ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ホイホイとショッピング

2019-10-16 15:10:56 | 日記
嘆くべきかどうか、自分でもよく判らないが、予言したとおりの展開になった。自分のことだから、当たって当然といえばその通りだが、3年ほど前、私は本ブログで次のように書いたことがある。

「脳卒中の後遺症で片麻痺になり、引きこもりを余儀なくされなければ、つまり、若い頃のように自由に出歩くことができたとすれば、私はホイホイと書斎を出て徘徊を楽しみ、思索に集中することなどできなかっただろう。ネットの森の徘徊に精を出すこともなかったし、このブログを書くこともなかっただろう。
『その出ずることいよいよ遠(とお)ければ、その知ることいよいよ少なし(遠くへ出かければ、出かける程に解る事は少なくなっていく)』と老子が言う通りである。」
(2016.2.5《引きこもり、そして無為の学徒(その2)》)

一つお断りしておく。このブログ文では、「若い頃のように自由に出歩くことができたとすれば」と書いているが、今の私は「若い頃のように自由に出歩くこと」ができるようになったわけではない。
ただ、自分の足の代わりに、電動車いすWhill を操作し、自由にショッピングを楽しむ位はできるのである。

自由にショッピングができる。それだけのことで、私の気分はがらりと変わる。きょうのように天気の好い日だと、私はホイホイ気分で無性に近所のショッピングモールへと出かけたくなるのである。

大した買い物をするわけではない。きょう買ったのは、百均でポケットティッシュ1パック(12個入り)と、(デスクを整理するための)木製仕切りケースを買い、スーパーで醤油味のカップラーメンを2個買っただけ、ーーそれだけである。それだけで満足できるのだから、私は(自分で言うのもナンだけれど)何とも安上がりな性分である。

当然、ブログは書けない。書いている時間がない。以前は「マズい」とか、「どうしよう」と思ったりしたものだが、きょうは「ま、仕方がない、それならそれでもいいか」と思っただけだった。そのうち、Whill で出歩き、ブログを更新できなかったとしても、何とも思わなくなるのだろう。

脳卒中をわずらう前の私はどうだったか。ブログは書いていなかった。けれども、文章は書いていた。仕事に打ち込む職人の感覚で、毎日、論文を書いていた。もともと文章を書くのが嫌いではなかったのだろう。論文を生産してナンボの学者という職業を、嫌な職業だと思ったことはない。

文章を書くのが嫌いではないのに、なぜ今、私はWhill でホイホイ出歩いてしまうのか。考えてみれば、現役のころの私も、(週に一度のペースで)海へ渓へと釣りに出歩き、「学問一筋」というような生活を送っていたわけではなかった。

考えてみて欲しい。ラーメンが好きだからといって、毎食ラーメンばかり食べていたら、私はラーメンの美味しさを感じなくなり、ラーメンに飽きてしまうだろう。他にもカレーライスを食べ、チャーハンを食べ、サンマの塩焼きを食べたりするから、かえってラーメンの美味しさが引き立つのである。きょうはたまたま「ラーメンよりも、豚の生姜焼きが食べたい」と思い、近所の定食屋に足を向けたまでである。
コメント
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