ゆうやプロジェクト

瞳をキラキラさせながら、ゆうやは今日も足こぎ車椅子COGYに乗って頑張っています。体が不自由だけれど、なんのその~。

新生児集中治療室に運ばれて

2015-02-02 13:48:29 | ゆうやの生い立ち
昨日、テレビで新生児集中治療室の様子を見ました。

若いドクター達が、生まれたばかりの赤ちゃんの治療に当たっておられました。
「全く泣きません。」
「呼吸が困難です!」

そういった赤ちゃんが専用の救急車で運ばれます。
生まれてからすぐに治療を受けることが、大事なのだそうです。

ドクターは、救急車の中でも治療に取り組まれていました。
動く車内の中で慎重に真剣にされていました。

ゆうやも救急車で新生児集中治療室のある病院に運ばれました。
その時、付き添ってくれたのは、ゆうやのパパでした。

ゆうやが乗った救急車にもこのようなシステムがあったかどうか、ゆうやのパパに尋ねました。
「覚えていないよ。」との返事でした。

多分、ゆうやが乗った救急車にはドクターは乗っておらず、病院に到着してから治療を受けたと思います。
通常は救急車に医師は乗っていませんから~。

もしもテレビで見たような治療システムがある救急車で運ばれていれば、ゆうやの障害はもっと軽かったのではないかという思いになりました。
文字が書けたかもしれません。
杖をついて歩けたかもしれません。
せめて足し算でも計算ができたかもしれません。

複雑な思いでいましたら、ゆうやが私を呼びました。
「お母さん♪」

振り返ると、170センチほどまで大きくなったゆうやがベッドの上で笑っていました。
私はテレビを見て新生児集中治療室にいたゆうやのことを思い出していましたので、ゆうやの成長に改めて感激しました。

治療システムのない救急車で運ばれたけれど、小さな身体で無事に命を繋いでくれて有難う。
よく頑張ったね。

私がゆうやを抱き締めると、ゆうやはキョトンとした顔をしていました。
とにかく有難う。

ゆうやは生まれた時から、頑張り屋さんなのでした。



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悲しい障害者手帳

2012-01-26 00:58:33 | ゆうやの生い立ち
ゆうやは、生まれてから3ヶ月間、新生児集中治療室に入っていました。

退院後、ゆうやとの生活が始まりました。
ゆうやを抱っこして買い物に行ったり、抱っこして掃除をしたり、どこへ行くのも何をするのも一緒でした。

抱っこしていると、どこから見ても普通の赤ちゃんに見えます。
「障害があるなんて信じられない、、、。」
私はいつもそう思っていました。
というより、信じたくなかったのだと思います。

「そのうち普通になるかもしれない。」
私は、障害者手帳を5年間申請しませんでした。

でも、成長するにつれて普通のこどもと違う点がだんだん明らかになってきました。

いつまでたってもハイハイをしません。
つかまり立ちもしません。
足首が変形しています。
5歳になってもジャンケンができません。

「やっぱりこの子は障害を持っている。」
そう認めざるを得ませんでした。
そして、私は悲しい思いで障害者手帳の申請に行きました。

心に冷たい風が吹くのを感じました。
厳しい現実を知りました。
どうあがいても、誰に頼んでも、ゆうやの脳を手術することはできないのです。

悲観すればどん底まで行きます。
「死」が頭をよぎります。

当時の私は、大事なことを見落としていました。

なぜ普通でなければいけないのでしょう。
なぜ障害があったらダメなのでしょう。
なぜ命の尊さに気づけなかったのでしょう。

人と比べるからです。
自分の理想を追うからです。

ゆうやは、ゆうやらしく生きていけばいいのです。
尊い命を輝かせることができるなんて、なんて有り難いことでしょうか。

数年前、今度は感謝の気持ちで障害者手帳の更新と、療育手帳の申請に行きました。
今では2つの手帳は、なくてはならないものになりました。

手帳の御蔭で、ゆうやは無事、毎日を過ごすことができています。
悲しい手帳は、感謝の手帳になりました。



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悲しみの母子手帳

2011-08-08 00:27:49 | ゆうやの生い立ち
先日、病院から母子手帳を持ってくるように言われました。

引き出しの奥にしまっていた母子手帳を久しぶりに手に取りました。
最初のページを開けると、子供を授かった喜びいっぱいで自分の名前を書いた記憶が甦ってきました。
20代の夢と希望にあふれた文字でした。

ページをめくる度に、喜びが不安に変わっていきました。
切迫流産の可能性があり入院した頃は、生まれて初めての入院に戸惑っていました。
けれども、さして不安もなく、ただ一日中点滴とお友達になっていました。

そしてとうとう7ヶ月でゆうやを出産。
産後の経過や、保健所での記録が書かれています。

心臓や目の病状。
身体障害の記録。

このころは、ドクターからの宣告に胸が張り裂ける思いでした。
ああ、辛かったなあと当時を振り返りました。

保健所の係の人からは「あなたのお子さんは障害を持っているのよ!現実を見なさい!」ときつく叱られました。
私は現実を受け切ることができず、とても混乱していたのです。
「まさか自分のこどもが障害を持って生まれてくるなんて!」
私は打ちひしがれた思いでした。

身長体重に併せて、身体機能の1つに反射が強いことも書かれています。
診察を受ける度に悲しみが深くなっていきました。

予防接種の記録もあります。
ゆうやの健康を願って、きっちり予防接種を受けていました。

今から思うと、どうしてあんなに悲しみ、苦しんだのだろうという気持ちになります。
ゆうやはゆうやであることに変わりはなく、その時その時の状態を受け入れて一生懸命生きていけばいいだけなのに~。
幼いゆうやを抱っこして悲壮だった当時の私に、言ってやりたいです。
「大丈夫だよ。悲しむことはないよ。それでいいんだよ。」と。

生きていることが素晴らしい。
生きていられることが有難い。

悲しみでいっぱいの母子手帳には感謝の気持ちが忘れ去られていました。
人として生まれてきて肝心なことをすっかり忘れていた私でした。

でも、もう大丈夫。
今の私にはゆうやと共にいて、悲しみはどこにもありません。
ただただ生きていられることへの感謝の気持ちでいっぱいです。


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ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編 3

2010-12-27 01:28:08 | ゆうやの生い立ち

引き続き、「ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編 2」の続きです。

約二ヶ月程の間、ゆうやは保育器の中で過ごしました。
1日40分の面会の間に、保育器の中に手を入れて おむつを替えるのが楽しみでした。

心臓の手術と目の手術はいずれも直前に回避できました。(http://blog.goo.ne.jp/yuyaproject/d/20101115
だんだん母乳の摂取量が増えてすくすく成長し、2ヶ月後にいよいよ保育器から出ることができるようになりました。

面会に行き、初めてゆうやを抱っこしました。
もう管にはつながれていません。
なんて温かなしっとりした感触なんでしょうか。
温かいというより、熱いと言った方がいいかもしれません。
私の腕の中でいるゆうやは、命の炎をぐんぐん燃やしているように思いました。

面会の間、沐浴の練習をしたり、授乳をしたり体重を計測したり、親子の触れ合う時間を過ごしました。
それにしても、40分などあっという間です。
後ろ髪をひかれる思いで、新生児集中治療室を後にしました。

早く 抱き締めたいと願っていましたが、その願いが叶うと、今度はもっと 会いたい、早く一緒に 暮らしたいと思うようになりました。
ゆうやも寂しく思っていたのか、ずっと泣いていたそうです。
保育器から出てからは、看護士さんが交代で、ゆうやを抱き続けてくださったと伺いました。

そして、医師から衝撃のCT検査結果を聞く事になるのですが、その後3kgまで体重が増えたゆうやは、年末に退院することになりました。
「寒いけれど、がんばって外出して訓練してください。」
医師の悲しそうな顔を今でも覚えています。

看護士さんは、「ごめんね、お母さん。ゆうやくんは抱き癖がついていますよ~。」と笑って見送ってくださいました。
皆さんに可愛がって頂いたゆうやは、幸せです。

こうして約3ヶ月の入院生活を終え、ゆうやは無事退院することができました。
風の強い寒い年末のことでしたー。
(写真は大阪市内 昨夜のイルミネーション)


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ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編 2

2010-12-26 00:31:44 | ゆうやの生い立ち
昨日の「ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編1」の続きです。

ゆうやは、生まれて間もなく、ゆうやパパに付き添われて救急車に乗りました。
そして、新生児集中治療室に運ばれ、処置を受けました。
その時、幸運にも空きの保育器があり、受け入れてくださったので、ゆうやは無事入院することができたのです。

誕生して空気に触れたゆうやは、体重が1000g程に減少してしまいました。
心臓にも欠陥があり、医師からは危険な状態であることを告げられました。
ゆうやの体には幾つもの管が繋がっていました。
保育器の側には、心電図・心拍数・血圧などの数値を表示する生体情報装置(モニター)が置かれています。
命の灯火がいまにも消えそうになっていました。
ゆうやパパはそのことを、他の病院に入院していた私に内緒にしていました。
ゆうやパパは、1人で辛い苦しい1週間を過ごしました。

懸命に生きようとする 赤ちゃんを見て、「優」という字が浮かんだそうです。
ゆうやパパは「赤ちゃんには『優』という字の名前をつけよう。」と私に言いました。

「ゆうや」と 名付け、私も退院して、初めてゆうやの病院を訪れました。
ゆうやへの面会は時間が決まっていて、1日につき40分だけでした。
消毒された衣類や帽子を身につけ、手を消毒し、新生児集中治療室に入りました。
痩せて細くなった手足の我が子が管に繋がれている様子を目の当たりにし、強い衝撃を受けました。
保育器の中のゆうやに、恐る恐る「ゆうや」と呼びかけると、ゆうやはえくぼを見せて笑いました。
まるで、私の呼びかけに応じているかのようでした。

ゆうやは何日も保育器の中で過ごしました。

母乳は冷凍して毎日運んだのですが、ゆうやの1回の母乳摂取量は、たったの1ccでした。
それでも、私は必死で搾乳しました。
胸部には搾乳の際の指跡が青いあざとなって、残りました。
実家の母は、そんな私の姿を陰から見ていて、涙したそうです。
いくつものあざは、長い間残っていました。

毎日、ゆうやに会いに行きました。
たった40分で私達ができることは、おむつを一度だけ交換することでした。
早くゆうやを 抱き締めたいと思いました。

保育器の中に手を入れると、ゆうやは、小さな小さな手で、私の人差し指をぎゅっと握りました。
指先から伝わってくるものは、「生きよう」「生きたい」という強い生命力でした。

消え入りそうな命の灯火は、誕生して一週間後にだんだん安定してきたのでした。


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