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ゆうやプロジェクト

瞳をキラキラさせながら、ゆうやは今日も足こぎ車椅子COGYに乗って頑張っています。体が不自由だけれど、なんのその~。

ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編 2

2010-12-26 00:31:44 | ゆうやの生い立ち
昨日の「ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編1」の続きです。

ゆうやは、生まれて間もなく、ゆうやパパに付き添われて救急車に乗りました。
そして、新生児集中治療室に運ばれ、処置を受けました。
その時、幸運にも空きの保育器があり、受け入れてくださったので、ゆうやは無事入院することができたのです。

誕生して空気に触れたゆうやは、体重が1000g程に減少してしまいました。
心臓にも欠陥があり、医師からは危険な状態であることを告げられました。
ゆうやの体には幾つもの管が繋がっていました。
保育器の側には、心電図・心拍数・血圧などの数値を表示する生体情報装置(モニター)が置かれています。
命の灯火がいまにも消えそうになっていました。
ゆうやパパはそのことを、他の病院に入院していた私に内緒にしていました。
ゆうやパパは、1人で辛い苦しい1週間を過ごしました。

懸命に生きようとする 赤ちゃんを見て、「優」という字が浮かんだそうです。
ゆうやパパは「赤ちゃんには『優』という字の名前をつけよう。」と私に言いました。

「ゆうや」と 名付け、私も退院して、初めてゆうやの病院を訪れました。
ゆうやへの面会は時間が決まっていて、1日につき40分だけでした。
消毒された衣類や帽子を身につけ、手を消毒し、新生児集中治療室に入りました。
痩せて細くなった手足の我が子が管に繋がれている様子を目の当たりにし、強い衝撃を受けました。
保育器の中のゆうやに、恐る恐る「ゆうや」と呼びかけると、ゆうやはえくぼを見せて笑いました。
まるで、私の呼びかけに応じているかのようでした。

ゆうやは何日も保育器の中で過ごしました。

母乳は冷凍して毎日運んだのですが、ゆうやの1回の母乳摂取量は、たったの1ccでした。
それでも、私は必死で搾乳しました。
胸部には搾乳の際の指跡が青いあざとなって、残りました。
実家の母は、そんな私の姿を陰から見ていて、涙したそうです。
いくつものあざは、長い間残っていました。

毎日、ゆうやに会いに行きました。
たった40分で私達ができることは、おむつを一度だけ交換することでした。
早くゆうやを 抱き締めたいと思いました。

保育器の中に手を入れると、ゆうやは、小さな小さな手で、私の人差し指をぎゅっと握りました。
指先から伝わってくるものは、「生きよう」「生きたい」という強い生命力でした。

消え入りそうな命の灯火は、誕生して一週間後にだんだん安定してきたのでした。


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ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編 1

2010-12-25 12:00:44 | ゆうやの生い立ち
私のお腹の中にゆうやが入っていたとき、予定では年末に誕生すると皆思っていました。
それが、妊娠6ヶ月のとき、切迫流産の可能性が高まったため、私は1ヶ月絶対安静となり入院しました。
24時間点滴を受け続けました。
どこへ行くのも点滴と一緒です。
時々、針を差し替えるのですが、腕はあちらこちら青くなっていました。

1ヶ月もじっと寝て安静にしていると、体がむくみ、顔も膨らんでしまいました。
そして何よりも足の筋肉が落ちて足取りがふらふらしてきました。

早く家に帰りたいー
そう願っていたある日、病院から退院許可が下りました。
喜んで帰宅したのですが、まもなく激しい腹痛に襲われました。
その時は、まさか陣痛が始まったなどとは夢にも思いませんでした。

痛いお腹をさすりながら、「何か悪いものでも食べたのかな」と思っていました。
翌朝になっても痛みがとれず、今度は腰まで痛くなってきました。
様子を見に来てくれた実家の母にお腹が痛いことを伝えました。
でも、私の悪い癖で、痛みを自分の中で我慢してしまい、あまり訴えなかったのです。
母も陣痛とは気づきませんでした。

そのうち、痛みが強くなったときには、全く動けなくなってきました。
とうとう、母に「とても痛い。もしかしたら、陣痛かもしれない。」と告げると、母は慌ててゆうやパパに連絡をしてくれました。
運良くゆうやパパは会社にいたので、連絡がつき、すぐに飛んできてくれました。

もうすぐ生まれる予感がしてきて、これは、走らないと間に合わないと思い、私は、その当時住んでいたマンモス団地の廊下を走りました。
でも、痛みが強くなると、まったく動けなくなり、うずくまってしまいました。
ゆうやパパは、重い私を抱き上げて再び廊下を走りました。
陣痛が弱くなると、私は、再び自分の足で走りました。
こんなに走るのは数ヶ月ぶりです。
なんて長い廊下なのでしょう。

そして母とゆうやパパと一緒にタクシーに飛び乗りました。
とうとう、タクシーの中で破水してしまいました。

病院に到着し、看護士さんに「生まれそうです。」と伝えたのですが、まさかそこまで切迫しているとは思われなかったようで、ゆっくり対処されました。
でも、ゆうやが誕生し始めていたので、驚いて先生を呼びに行かれました。
病院到着後15分ほど経過した頃に、ゆうやは誕生しました。
(これは 安産 というのでしょうか、、、)

1306グラムの 小さな 赤ちゃんでした。
そして、その日から小さな命の育みが始まったのです。


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