末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

NTライブ/フランケンシュタイン

2014-02-28 23:36:24 | PJ版:役者のはなし
イギリスのロイヤル・ナショナル・シアター(NT)舞台作品を映像化した、
NTライブ「フランケンシュタイン」を見てきました。

M・シェリーによるゴシック小説(1818年刊行)を
元にした舞台で、演出はD・ボイル。
フランケンシュタイン博士と、クリーチャーの二役を、
W主演のJ・L・ミラーとB・カンバーバッチが日替わりで演じる点が見所です。

先日、再上映のニュース が発表されましたが、
当初の公開予定は、2/14(金)~16(日)がBC=博士・JLM=クリーチャー版、
2/21(金)~23(日)がJLM=博士・BC=クリーチャー版。
この作品は、両バージョンとも見た方が、深く楽しめるだろうな ・・ と
思いつつ、後半日程しか都合がつかなかった為、
以下は、JLM=博士・BC=クリーチャー版だけを見ての感想です。

幕開けは、クリーチャーが生まれ落ちるシーンから。

原作未読、有名な 1931年版の映画 も未見な私には、
いきなり、経緯不明状態でクリーチャーが誕生してしまった事と、
役者の身体能力・表現力の凄まじさとに、
何だか、こちらの受容能力と理解力とが、ついていけず仕舞い。。
しばらくは、ただ見ているだけの状態に陥っておりました。

カメラ割りにも癖があり、場面転換も含めて、
舞台上の全体図を把握するのにも時間を要したように感じます。

ようやく、色々と思いを巡らせながら、ストーリーを追えるようになったのは、
クリーチャーが盲目の老人と出会った辺りから。
俄然、面白味が増してきたと感じられたのは、
クリーチャーが博士と再会してから、ですね。
(山奥で二人が対峙する場面は、見応えがありました!)

見る前までは何となく、マッドサイエンティストな、非人間的で冷酷な博士と、
容貌は醜いけれども、無垢で哀れなクリーチャーという図式を
イメージしていたのですが、実際は、少々違いました。

JLMの博士は、"狂気" よりも、
人としての "未熟さ"と、才能がある故の "高慢さ" とで、
道を踏み外してしまったような感じ。
彼の過去に何があったのか? 生き方を見直す機会は無かったのか?
などと考えてしまったほどです。

BCのクリーチャーは、ちょっと難しい。
見た目の恐ろしさから、拒絶され、虐げられ、
自分を理解してくれる伴侶さえいれば良い、という望みすら裏切られてしまう。
そうした点は、確かに憐れみを感じるのだけれど、
一方で、老人一家や博士の妻に対する仕打ちを、
"当然の事" と考えていそうな傲慢さが何とも言えない。
自分は何故生み出されたのか ―― 。
己の生きる意味の追求、"生" への貪欲さ。
博士が神の領域を侵さんとした、その罪の形と、贖いを、
すべて背負い、体現しているかのような複雑さです。

博士の父親の嘆きが、博士とクリーチャーの関係との二重写しであることや、
北極点を目指すクリーチャーと、それを追う博士とが、
まさに、表裏一体の存在になっていたラストシーンなども、
印象に残りました。

キリスト教的な考え方の素地と、西洋的な教養がもっとあれば、
理解度が全然違ってくるのだろうな ・・ と思いながらの鑑賞でした。
あと、字幕に頼らなくても困らない程度の、英語ヒアリング力。。

さて、上記のリンク先にもあるように、追加分のスケジュールは、
3/28(金)~30(日)がBC=博士・JLM=クリーチャー版、
4/4(金)~6(日)がJLM=博士・BC=クリーチャー版。
行けるようだったら、今回とは配役が逆のバージョンを見てみたいですね。
雰囲気がガラッと変わりそうです。


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   NTライブ 『フランケンシュタイン』

  ◇鑑賞日:2014.2.21. 映画館にて