![]() | ◇清涼殿◇ 紫宸殿の北西にあり、 建物は東に面しています。 平安時代には、 天皇の常の御座所でした。 |
見学時は初夏を思わせる陽気だったため、
清涼殿正面に配された北側の「呉竹」(写真・中央)と、
南側の「漢竹」(写真では建物の陰になってしまいました;)が、
御簾の縁取りの色とあいまって、とても涼しげな感じでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
源氏の君が頭中将とともに「青海波」を舞ったのは清涼殿の東庭だそうです。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
◇昼の御座◇ 日中の御休息に 使われた御帳台と、 御座用の厚畳です。 高欄越しに撮影したので、 ちょっと見えにくいですね。 | ![]() |
清涼殿は母屋の南側と東廂が、天皇が日中を過ごす「昼の御座」になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
( 平安の頃の清涼殿内部は、こんな感じです ↓ )
![清涼殿の図](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4e/98ab666f899f45e9dd513bce3913d5c9.jpg)
母屋北側の塗籠は「夜の御殿」にあてられ、
その東側には、夜居の僧が伺候する「二間」(仏間)がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
母后・藤壺の御世から祈祷を勤めてきた夜居の僧都でした。
「夜の御殿」「二間」の北側にある、「弘徽殿上御局」と「藤壺上御局」は、
中宮・女御・更衣などの控えの間となります。
清涼殿の西廂には、北側より
「御湯殿の上」 … 御湯殿に奉仕する女房の詰所
「御手水の間」 … 天皇が顔を洗い、調髪する場所
「朝餉の間」 … 天皇に朝餉(女房陪膳でとる略式の食事)が供される場所
「台盤所」 … 食物が盛られた盤をのせる台を置いたり、女房が控える詰所
「鬼の間」 … 御厨子や御膳の具を置く場所
がありました。
また、殿上人の詰所である「殿上の間」は、清涼殿の南廂にあたります。
◇昆明池の障子◇
写真の右手に写っているのが、弘廂(孫廂)の北側に立てられている「昆明池の障子」です。
![昆明池の障子](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/05/a990c8954ce4d03ea8cddb19c9c5f108.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
見てみたいです(^^) 現存していて、どこかで見られるのでしょうか?