昨日の「ゆうやの生い立ち 赤ちゃん編1」の続きです。
ゆうやは、生まれて間もなく、ゆうやパパに付き添われて救急車に乗りました。
そして、新生児集中治療室に運ばれ、処置を受けました。
その時、幸運にも空きの保育器があり、受け入れてくださったので、ゆうやは無事入院することができたのです。
誕生して空気に触れたゆうやは、体重が1000g程に減少してしまいました。
心臓にも欠陥があり、医師からは危険な状態であることを告げられました。
ゆうやの体には幾つもの管が繋がっていました。
保育器の側には、心電図・心拍数・血圧などの数値を表示する生体情報装置(モニター)が置かれています。
命の灯火がいまにも消えそうになっていました。
ゆうやパパはそのことを、他の病院に入院していた私に内緒にしていました。
ゆうやパパは、1人で辛い苦しい1週間を過ごしました。
懸命に生きようとする 赤ちゃんを見て、「優」という字が浮かんだそうです。
ゆうやパパは「赤ちゃんには『優』という字の名前をつけよう。」と私に言いました。
「ゆうや」と 名付け、私も退院して、初めてゆうやの病院を訪れました。
ゆうやへの面会は時間が決まっていて、1日につき40分だけでした。
消毒された衣類や帽子を身につけ、手を消毒し、新生児集中治療室に入りました。
痩せて細くなった手足の我が子が管に繋がれている様子を目の当たりにし、強い衝撃を受けました。
保育器の中のゆうやに、恐る恐る「ゆうや」と呼びかけると、ゆうやはえくぼを見せて笑いました。
まるで、私の呼びかけに応じているかのようでした。
ゆうやは何日も保育器の中で過ごしました。
母乳は冷凍して毎日運んだのですが、ゆうやの1回の母乳摂取量は、たったの1ccでした。
それでも、私は必死で搾乳しました。
胸部には搾乳の際の指跡が青いあざとなって、残りました。
実家の母は、そんな私の姿を陰から見ていて、涙したそうです。
いくつものあざは、長い間残っていました。
毎日、ゆうやに会いに行きました。
たった40分で私達ができることは、おむつを一度だけ交換することでした。
早くゆうやを 抱き締めたいと思いました。
保育器の中に手を入れると、ゆうやは、小さな小さな手で、私の人差し指をぎゅっと握りました。
指先から伝わってくるものは、「生きよう」「生きたい」という強い生命力でした。
消え入りそうな命の灯火は、誕生して一週間後にだんだん安定してきたのでした。
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ゆうやは、生まれて間もなく、ゆうやパパに付き添われて救急車に乗りました。
そして、新生児集中治療室に運ばれ、処置を受けました。
その時、幸運にも空きの保育器があり、受け入れてくださったので、ゆうやは無事入院することができたのです。
誕生して空気に触れたゆうやは、体重が1000g程に減少してしまいました。
心臓にも欠陥があり、医師からは危険な状態であることを告げられました。
ゆうやの体には幾つもの管が繋がっていました。
保育器の側には、心電図・心拍数・血圧などの数値を表示する生体情報装置(モニター)が置かれています。
命の灯火がいまにも消えそうになっていました。
ゆうやパパはそのことを、他の病院に入院していた私に内緒にしていました。
ゆうやパパは、1人で辛い苦しい1週間を過ごしました。
懸命に生きようとする 赤ちゃんを見て、「優」という字が浮かんだそうです。
ゆうやパパは「赤ちゃんには『優』という字の名前をつけよう。」と私に言いました。
「ゆうや」と 名付け、私も退院して、初めてゆうやの病院を訪れました。
ゆうやへの面会は時間が決まっていて、1日につき40分だけでした。
消毒された衣類や帽子を身につけ、手を消毒し、新生児集中治療室に入りました。
痩せて細くなった手足の我が子が管に繋がれている様子を目の当たりにし、強い衝撃を受けました。
保育器の中のゆうやに、恐る恐る「ゆうや」と呼びかけると、ゆうやはえくぼを見せて笑いました。
まるで、私の呼びかけに応じているかのようでした。
ゆうやは何日も保育器の中で過ごしました。
母乳は冷凍して毎日運んだのですが、ゆうやの1回の母乳摂取量は、たったの1ccでした。
それでも、私は必死で搾乳しました。
胸部には搾乳の際の指跡が青いあざとなって、残りました。
実家の母は、そんな私の姿を陰から見ていて、涙したそうです。
いくつものあざは、長い間残っていました。
毎日、ゆうやに会いに行きました。
たった40分で私達ができることは、おむつを一度だけ交換することでした。
早くゆうやを 抱き締めたいと思いました。
保育器の中に手を入れると、ゆうやは、小さな小さな手で、私の人差し指をぎゅっと握りました。
指先から伝わってくるものは、「生きよう」「生きたい」という強い生命力でした。
消え入りそうな命の灯火は、誕生して一週間後にだんだん安定してきたのでした。
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