末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

ハンナ・アーレント

2014-01-30 22:54:24 | 映画のはなし
1960年、ナチスの大物戦犯アドルフ・アイヒマンが、
逃亡先の南米で捕えられました。
翌年、エルサレムにて開かれる裁判に立ち会うため、
ドイツ系ユダヤ人で、ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡っていた
哲学者ハンナ・アーレントは、イスラエルへ向かいます。

1963年、「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載された
アイヒマン裁判の傍聴レポートを巡り、
激しい非難と、誹謗中傷に曝されるアーレント。
彼女は自身の信念に基づき、学生たちへの講義を通して、
反論のスピーチに臨みます。

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ハンナ・アーレントの著作は、
彼女の思想を知る上で重要な「全体主義の起源」も、
本編で描かれている「イェルサレムのアイヒマン」も、
読んだことはありません。

その為、この映画から受けた印象だけで、レビューを書きます。

アーレントは、アイヒマンが裁かれるべき存在であることは否定せず、
何故、これ程までの非人道的な悪が、世の中を支配するに至ったかの、
根本的な部分を見極めるべく、考え続けます。

そうして導き出した、彼女の結論は、
至極正論であり、かつ、非常に恐ろしい。

想像を絶するほどの、残虐極まりない悪事を働いた人間が、
何処にでもいる、凡庸な人物であったという事。
つまり、人は易きに流れるものであり、
"思考する" という、意志の力と忍耐が要求される行為を手放してしまえば、
アイヒマンも、ナチも、我々の誰もがなりうる姿なのです。

決して、特殊事例ではない。
偶々、その時代、その場所にいたのが、彼、彼らであっただけ。

ユダヤ人であり、強制収容所への抑留経験を持ちながらも、
冷静に看破し、鋭く指摘したアーレントは、やはり傑出した存在です。

戦争終決から、まだ、十数年。
忌まわしい記憶が生々しく残っている状況では、
普通は、感情に囚われてしまうものでしょう。
作中でも、アーレントの旧知の友人たちや、周囲の人々が、
熟慮する心の余裕も無く、彼女の事を責め立てました。

映画を見た私が、アーレントの主張を "正論" として受け止められるは、
戦争も経験していない、第三者だから。
もし、当事者だった場合に、同じように考えられるかと言えば、自信がありません。
頭では理解しようとしても、気持ちが追いつかないように思います。

アーレントが投げかけた問いは、非常に重く、普遍的な問題です。
人が "正しく" 生きる事の大切さと、困難さを、深く考えさせられます。

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   映画 『ハンナ・アーレント』

  ◇原題:Hannah Arendt
  ◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ
  ◇鑑賞日:2014.1.25. 映画館にて