・峠などでよく見かける。オボー、という。
ここモンゴルでは古くから天、空を信仰する古代宗教のような風習がありその象徴なのだそうだ。通りがかると石をひとつ積み上げ、右回りに3回周り祈る。日本で言う道祖神のようなものか。
・モンゴルタイムがゆったりと流れる。
釣りをしている脇をヤクが行き過ぎる、どこを切り取ってもおおよそこんな、ここではありふれた風景である。ヤクに見つめられながら釣りをするというのも何だか変な気分だ。
9/22~25
昨日の歓喜がいまだ体の奥底で熱を帯びているのがわかる。事実は小説より奇なり、を地でいってしまった。昨晩はゲルに戻って皆で乾杯、思うような釣果には恵まれなかった今回の釣行だが、それでも皆、我が事のように祝福して下さった。遠い異国の地でも何とか最後に出会うことが出来たのも、皆のサポートがあってのこと。そういう意味では釣らせて頂いた一匹と言えよう。
2週間なんてあっという間だ。今日はチョロートを後にしてウランバートルへと戻らなくてはならない。来年か、何年後なのかは分からぬが、必ずまたここへ戻ってくる事があるだろう。そんな気がするし、そうも誓う。
しかし、どうにも離れがたい。
相性なのか。おかしなものだ。もちろん人も良いし、大自然も素晴らしい。良い魚も棲む。だがそれだけでは無い、もっと言葉に出来ない何かに惹き付けられているのか。遺伝子は知っているのだろうか、我々の遥かなる祖先の一部が出でたかも知れぬ、この大地を。知覚やら記憶やらのもっと深い所で、この大地を懐かしがっているのかもわからぬ。そう考えておくのも何やら大陸的に雄大で、悪くない。
それにしても、風呂に入りたい。もう4,5日はシャワーすら浴びていない。そこへ連日ウェーダーを履いての出撃である、我ながら相当なものだ。
・地リスが辺りの様子を伺う。
地リスも草原に穴を掘って暮らすが、面白い事に気が付いた。 彼らの巣穴はそこらじゅうにあるが、それぞれが一本の道ですべて繋がっているのだ。幾通りもの通路があって良さそうなものなのに、必ず一本なのである。
彼らはその決められた通路を辿って、隣近所にお邪魔するらしい。そしてモンゴルには鷹をはじめ猛禽類も多く生息するから、これらに襲われた際には緊急避難ルートともなるのであろう。この道を辿る方が彼らにとっても歩きやすいのであろうが、それにしてもこれだけの大草原なのだ。もっと自由に、好きな所を通れば良いものを。我々人間と同じく、ある種の規律と不自由さを甘受しているようにも思え、なんだかおかしい。
話は変わるが、ゲルにはトイレが無い。皆、外でいたすのである。もよおしたらゲルから出、トコトコと好きなところへと歩く。小ならまあ近場でも良いが、大なら少し遠出が一応のルールであろうか。
そもそもこの大草原には牛だの馬だのの糞がそこらじゅうに溢れているので、人のも家畜のも紛れて区別も付かぬ。そしてモンゴルの大草原ではこれを踏まずにはどこにも辿りつけないのである。これは誇張でも何でもなく、事実そうなのだ。ヤクのそれなどは凄い分量で当初はびくびくしたものだが、慣れてしまえばどうっていう事は無い。踏んだり蹴ったり、そんなものである。
・2日をかけて、ウランバートル市内に戻ってくる。見慣れた車の列に、クラクションの音。人、人、人。発展途上の街だ。交通ルールも何も無い、カオスのど真ん中にいきなり放り込まれる。
馬も羊もヤクもいない。もちろん糞など踏まずにどこへでも行ける。何も無い大草原、何でも揃う都会。だが何も無い大草原に何かが満ち満ち、この都会はひどく薄っぺらで嘘臭い。僕は決して都会の喧噪も嫌いでは無いが、あの大地で過ごした日々を思うと、そう思えて仕方がない。
草原を満たす香草の匂いがしないのだ。それを運び、高原を渡る清涼な風もここまでは届かない。トルを呼ぶ少年の声も、馬の駆ける音も聞こえぬ。
人はなぜ固まって生活したがるものなのか。そして何が豊かで、何が貧しいのであろうか。
資本主義経済の下、この国はこれから様々な問題に直面することであろう。この国始まって以来の、大問題かも知れぬ。それを問うてしまうのは、結局は旅人でしか無い我々の驕りであろうか。
誇り高き遊牧民たちよ・・・!
いつまでも己の眼で大地を見渡し、馬上豊かに草原を駆けて欲しいのだ。そう願うのである。
・
・
ホテルに一泊した翌日、空港へと向かう。エルカがラジオのスイッチを入れる。そうか、ここではラジオが聴けるんだ。旅もそろそろ終わりを告げようとしている。そのせいか、どこかぼんやりした車中に聴き慣れた歌声が流れた。
‘IMAGINE‘
Imagine there‘s no heaven It`s easy if you try
Imagine all the people Living for today
Imagine there`s no countries It isn‘t hard to do ・・・・・・
天国なんて無いんだと、想像してみよう、簡単な事さ。
想像してみよう、すべての人々が今日を生きていることを。
想像してみよう、国境なんて無いって事を。難しくないはずだ・・・・
・
・
くどいが、モンゴルの魅力を一言でまとめるのは大変に苦労する。そこを敢えて言うのならば、その包容力、にあるのではないだろうかと最後に無理を承知でまとめてみたい。
きっと、飲み込まれてしまうのが良い。委ねてしまうのだ。当初は広大さゆえの居場所の無さに不安すら覚えるが、永遠のモラトリアムとも呼べそうな悠久の時が体内に満ち満ちたとき、ワタシとは一体何者であるのかと、ようやくほんの僅かだが理解出来そうなのである。頭では無く、たぶん体の奥底で。
出来過ぎの、旅であった。
・あのポイントを背に、最後の一枚。
中央のエルカ。無口だが気が良く、黙々と良く働いてくれた。我慢強く優しく、かつ繊細な心の持主だと思う。2児の父である。その体格、骨格、顔つきの特徴などはひとつの典型的なモンゴル人なのではないか。
最右のガンナ。釣りとハンティングを案内してその歴29年にもなるベテランガイド。とにかくタフ・ガイである。ガイドをし、一日中運転をし、夜もナイターに出掛けるのだ。そして僕のあの一匹を小躍りして一緒に喜んでくれた。
・ナランが料理する。いつも分量たっぷり、食べきるのに苦労するほど。野外やゲルなど条件の整わない中で、最後まで温かい料理で我々を励ましてくれた。
モンゴル語で太陽の事をナラァ(ローマ綴りだとnar)というらしいが、ナランという名の由来もそこから来ているのか。その昔、モンゴルの一部では日本の事をナランと呼んでいたことがあったそうだ。
現在では日本をヤポンと呼ぶが、ナランの方が響きが良くて素敵だな、と思う。ナランから来た旅人である、我々。
・通訳で同行してくれた、アムガラン。アムガランとは平和を意味するのだと、教えてくれた。モンゴル国立大学で日本語を専攻する、やはり無口だがとても芯の強そうな子。笑うとなかなか可愛い。彼女のように若く有能な女性が日本語を勉強していることを嬉しく思う。
ちなみにモンゴルでの日本語習得の人気はなかなかのものだそうで、留学希望も後を絶たないらしい。 海の無い、モンゴル。日本で海を見てみたいそうだ。
・あらあら、またなの?
今回の旅では2台で計3度目のパンク。パンクならまだ良い。彼らはよくよく慎重にドライブし、車も良く走ってくれるのだが、なにせこの悪路。草原とは決して平坦では無く、相当に起伏が激しいのだ。他にサスペンションが壊れたり、クランクシャフトが折れたり、これには彼らも苦労する。モンゴルでは舗装道路がいまだに貴重だ。現在、あちらこちらで工事しているのを見かけるので数年後には便利になるかも知れぬ。良いような、悪いような。便利とは複雑なものだ。
ところで、彼らモンゴル人はパリ・ダカなどのダート、オフロードのレースに出場すれば強いんじゃないかと思う。何と言っても遥か昔から馬でこの大草原を走り抜けて来たのだ。歴史が違う、ちょっと練習すれば結構良い所まで行くんじゃないかと思うのだが。
・ウランバートル市内、山肌に描かれたチンギス・ハーンが街を見下ろす。この民族的英雄の復権が現在著しい。社会主義時代はタブーとされ、大きな声で語るのは、はばかられていたのだ。
モンゴルの諸部族を初めてまとめ上げ、モンゴル帝国の基礎を築く。ただ、彼らにとっては英雄であっても、周囲の蹂躙された国々にとってはただの侵略者でしかないのである。しかし、そのスケールの大きさには確かに圧倒させられる。
その後、彼から3代にわたってアジアの各国のみならず、ロシア、中東、ヨーロッパにまでその世界帝国の領土は拡大・膨張してゆくのである。そうは多くない当時の人口をもってして連戦連勝、ヨーロッパの半ばまで攻め入った時など、被害者であるヨーロッパ人は戦々恐々としたことであろうが、そこに偶然、チンギスハンの息子オゴタイが崩御したためそれ以上の侵攻はなされなかった。
この崩御が仮に無かったら、そして我が国でもあの2度に及ぶ台風の襲来が無かったとしたら。今、世界史はどのように語られるのであろうか。
・モンゴル帝国の旧都、カラコルムのエルデニ・ゾー寺院。世界遺産。
カラコルムは1235年、チンギスハーンの息子、オゴタイ・ハーンによって建設された首都であり、当時の世界の中心地であったらしい。ただし当時の面影はほとんど無く、この寺院が僅かに残る程度である。社会主義時代のモンゴルでは宗教は禁じられ、過去の歴史の封印と共にたくさんの貴重な歴史遺産が焼き払われたと、聞く。
・エルデニゾー寺院の空を、ツルの群れが飛ぶ。越冬への旅立ちか。見えている仏塔は108あり、この寺院を囲む。煩悩の数と同じだけ、永遠にそこに立つ。
・ラクダの群れが道をふさぐのに出くわす。ふたコブラクダらしい、これだけの数のラクダを初めて見たが、なかなかの迫力だ。このラクダの数に、ラクダ飼いはたった一人であった。収拾が付かないのか、それでついつい、道路に溢れるのか。
・モンゴルを跳んでみた!
・大きな仕事をしてくれた、11,5cmMD、サビヤマメ。タイメンの歯は大変鋭く、歯形がしっかりと付いていた。ルアーにとって、こんな幸せな事は無い。勲章である。今回のモンゴル遠征でのタイメンは、皆で大小合わせても計5匹という想像以上の難しさであった。だが結果的に5匹のうち、4匹までもがZANMAIのルアー達での釣果であったことは、きっと今後の糧となってくれるであろう。特別に優先して使って頂いた訳ではもちろん無い。皆、あの手この手でタックルボックスをひっくり返しての結果である。
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過去にも色々と釣りの旅をしてきましたが、ここモンゴルの風景は世界中でも特異な存在であるのにどこか懐かしく、体に馴染む不思議な土地でした。
相性が良いのかも知れません。
これからもブログで、写真を拾ってモンゴルの何かをご紹介することはあるかと思いますが、まとまったモンゴル紀行としてはこれでFin!とさせて頂きます。
長文、駄文にここまでお付き合い下さり、最後まで読んで下さった皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。
当ブログ内、カテゴリーに‘モンゴル紀行‘としてまとめて置きますので、仕事に疲れた時、思うように釣りに行けない時などに再読下さり、少しでも慰みになれば冥利に尽きます。
これからも折を見て国内、国外を問わず旅を続けるのだと思います。またご紹介できる事がありますように!
有難うございました。
ZANMAI小平