おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

許されざる者 1992年 アメリカ

2017-09-19 22:05:26 | 映画
同じ題名で米国映画が邦画でリメイクされた作品もある。
「許されざる者」もその一つだ。


監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド ジーン・ハックマン モーガン・フリーマン
   リチャード・ハリス ジェームズ・ウールヴェット ソウル・ルビネック

ストーリー
列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニーは、今では銃を捨て2人の子供とワイオミングで農場を営みながら密かに暮らしていた。
しかし家畜や作物は順調に育たず、3年前に妻にも先立たれ苦しい生活だった。
そんなマニーのもとにスコフィールド・キッドという若いガンマンが訪ねてくる。
彼は娼婦に重傷を負わせた2人のカウボーイを倒して、一千ドルの賞金を得ようとして考えていた。
一緒に組もうと誘われたマニーは11年ぶりに銃を手にし、かつての相棒ネッドを誘って町へ向かった。
その頃、保安官のリトル・ビルは強引なやり方で町を牛耳っていた。
リトル・ビルは伝説的殺し屋のイングリッシュ・ボブを暴力的に町から追放し、賞金稼ぎ達の見せしめにする。
マニーら一行が町に到着すると、ひとり酒場にいたマニーをリトル・ビルは激しく殴りつけ、重症を負わせる。
そんなマニーを献身的に看護したのは傷つけられた娼婦のフィッツジェラルドだった。
立ち直ったマニーはネッドとキッドに追いつき、追っていたカウボーイを発見して1人を射殺するが、ネッドはもう人を撃てないと悟り、マニーらに別れを告げた。
カウボーイたちの家を見つけ、残るひとりを仕留めたキッドは、マニーに初めて人を撃ったと告白する。
その頃、町では殺人罪で捕まったネッドがリトル・ビルの激しい拷問にあい、命を落としていた。
賞金を受け取る際にその話を聞いたマニーは、キッドから拳銃を受け取り町へと向かった。

寸評
従来の西部劇が持っていた、正義対悪という単純な図式ではない。
なぜ人は人をを傷つけるのかを掘り下げていきながら、暴力の本質を追求している哲学的な西部劇と言える。
死への恐怖と暴力に対する恐怖の交錯が感じられる奥深い作品だ。

許されざる者というタイトルから、ではそれは一体誰なのかという疑問が自然と湧いてくる。
被害者である娼婦たちには、娼婦でありながら客のナニが小さいと笑って、客商売にあるまじき態度を取ったのだから、事件を引き起こした責任の一端はある。
尚且つ、賞金を懸けて殺人依頼をするのだから行き過ぎの行為で許される範囲を超えていると言える。
加害者のカウボーイはその残虐性から当然許されるべきではないが、片割れには反省の色をみせて善人ぶりを示させたりして、彼等を全くの悪人たちとして描いていない。
一番それに相当するのがジーン・ハックマンの保安官で、正義、道徳を振りかざしながらも実は悪というパターン。
アメリカという国、現代の世界にたいする強烈な批判と捉えることもできるが、しかしかれは町の平和を守ろうとしているだけである。
彼の作ったルールである「街にいる間は拳銃を保安官事務所に預ける」という決まりを守らせようとしているに過ぎないのだ。
もちろんそれに従わない奴を徹底的に痛めつける暴力性を秘めているが、不法に人々を押さえつけているわけではない。
となると、普通に考えればイーストウッドのマニーがやはり許されざる者ということになる。
一度は普通の人間になりながらも、その残虐性を呼び戻してしまう罪深い男だ。
しかし、最後には都会で事業に成功したとなれば、やはり許された人間ということになる。
人は誰しもが許されない一面を持ち合わせているということか…。

なぜ保安官助手達は保安官に従うのか?
助手たちの中には保安官の凄腕を疑う者もいるし、助手たちの手伝いを断っているのかは不明だが、彼は一人で自分の家を建築している。
どうも尊敬を受けている保安官ではなさそうなのだが、助手達は従がっている。
辣腕あるいはその凶暴性に対する畏怖と、正義の側にいる自尊心なのだろうか?
保安官を射殺された助手達は、表に出てきたマニーをなぜ撃てなかったのか?
かつて平然と女、子供まで殺したマニーのうわさが現実と重なり合ったのだろうか?
現実のマニーはすでに老いぼれていて颯爽としたところがなく、ドジなところを度々見せる。
しかし彼を目の前にすると、誰もが抱く、死への恐怖がよぎる。
死の恐怖を打ち破るために凶暴化する人間達が描かれ、描かれているアクション以上の緊迫感が漂う。
出演者の鬼気迫る演技を引き出しているのは、監督C・イーストウッドの手腕だったと思う。

マニーは最後に「ネッドを埋葬しろ」、「娼婦たちにひどいことをするな」、「守らなければ戻ってきて殺す」と言って立ち去っていくが、それを見送る娼婦の畏敬の表情が何とも言えない余韻を残した。