ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「決め方」の決め方とオリ・パラ開催

2021-02-13 12:22:41 | 日記
決まらない。森爺の後任が決まらない。オリ・パラ組織委の次の会長が決まらない。

決まらないのは、「決め方」に問題があったからである。森爺は自分の後任に川淵氏を据えようとしたが、今度はこういう不透明な「密室談合方式」での決め方が問題視され、強い反発を引き起こした。

思い返せば森爺が首相になった21年前も、その「決め方」が(5人の親分衆による)「密室談合方式」で行われたため、国民の大ブーイングを浴びたことがあった。21年前のその記憶が今、亡霊のようによみがえり、「ああ、またか」と、うんざり感混じりの嫌悪感を呼び起こして、今回の「決め方」への異議申し立てとなったのである。

オリ・パラ組織委の武藤事務総長はきのう、新たな会長の選考に向け「検討委員会」を立ち上げることにしたと述べたが、今度はこの「検討委員会」の人選が問題になるだろう。「検討委員会」の会長は御手洗氏が務めるということだが、この人はホントに適任なのか、この人を会長に決めたその「決め方」に問題はないのか。

また、「検討委員会」の委員の数は男女半々とする、ということだが、そういう形でジェンダー(という性区別)にこだわるのは、かえって問題ではないのか、等々。

「決め方」の「決め方」をめぐる議論は、こうして堂々巡りに陥り、いつまで経っても決まらないことになる。

なんだかなあ。どうなっているのだ、この国は!ーーそう思いをめぐらせたとき、私は、はたと思い当たった。この国の「多数者」である「民主的」な大衆は、きっと東京オリ・パラの開催をブロックしようとしているのだ。「決め方」の「決め方」をめぐる議論が延々と続き、オリ・パラ組織委の会長が決まらないとなれば、東京オリ・パラ大会は開催できなくなる。大衆を先導する一部のオピニオン・リーダーは、たぶんそう踏んだに違いない。

ところできょう、本ブログに貴重なコメント投稿があった。有難いことである。ブロガーの中には、コメントを嫌う方もおられるが、私はコメントをむしろ歓迎している。それによって議論が盛り上がれば、願ったり叶ったりである。その意味で、読者からのコメントは私にとって貴重なネタ元なのだ。

話が逸れたが、このコメントは、「オリ・パラ開催の意義について、おまえはどう考えるのか」という問題提起だった。たしかにオリ・パラ組織委の人事の混乱はオリ・パラの開催問題と密接に結びついている。そうである以上、この問題を看過することはできない。オリ・パラの開催に反対する人から見れば、組織委の人事絡みの混乱は好都合であるに違いない。

さて、それでは私はオリ・パラ大会開催の意義について、どう考えるのか。オリ・パラ大会の開催は「公共の利益」に叶うと私は考えている。オリ・パラ大会は、言ってみれば国民的な大規模の「お祭り」のようなもの。他の「お祭り」がそうであるように、それは国民に活力を与え、国民を元気にする。現今のコロナ禍がもたらした公共空間の暗い閉塞感を、それはきっと吹き払ってくれるだろう。

ただし、問題がないわけではない。問題は、そうしたメリットと共に、それが同時にデメリットをも表裏一体の関係でもたらしてしまうことである。国民が元気になり、人々の間の交流が活発になり、経済が活性化すれば、どうなるのか。その結果として、(GO TO キャンペーンがそうだったのと同様、)必然的に全国でコロナ感染が拡大することになるだろう。コロナ禍が猛威をふるい、終息の気配すら見せない現状では、オリ・パラ大会の開催は、国民を命の危険にさらす無謀で危険な企てだと言わなければならない。今のこの現状でオリ・パラ大会を開催することには、私は反対である。

ただ、だからといって私が森爺バッシングを歓迎するのかといえば、そうではない。逆にいえば、私が森爺バッシングを問題視するのは、オリ・パラ大会の開催を望んでいるからではない。

森爺バッシングは、現今のわが国の異常な、あまりにも異常な言論状況を反映していると私は考えている。私はこの異常な言論状況を深く憂えているのである。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 森爺の辞任が意味するもの | トップ | 今から倫理です、ではありません »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2021-02-13 16:48:39
別に異常でも何でもないと思います。
森さんが一民間人であれば特に騒ぐ程の問題にはならないのでしょうが、長年国政に関わり続けたご自身の立場を理解しておられないからこそ問題になるわけです。
戦後70年以上経ってはいますが、日本は未だに民主主義の教育実習生であることに何ら変わりはございません。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事