ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

デイサとホストクラブ

2019-10-30 11:08:45 | 日記
鳩山新党「共和党」について、あれこれ論じてきた。気づけば、同じようなテーマを4日連続して取りあげたことになる。これではさぞ読者も辟易しているだろうから、ちょっと話題を変えてみたい。私の予定では、このあと本ブログでは「共和党」の第4の理念である「友愛」について論じ、そのあとで現実的な外交問題に関するこの党の方針を取りあげるつもりである。堅苦しい話ばかりでは、読者も息が詰まるだろう。きょうはちょっと小休止といったところである。

私が週に2日通っているリハビリ・デイサの話をしたい。このデイサは、私が通っている時間帯も含め、全体的に女性(お婆さん)よりも男性(お爺さん)の占める比率のほうが高く、これは珍しいことらしい。

この現象について、このデイサのトレーナー(40代、男性)が二度、彼なりの分析を述べたことがある。
「これは多分、僕がイケメンではないからだと思います。イケメンではないから、女性の利用者さんが少ないのだと思います」
これは、彼が運営推進会議で述べた言葉である。「運営推進会議」というのは、市役所の担当者、ケアマネさん、民生委員、利用者とその家族などからなる年に2度のセレモニーのようなもので、私は「利用者代表」としてその会議に出ていた。

中年の大泉洋似のこのトレーナーの見解は、(自虐ネタの)冗談ではなく、彼なりに冷静な分析を述べたものだった。「ちょっと違うのではないかなあ」と思いながら、私はその発言を聞いていた。

何がどう違うのか。それは、「デイサはホストクラブではない」ということである。トレーナーがイケメンであるとか、ないとか、セクシーであるとか、ないとか、そんなことで老人はデイサを選んだりはしない。お婆さんたちの感性は、(異性である)私には解らないが、少なくとも私に関して言えば、私がこのデイサを選んだのは、このデイサの女性スタッフが魅力的だったからではない。

いや、ある意味、魅力的だと私が思ったのは確かだが、それは「キャバクラの若い女の子を見る、中年オヤジのねちっこい視線」で見てのことではない。「体験通所」で見たこのデイサの若い女性スタッフは、明るく、親切そうで、人柄が良さそうだった。こんなスタッフが働くデイサなら、楽しい時間が過ごせそうだ。そう私は思ったのである。

中年男性トレーナーの発言は、まったく根拠のないものではなかった。近くに同系列のデイサがあり、このデイサのトレーナーは、20代と年が若く、しかも羽生ゆずくん似のイケメンだった。このゆずくん似のトレーナーは、利用者のお婆さんたちからとても人気があるという噂を聞いたことがある。

だが、この「人気」の中身はどうなのか。SMAPや嵐が「人気がある」というときの「人気」とは違うのではないか、と私は思っている。彼は我がデイサに「助っ人」として何度か来たことがあるから、私も知らないわけではないが、彼は、老人たちを和やかな気分にしてくれる明るい好青年だった。要するに、問題なのは(イケメン云々ではなく)人柄なのである。

我がデイサの中年トレーナーは、人柄的にイマイチ魅力に欠ける、と言いたいわけではない。彼が利用者の老人たちの前で、こう語ったことがある。
「このデイサは、男性の利用者さんよりも、女性のほうが少ないのですが、これは多分、僕がイケメンではないからだと思います。僕がイケメンではないから、女性の利用者さんが少ないのだと思います」
これは、数日前の運営推進会議のときと同じ趣旨の発言だが、ニュアンスは多少違い、このときは冗談っぽい、自虐ネタのペーソスが感じられた。

意外だったのは、これを聞いて、若い女性スタッフのAさんがこう返したことである。
「そうなんです。男性の利用者さんが多いのは、私が美人だからなんですね。Eさん(中年男性トレーナー)が言いたいのは、そういうことなんですよ。Eさん、どうも有難うございます」

Aさんのこの言葉を聞いて、私は、自分がなぜ嫌がらずにこのデイサに通い続けているか、その理由がわかった気がした。AさんとEさんとの、掛け合い漫才のような楽しい言葉のやり取り、ビジン・ツッコミとブナン・ボケのユーモラスな口撃の応酬、それがデイサの時間を明るく楽しいものに彩ってくれている。それがビター・チョコのように後を引くのである。


コメント (1)
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