ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

党首討論 ガキの喧嘩にも似たその不毛さ

2018-06-28 11:27:35 | 日記
与党の党首である安倍首相が、きのうの党首討論で「党首討論は歴史的使
命を終えた」と言ったようだ。首相のこの発言が物議を醸し、きょうの新
聞社説では、朝日、読売、毎日の3紙がこの問題を取りあげている。
朝日《党首討論 「歴史的使命」立て直せ》
読売《党首討論 大所高所から政策を論じよ》
毎日《党首討論の「歴史的使命」 与野党で投げ出す愚かさ》

この問題の根本にあるのは、「今のような党首討論なら、やっても意味が
ない。実にくだらん!」という見方だろう。問題なのは、与党の党首にも
野党の党首にも、この憂うべき現状を改善しようとする意欲がなく、彼ら
自身がこの見方に与していることである。

読売は与党自民党の広報誌らしく、野党党首の枝野代表を批判して、こう
述べている。
「安倍首相の答弁時間を十分に確保せず、自らの主張を訴えるだけでは、
党首同士が向かい合って議論する意味はない。」

たしかに、その通り、これでは無意味な、形ばかりの討論にしかならない。
しかしこの枝野代表の態度は、首相が前回の党首討論でとった煮えきらな
い態度に対して、野党側がやむなくとった反撃の態度だということを、見
逃してはならない。政権に距離をおく毎日は、首相がとった前回の態度を
批判して、こう述べている。
「首相は前回、森友学園、加計学園の問題などで質問にまともに答えず、
聞かれていないことを長々と話して時間をやり過ごす答弁姿勢に終始し
た。」
たしかに、これじゃどうしようもないわなあ。ーー要するに、売りことば
に買いことば、ガキの喧嘩みたいで、どっちもどっちなのである。

それでは、あるべき党首討論とは、どういうものなのか。それは、読売が
社説のタイトルに掲げるように、「大所高所から政策を論じる」ような、
丁々発止の議論の場だと、さしあたりは言えるだろう。

だが、実質的な政策論争はもっと下位の、党内の作業部会で行われるのが
通例だということを、我々は知っている。党首はそこで交わされた議論の
取りまとめ役・調整役に過ぎないことも、我々は知っている。だから、実
りのある政策論争は、むしろ通常の国会審議の場で行われるべきだと我々
の大半は考えている。

では、我々は党首討論に何を期待すればよいのか。それは、国会審議の場
で交わされるタテマエの議論では見えない、その裏に隠されたホンネの部
分を、政権与党の党首がついうっかりと漏らしてしまうことである。挑発
めいた野党党首の執拗な質問攻めにうんざりして、与党の党首が音をあげ、
あるいは怒りの激情にかまけて、ついホンネを口走ってしまうことがある。
そうなれば、これは野党にとっても、また国民にとっても、願ってもない
敵失の得点だということになるだろう。

現在の与党党首である安倍首相は、野党議員の鋭い追及につい興奮して、
「そんなことがあれば、私は首相も議員も辞任しますよ!」と口走ったこ
とがあった。だが、これは通常の国会審議でのこと、党首討論の場におい
てではない。現在の野党党首は、相手を追及する攻撃力にイマイチ欠ける
んだよなあ・・・、と心許なく思うのは、私だけだろうか。サシでの真剣勝負
は、実力が伯仲していないと、見るに堪えない。枝野さん、頑張ってね。
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