ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争とコロナ

2022-05-07 14:23:22 | 日記


コロナの猛威がなかなかおさまらない。下火になったように見える日もあるが、翌日になると感染者数がふたたび盛り返し、妖怪コロナの第6の波はいつまでもうねり続ける。

戦争の猛威がなかなかおさまらない。ウクライナの首都キーウの街並みへの砲弾攻撃が止み、「すわロシア軍、いよいよ撤退か」と思わせる日もあるが、東部の要衝マリウポリでは、製鉄所への攻撃が一段と激しさを増し、妖怪プーチンの野望の執拗さをうかがわせる。

いつまでも終息しそうにないコロナと、そして戦争、――この二つが、私にはダブって見える。そしてこの二つが、私には、人間の度し難い飽くなき欲望から生じたもののように思えるのである。

ロシアのウクライナ侵攻は、プーチンの果てしない野望と、その裏返しの過度な恐怖心から出たことだと私は考えている。

他方、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、地球の生態系を破壊するほど、それほど肥大化した人類の経済活動が作り出したものだ、とする見方が有力視されている。この経済活動が人間の飽くなき欲望に由来するものであることに疑う余地はない。

私が懸念するのは、我々がコロナ禍に慣れ、その怖さに鈍感になってしまうことである。コロナに対してと同様、我々は戦争に対しても慣れっこになり、その怖さに鈍感になりつつあるのではないか。

絶え間のない戦争を前にして、我々人間は他方で、人間世界の真実を明らかにする鋭い文学的洞察を生み出してきた。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。」(平家物語)

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
(方丈記)

絶え間のない戦乱は、日本の場合、深い諦念をもたらし、無常観の文学を生み出した。
反面、そこからはまた、フランスのアルベール・カミュのような不屈の「抵抗の文学」も生じる。

戦争に対しても、疫病に対しても、いろいろな向き合い方がある。向き合い方は様々でも、感情によって曇らされない冷徹な眼差しは両者に共通している。

ロシア―ウクライナ戦争から、どういう見方が生まれるのか。また、コロナ・パンデミックから、どういう世界観が生まれるのか。先行きがそう長くない老いぼれの私は、首を長くしながら、若い人たちの活躍に期待している。


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