ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

大学進学の男と女

2024-05-05 11:34:09 | 日記
『女の子なんだから』浪人許されず」、「女性の進学、消えない壁 弟は浪人していいの?

きょうの朝日新聞である。第1面、第2面にでかでかと打たれたこれらの見出しを見て、私は強い違和感をおぼえないわけにかいかなかった。
この記事は、大学進学に関わる「男女の格差」について何かを言おうとしているようなのだが、記事本文を読んでみると、進学を控えた「女の子」に対して「男女の格差」のプレッシャーをかけているのは、社会的な制度などではなく、両親、特に母親なのだという。

この記事は、たしかに「男女の格差」のプレッシャーが壁のように立ちはだかる不合理な現実を指摘し、この現実に「それはおかしい!」と異議を申し立てているのだが、この主張をでは一体、だれに対して投げかけているのかというと、「読者一般」という社会に対してではなく、特殊個人的な「娘依存から抜け出せない無理解な母親」に対してなのである。

それだけではない。大学進学をめぐってはさまざまな不平等がある。男女間の不平等もその一つには違いないが、それ以上に大きいのは、「貧富の不平等」ではないだろうか。

卑近な例を持ち出すと、私は大学進学に当たって、「ウチはおカネがないから、私立はダメだよ。行くのなら、国立大学にしてよ」と(母親から)言われて育った。

ネットで調べると、現在、大学に入学した初年度にかかる金額は、国立大学の場合が817,800円、私立大学(文系)の場合が1,188,991円、私立大学(理系)の場合が1,566,262円、私立大学(医歯系)の場合が4,890,539円だという。

私が入学した昭和43年(1968年)には、国立大学の授業料は月1,000円だった。今となっては確かめようがないが、その頃の国立大学と私立大学の授業料の格差は、現在とは比較にならない位ひどかったと思う。

ともあれ、その頃の国立大学/私立大学間の壁は、現在の男子進学希望者/女子進学希望者間の壁よりずっと厚かった。しかも前者の壁が社会的などでかい・分厚い壁であるのに対して、後者の壁は高々家庭内の壁、ちっぽけで情緒的な親子間の壁なのである。

きょうの朝日の記事は、「ジェンダー不平等」にこだわる余り、両者(社会的な壁と、家庭的な壁)の違いが見えなくなってしまった記者が書いたように思える。
これらの記事はいずれも署名記事であり、筆者は女性である。きっと彼女たちは母親の猛反対を押し切り、何浪かして東京の有名大学に入学した経歴の持ち主なのだろう。
その不屈の気持ちはわからないではないのだけれど・・・。


コメント
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