の中を走り抜けるシーンだ。
狭い道路の両側にはいろんな店が並んでいるが、その中を声援を受けながらロッキーが走っていく。
やがて果物屋の店主がロッキーにオレンジを投げ渡し、それを走りながらロッキーがキャッチする。
小市民たちが一体化した瞬間だった。
そして後半の後半になると、いよいよアポロとの試合となる。
対戦前にロッキーはすでに敗戦を覚悟しているが「俺はクズだったが、もし15回にはいっても立っていたならクズでなくなる」との思いをエイドリアンに告げている。
エイドリアンは試合を見ることが出来ず、控室で待っていると言ってロッキーを送り出す。
ロッキーのテーマが鳴り響き気分はいやがうえにも高揚する。
ビル・コンティのこのテーマ曲は日常でも流れてくると力がみなぎってくる名曲だ。
試合シーンはアメリカ映画お得意のもので、臨場感もあり迫力がある。
ロッキーは最初のダウンを奪うが、それで本気になった世界チャンピオンとの死闘を演じる。
分かっているけれど、倒れても倒れても起き上がってくるロッキーに誰もが感情移入してしまう。
そしてラスト・シーンとなり、エイドリアンの名前を呼び続けるロッキー。
観客をかき分けリング上のロッキーに抱き着くエイドリアン。
負けたけれど二人の愛が確かめられるというエンドで締めくくる見事な脚本だった。