ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

原爆投下の責任を問う

2020-08-09 14:33:54 | 日記
きょう8月9日はアメリカが長崎にーー広島に続いて、さらに長崎にーー原子爆弾を投下した日である。このヒロシマとナガサキを意識してか、アメリカのオバマ前大統領とバイデン前副大統領が、相継いで原爆に関する声明を発表した。バイデン氏は、11月の米大統領選挙で、民主党の候補としてトランプ現大統領と国家トップの座を争うことが決まっている。

さて、声明の中身であるが、バイデン氏は「核なき世界」の理念の大切さを訴え、オバマ氏は被爆地・ヒロシマの地に立って、その恐るべき被害のリアリティーを実感することの大切さを訴える。

この二人の声明文を見て、私が物足りなく思うのは、どちらにも「責任問題」への言及が見られないことである。アメリカにとって原爆投下の責任問題は、日本にとっての(天皇ヒロヒトの)戦争責任問題と同様、触れることすら憚られる国家的タブーなのだろうか。

穿った見方をすれば、バイデン氏は目下、米大統領選挙戦の渦中にある。原爆投下の責任問題に言及すれば、当時の大統領トルーマンの責任問題に触れざるを得ない。トルーマンは民主党に所属していたから、この問題への言及は、民主党への悪印象を植え付け、同じ政党に所属する自分の、その墓穴を掘ることにもなりかねない。バイデン氏の場合には、おそらくそういう計算が働いているのだろう。

原爆投下の責任問題に言及せよ、責任の所在をはっきりさせよ、ーーそう主張するとき、私の中にはルサンチマン(怨恨感情)が渦巻いている。ヒロシマとナガサキの市民に対する無残な仕打ちを、まるで無かったかのように忘れて、アメリカの属国になり果てた感のある今の日本の、その現状に甘んじる日本人の心情が私には理解できないし、我慢ならないのである。ルサンチマンのモンスターと化し、事あるごとに日本の戦争責任を追及して、日本の首相に謝罪を要求し続ける韓国の、あのねちねちと執拗な「引きずり根性」を、我々日本人もすこしは見倣うべきではないのか。

ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の責任はアメリカにある。その責任の所在をはっきりさせるべきだ、ーーそう私は考えている。否、むしろ「考えていた」と(過去形で)言うべきだろう。先日のブログ記事《過ちは繰り返しませぬから》を書く中で、私の考えは徐々に変わってきた。その変遷の様子を簡単に、自問自答風に振り返ってみよう。

原爆をヒロシマに投下したのはアメリカ軍であり、それを命じたのはアメリカ政府の首脳ではないのか?

いや、そうではない。それを行わせたのは戦争なのだ。そうでもしなければ、日本軍は負けを認めようとはしなかった。明らかに劣勢なのに、日本軍は負けを認めず、いつまでも戦争を続行しようとした。戦争を続ければ、犠牲は増す一方だ。この事態を食い止めようとすれば、アメリカ軍は止めを刺す意味で、原爆を使用せざるを得なかったのだ。
さらに言えば、原爆投下の責任はあくまでも〈戦争〉そのものにあるが、その究極的な責任はといえば、それは日本にあると言わなければならない。日本はパール・ハーバーを攻撃し、戦争を仕掛けたのだから。

でも、日本が真珠湾を攻撃したのは、英米がABCD包囲網を敷き、貿易封鎖を行って、日本を追い詰めたからではないのか。当時の国際情勢が日本を追い詰め、暴発を誘ったのだ。

それは当時、国際社会が日本の膨張主義に恐れを懐いていたからだ。ーーでも、誤解しないでもらいたいのだが、私は当時の日本を非難しようとしているわけではない。この膨張主義という奴は、なにも日本だけのものではなく、どの国も、一時はかぶれる罠のようなものだからだ。人間本性の根本にある〈力への意志〉の、そのなせる業(わざ)と言うしかない。

う〜む、ヒロシマの悲劇を引き起こしたのは、人間本性の奥底に巣食う人間の〈業(ごう)〉だ、ということになるのかな。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、それと似ているな。ヒロシマの惨状は忌むべき「罪」だが、この罪をおかしたアメリカ人を憎むべきではない、憎むべきは人間の〈業(ごう)〉にある、と言いたいのだろう。広島原爆慰霊碑の、あの碑文はたしかに、そういう発想から書かれている。

だが、ここで私の中にもう一つ別の声が頭をもたげた。

しかしだな、そうなると、どんな犯罪もその責任を問われない、ということになるのではないか。どんな犯罪も人間の〈業〉に由来する。犯罪に駆り立てたのはその〈業〉なのだから、その責任は駆り立てられた人にはない。ーーそういうことになれば、人は何をしても責任を問われない、ということになる。この考え方には、私は納得できない。

う〜む。う〜〜む。う〜〜〜む。私の中のこの声に、今の私は返す言葉を持たない。どうやら私の思考は「出口なし」の状態に陥ったようだ。かつての夜郎自大国家・日本のように、ずど〜んと暴発しなければ良いのだが・・・。
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