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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

米軍沖縄基地 台湾へ!?(続)

2017-01-25 14:20:58 | 日記
omg05さんからのコメントを読んで、一つ大事なことを忘れていたこ
とに気づいた。それは、トランプ新政権の軍事戦略と、もう一つの当事
者である台湾政府との関係である。米軍沖縄基地を台湾に移設する計画
について、それでは台湾政府はどういう意向を持っているのだろうか。

これについては推測するしかないが、台湾政府は、中国の軍事圧力を牽
制する意味で、米軍基地の自国への移設を大いに歓迎するに違いない。
むしろこの移設計画は、策士ボルトンのあみ出した奇策というより、台
湾政府側からの積極的な提案だったと思われる。

トランプが大統領選挙に勝利して間もなく、台湾の蔡英文(ツァイイン
ウェン)総統と電話会談したこと、また、その後まもなく、蔡英文総統
が中米4カ国の訪問に託(かこつ)けて米国入りしたことも、両者の相
思相愛の関係を示すものと言えるだろう。米国入りしたこの台湾のトッ
プは、その折、トランプ新政権の関係者と会談をして、基地移設の提案
(がマジであること)をあらためて確認したと考えられるのである。

さて、基地移設をめぐる米新政権と台湾政府との関係を以上のように押
さえた上で、日本政府の対応はどうかを考えてみたい。すでに述べたよ
うに、日本には、米軍の沖縄駐留を望まない勢力と同時に、これを望む
勢力が頑として存在する。外務官僚をはじめとするこの勢力は、台湾政
府の意向がどうであれ、移設反対の態度を変えないだろう。この勢力
は、米中の緊張関係を回避するためと称して、米軍の台湾への移設を妨
害するような工作活動を行うに違いない。そうなれば(これもすでに書
いたように)日本と中国は、「台湾への米軍基地移設の絶対阻止」とい
う共通の利害で結びつくことになり、日本は中国の軍事的脅威に対峙す
る必要がなくなって、漁夫の利を得た格好になる。(日中が共通の利害
で結びつき、日本が中国の軍事的脅威に対峙する必要がなくなったとき、
日本の外務官僚が「あ、だったら米軍の沖縄駐留なんて、必要ないよ
ね」と思うかどうかは分からない。)

きょうは読者からの有意義な指摘をうけ、米台関係というもう一つファ
クターを加えて考察し直してみた。成り行きの大勢にさほどの変化はな
さそうである。

思い返してみれば、鳩山由紀夫が内閣総理大臣に就任したのが2009年、
彼は就任後、米軍の沖縄基地問題をめぐって「最低でも県外」と唱えた
が、それから8年が経ったいま、米軍沖縄基地は「最低の県外」どころ
か「最高の国外」へと落ち着きそうな雲行きである。「風が吹けば桶屋
が・・・」にも似た意外な展開に、ただ驚き呆れるばかりである。沖縄の
人々の長年の苦労を思うとき、天の配剤のような歴史の成り行きに、言
いようのない感慨がこみあげてくる。そして、ああ、なぜだか笑いが止
まらないのである。
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米軍沖縄基地 台湾へ!?

2017-01-24 13:57:38 | 日記
アメリカの新政権に近い人物が最近、沖縄の米軍基地を台湾に移すべきだ
と発言したらしい。

友人がブログ(「槐安国伝」)で、そう書いていた。さっそくこの友人
にメールを送り、詳しいことを尋ねると、これはジョン・ボルトン元米
国連大使の提言であるとのこと。
ジョン・ボルトンといえば、国務省きってのタカ派 で、トランプ新政権
の国務長官候補にもなっている人物である。そういう人物の提言とあれ
ば、沖縄米軍基地の台湾への移設は、実現の可能性が高いとみるべきだろ
う。そうなれば、日本の安保環境にも少なからぬ影響があるはずだ。にも
かかわらず、この問題が日本の(ネットを含む)論壇でクローズアップさ
れないのは、なぜなのか。

トランプ新政権が米軍の沖縄基地を台湾に移設しようとすれば、まず考
えられるのは、中国の激しい反発である。中国からすれば、これは喉元
に匕首を突きつけるに等しい所行であり、とうてい黙って見過ごすこと
はできない。中国は当然、軍事力を総動員して抵抗しようとするから、
東アジアには一触即発の大きな緊張がもたらされるだろう。

日本には、米軍の沖縄駐留を望まない勢力と同時に、これを望む勢力が
頑として存在する。外務官僚をはじめとするこの勢力は、米中の緊張関
係を回避するためと称して、米軍の台湾への移設を妨害するような工作
活動を行うに違いない。そうなれば日本と中国は、「台湾への米軍基地
移設の絶対阻止」という共通の利害で結びつくことになり、日本は中国
の軍事的脅威に対峙する必要がなくなって、漁夫の利を得た格好になる。
だから米軍基地の台湾移設などという問題で大騒ぎするには及ばないの
だ。

日本の論壇がこの問題で騒ぎ立てないのは、そういう理由からなのかも
知れない。

ま、成り行きはどうあれ、日本の論客たちはトランプに劣らずオプティ
ミスティックな人たちなんだね。
コメント (1)
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トランプの産業政策

2017-01-23 17:01:51 | 日記
トランプは大統領就任演説で、「バイアメリカン(アメリカ製品を買
え)」を自らの政策の一つとしてかかげた。この政策はいかにもアメリ
カらしい従来の手法だが、私が驚いたのは、商売人上がりのこの人の口
から、この言葉が出たことである。「バイアメリカン」というこの言葉
が、アメリカ人向けでなく、ワールドワイドな消費者に向けて言われた
のだとしたら、彼は大統領になった途端に商売人であることをやめ、商
売の基本まで忘れてしまったと言わなければならない。

消費者の購買行動は、購入したいと思う商品があって初めて成り立つ。
「アメリカ製品を買え」と言われても、一般の消費者が購入したいと思
うようなアメリカ製品がどれぐらいあるだろうか。自動車ならドイツと
か、革製品ならイタリアといったように、その国その国によって独自の
魅力的な商品があるものだが、さて、アメリカ製品で我々の購買欲をそ
そるものが何かあるのかと考えてみると、とんと思い浮かばない。そう
いう商品、購買欲をそそる商品を開発する努力もしないで、商品を「
もっと買え」と言い立てるだけの傲慢なリーダーは、やがて世界の消費
者から、手酷いしっぺ返しを食らうだろう。

一昔前なら、アメリカンスタイルの「豊かな生活」にあこがれをいだ
き、その流れからアメ車にあこがれをいだいた人もいなくはなかった
が、締まりのないサスペンションにバカでかい図体を載せたアメ車は、
狭くて起伏に富んだ日本の道路には、いかにも不向きだった。

今ならアップル製やマイクロソフト製などのコンピュータ関連製品があ
るじゃないかと言う人もいるだろう。事実、日本の消費者がパソコンを
買おうとすれば、購入の選択肢はアップル、マイクロソフト、デル、
hpなどの商品に限られ、おのずと「バイアメリカン」を実践することに
なる。しかし、それだけ。それによってアメリカに入ってくるマネーの
量など高が知れている。

コンピュータ製品以外にワールドワイドで販売を見込める製品がアメリ
カにないのは、「アメリカンスタイルの生活」がIT分野以外で、我々に
魅力を感じさせなくなったことと関連している。多くの人にあこがれを
いだかせるような「アメリカンスタイルの生活」を、アメリカ人がみず
から作る努力をすることが、まずもって必要だろう。

魅力的な「アメリカンスタイルの生活」が作れず、生活関連の分野で売
れる商品が見い出せないとしたら、トランプのアメリカはどの分野に産
業の活路を見出すのか。トランプ政権は官民をあげて、活路を軍需向け
のハイテク産業に求めるのではないかと私は予想している。

トランプの自己中路線、孤立主義は、国際政治の場に緊張をもたらし、
軍拡の気運を高めるだろう。そうなれば軍備関連のニーズも高まり、メ
イド・イン・アメリカのハイテク兵器も売れるようになる。トランプの
「アメリカ第一」路線つまり自己中路線は、「バイアメリカン」の将来
的戦略と密接にリンクしてくると私は見ている。
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トランプの自己中路線

2017-01-22 11:10:30 | 日記
きょうの新聞社説は異口同音に、トランプの大統領就任演説を取り上げ
ている。いずれも痛烈で批判的な懸念を示しているが、なかでも各社が
批判のやり玉にあげるのは、トランプの言う「アメリカ第一」主義、私
の言葉で言えば「アメリカの自己中路線」である。

この「自己中」路線については、彼がまだ選挙の舌戦を繰り広げていた
ころ、私なりの見方で批判を行ったことがある(2016.5.11《トランプ
 エゴイストの愚かな選択》)。

きょうの新聞各紙の社説を読むと、いちいちもっともな批判であり懸念
であって、私が(自分で言うのもナンなのだが)以前のブログで示した
見解の、そのパラフレーズを見る思いがする。この型破りな新大統領へ
の私の批判的な姿勢の、その原点を確認するためにも、以前の本ブログ
の触(さわ)りの部分をふり返っておくとしよう。

「トランプ氏の発言に特徴的なのは、エコノミストに特有の、コスト‐
ベネフィット分析の思考法である。「アメリカ軍の日本駐留」という
プロジェクトについて、それに費やされる費用負担(コスト)と、そ
こから得られる利益(ベネフィット)を計算する。トランプ氏は、こ
のベネフィットのうち、「アメリカが享受する取り分」はゼロに等し
く、「日本が享受する取り分」は極めて大きいと見積もり、そのため
のコストは日本側が支払うべきだと考えるのである。

だが、この判断はどういう結果をもたらすのか――。

この判断の根底にあるのは、「自分の利益を最大化すればよい」、
「相手がどうなっても構わない」という思考法、エゴイズムの思考法
である。

エゴイズムはどういう結果をもたらすのか――。

人と人との関係のケースだったら、自分のことしか考えないエゴイス
ト、自己中の人間は、だれからも相手にされず、孤立して、困ったと
きだれにも助けてもらえないだろう。
いつも自己利益の最大化を優先する「困ったちゃん」は、結局、いち
ばんの窮地で自分の利益を手放さざるを得ないのである。

私はこれを「利己主義者の弁証法」と呼んでいるが、国家と国家との
関係においても、この弁証法は成立する。いつも自国の利益を優先し、
他国との関係や信義など度外視して憚らないエゴイズム国家を相手に、
生き残りのための同盟関係を結ぼうとは、どんな国も考えないだろう。
「国が考える/考えない」というのは変な言い方だが、賢明な国家指
導者なら、そう考える/考えないということである。

どんな国とも同盟関係が結べず、孤立した国家は、(国際社会から非
難のつぶてを浴びせられている)あの北朝鮮と同じ末路を辿るしかな
いのではないか。経済状態一つとってみても、現在のアメリカより事
態が悪化することは間違いない。」

私がこう書いてから、もう8カ月余りが経とうとしている。だがトラ
ンプの言動には変化も、変化の兆しも見られない。あと数年が経って
から、「数年前、私はこう書いたが、幸か不幸かこの予測は当たって
いた」と書くことにならなければよいのだが・・・。
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引きこもり

2017-01-21 13:59:59 | 日記
トランプの大統領就任式は何ごともなく終わったようだ。この人のポ
リシーといえば、アメリカ第一主義、つまりアメリカの自己中路線で
ある。自国の周りに高い壁を築く、引きこもり作戦と言ってもいい。

大国の場合はいざ知らず、若い少年少女が自室に引きこもれば、これ
は大きな問題になる。引きこもる少年少女の数が多くなれば、一種の
社会問題にもなるだろう。引きこもる若者たちは、真面目に学校に
行って、卒業をして、どこかの企業に就職をして、結婚をして、子供
を作り、平凡な家庭を作る、という平凡な、一般的コースから大きく
逸脱してしまうからである。引きこもる少女が異端児と見なされ、魔
女扱いされ、魔女狩りにあうことは今はなくなったが、彼女が奇異な
目で見られ、要注意人物の烙印を押されることは避けられない。

これは若者のケースだが、いい歳をした大人の場合は――定年を迎えて
リタイアした大人の場合は、どうなのだろう。まだ現役で働ける年代の
大人だったら、引きこもりはやはり問題になる。社会に出て、会社勤
めをするのが一般的なスタイルであるような社会では、引きこもりの
大人はやはり少数派で、変人扱いされ、要注意人物と見なされるに違
いない。

自分のことを書けば、私は現役のころ、自室に引きこもることが多かっ
た。自室にこもり、難解とされる書物を読みあさる、それが私の仕事
であり、また趣味でもあった。一年に数本の学術論文をひねり出すと
いう点を除けば、学者という職業はわりあい私の肌に合っていて、他
人と顔を合わせるよりは、活字を相手にしているほうが私には楽だっ
た。ひとことで言えば、私の場合、引きこもりは職業上要請されたこ
とでもあり、引きこもっていても非難されないどころか、「ほう、よ
く勉強なさいますなあ」などと感心されたものだ。
そのころの私のアウトドアの趣味は釣りだったが、釣りをするために
自宅を出るほうが世間様の非難の的になるので、私はだれにも見られ
ないように、人目を忍び、こっそりとフィッシング・タックルをかか
えて集合住宅の階段を下りたものだ。

いまは違う。私を取り巻く状況はがらりと変わってしまった。私はリ
タイアして学者でなくなるのとほぼ同時に、脳卒中を患い、気ままに
出歩くことができない身体になった。要介護者に認定された私に向かっ
て、私を担当するケアマネさんは、馬鹿の一つ覚えのように、「もう
ちょっと外出しましょうよ」とのたまう。杖をついて歩行するのに少
なからず苦痛を感じる私は、自室でパソコンに向かっているほうがは
るかに楽しいのだが、「デイサービスの欠席が多いようですね。これ
は良くありませんよ。通所の回数をいまの週一回から、二回に増やし
ませんか」とか、「たまにはお店でだれかと会食するのも良いですよ」
とか、「ショッピングなんかでも良いんじゃないですか」などと、あ
りがた迷惑な、余計なお世話の数々を、投げかけてくださるのである。

このケアマネさんは、それが仕事とはいえ、なぜこれほどしつこく
「引きこもらないで」と馬鹿の一つ覚えをオウムみたいにリピートす
るのだろう。たぶん彼女自身が子供のころ、引きこもりがちで「引き
こもりは良くないよ。休まずに学校に行きなさい」と再三再四、親か
ら注意を受けて育ったのではないか。だから「引きこもりは良くない」
という価値観が、おのずと身に着いてしまったのではないだろうか。

昨夜観たテレビドラマ「嫌われる勇気」では、アドラー心理学の目的
論を説明するために、引きこもりの少年の事例が挙げられていた。
それではアドラー自身は、「引きこもる」という行為に対して、どう
いう価値判断を下しているのだろうか。アドラーという心理学者ある
いは精神科医その人が、幼少期か青年期に、引きこもりがちだったの
ではないか、という気もするのだが。
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