おはようございます。
朝というのは、気持ちがいいですね。
まあ、なんとなくの曇り空ですが、それでも、朝は気分がいい。
しかし、天気予報によると、また、週末、雨だとか・・・なんか、どんよりしてしまいますね。
まだ、梅雨の季節でもないというのに・・・。
ま、それなら、別の予定を入れちゃいましょう。
楽しい楽しい予定でも・・・。
さて、今日は特に食いつきたいネタもないようなので・・・。
本棚にある、岡本太郎さんの「強く生きる言葉」から、言葉を拝借し、ネタにしてみましょうかねー。
僕は、この本、大好きなんですね。
「傷つけ、傷つけられる、その痛みこそ、青春の証だ。青春こそがこの世界の肉体であり、エネルギー源なんだ」
「青春は永遠に、はじめからのやり直しだ」
いいですねー。
岡本太郎さんという人は、
「芸術は爆発だ!」
ということを言うわけですが、僕は若い頃は、これは、
「芸術というのは、一瞬の爆発を絵に表現するモノなのだろうなあ」
くらいの理解しか、出来ていませんでした。
でも、違うんですよね。
「芸術というのは、爆発的なエネルギーの発散を、受け取り側に、感じさせるような、力のある、エネルギーにあふれたモノでなければならない」
という意味だったんですね。
岡本太郎さんの芸術というのは、いろいろな試行錯誤の上で、原始時代のプリミティブな造形こそが、莫大なエネルギーの放出を感じさせる造形だと気がついた時点で、
完成されたんですね。
だから、造形は、すべてプリミティブな形をとっています。
そこにこそ、エネルギーが宿ると岡本太郎さんは見ぬいたからですね。
だから、岡本太郎さんの芸術は、皆、エネルギッシュに感じられる、素晴らしいプリミティブな造形に彩られているわけです。
だから、岡本太郎さんは、
「爆発するエネルギーを、どう造形するか」
にこだわっていたわけで、だから、彼の言葉も、
「エネルギーをどう生み出すか」
という話になってくるわけで・・・先の言葉も、エネルギーの話になっているわけです。
だから、岡本太郎先生は、常に青春状態だったんでしょう。
でも、元気なひとを見ていると、皆、青春状態ですよね。
いつでも、普通に恋が出来る、いつでも、原点に立ち帰れる・・・いつでも、やり直せる。
青春は、永遠のやり直しです。はい。
「信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫く、そういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞ、と僕は言いたい」
素晴らしい言葉ですね。
民主党の人間に見せてやりたいですよ。
ま、政治の話は、辞めましょう。口がくさくなる。
でも、僕はこの言葉、先の青春に対する言葉にも、なっていると思いますね。
僕の場合、破れない方策を徹底的に考えぬいて、勝ちにいきますけどね。そこが、少し大人になったところかな。
それでも、精神の高貴さだけは、失いたくありませんね。永遠に。
それこそが、人間の最も大事な「品」だと思います。
「人生は、君自身が決意し、貫くしかないんだよ」
素晴らしい言葉ですね。
10代の頃や、20代の頃は、これがわからなかった。
誰かが指導してくれるもんだと、思っていた。
でも、違うんですよね。
誰も助けてくれない・・・自分の人生については・・・これなんです。
でも、世の中見てみると、「待っているだけの大人」が多いことがわかりますね。
「きっと今に何かいいことが起こる」
そう思って、待っているだけの大人になっている、駄目な人々。
「俺が悪いんじゃない。俺を理解しない、かみさんが悪いんだ。言うことを聞かない、子供達が、悪いんだ」
こんな呪文を唱えて、自分に逃げ込んでいる駄目な父親。
「旦那が悪いのよ。月給安いし、甲斐性はないし。子供達にだって、いい服着せてあげられないじゃない!」
そう言って、家事をやらずに、朝からテレビばかり見ている駄目主婦。
「俺は、望んで、おとうさんやおかあさんの子供になったんじゃない!」
そう言って、甘えている駄目な子供。
皆、逃げ込み者だ・・・逃げ込み者になった途端、駄目な人生の始まりです。
そういう人間には、永遠にしあわせは、やってきません。
人生は、自分で決めてやったことのみが、自分に帰ってくるんです。
「人生は、他人を負かすなんて、ケチくさいもんじゃない」
そうですね。実感します。
自分が出来上がってくると、他人なんて関係なくなります。
人に批判されようが、
「それは、あんたの問題であり、俺の問題じゃない」
そう思えますからね。
結局は、自分に勝てるか・・・それだけなんですよ。
昨日の自分に勝てるか・・・昨日の自分に常に勝たなければいけない・・・それが人生だと思いますね。
「人生、即、絶対的な闘いなのだ。それは絶え間のない、永遠の冒険だと言ってもいい」
同感ですね。毎日が闘いであり、毎日がドラゴンクエスト的な冒険です。
だからねー。楽しいのよ。やりがいがあって・・・サラリーマン時代は、直接的なやりがいを感じられなかったけれど、
個人事務所の社長になった今は、毎日が、絶対的なやりがいに彩られているからねー。
ま、冒険だよね。毎日が。
だから、ワクワクするし、ドキドキする。
さあ、毎日の冒険に出かけて来ようか。
「期待というのは、自分自身に対して持つものであって、他には期待しない。なんにも求めない」
「みんな、人に期待したり、なぜ英雄は出ないのかなどと、そんなことばかり言っている。自分こそが、とは誰も言わない」
「尊敬する人を持つことは甘えだと思う。それよりも、感動を大切にしろ、と僕は言いたい」
いいですね。僕も同じ気持ちです。
僕はよく、
「他人に期待するくらいなら、自分に期待しろ」
と言って来ましたが、まさに同じ境地にいるなあと、ちょっと感動しましたね。
僕は尊敬するひとを持つことは甘えだとは思いません。
というか、そのひとを超えるくらい、自分に期待しろ、そういう思いですね。
だから、僕は信長さんの人生をパクっているんです。
信長さんは、はじめから日本一になることを目指していた、だから、僕は最初から、世界を目指しているわけです。
だって、目指さなければ、そこに行けませんからね。
それだけです(笑)。
「本当の調和と言うのは、お互いの意見をぶっつけ、フェアにぶつかり合うこと」
これも同感ですね。
僕は若い頃、自分の意見を言わず、相手に合わせて笑っていることが、調和だと思っていました。
でも、違うんですよね。それは、弱い女性的な、ママ友的調和に過ぎない。
それだと侮られるんです。
ママ友世界でも同じだと思いますが、強い人間は、自分の意見をバリバリ言うでしょう?
それに従う人間がいて・・・強い人間とそれに従う人間がハッキリするから、最終的に平和が訪れる。
これは、世界でも、同じですよ。
だから、意見というのは、絶対に表明しなければ、いけないんです。
力というのは、ある程度の誇示が必要なんです。
これは、ビジネスシーンでも同じですね。
自分なりの意見の言えない奴・・・これは、完全に無視されます。
存在に、全く意味がないですからね。
だから、自分なりの意見を、相手にぶつけることは、ごく基本的なあり方なんだな。
それがすべての最初なんですよ。
そこから、お互いの位置というのが、決まってくる。
だから、ぶつかり合いではあるけれど、これは、お互いの存在をかけた、基本的なやり合いなんだ。
一番必要なことなんだよね。
それをやれない人間は、無視される。生きている価値がないことになってしまう。
ネットでも同じでしょう。
声を挙げない人間は、存在していないことになるわけだから。
「人間、平和が一番。ぶつかり合いは辞めましょう」
こんなことを言っている人間は、人生がまったくわかっていないアンポンタンだということになります。
僕はアンポンタンには、なりたくない。
ぶつかり合いとは、お互いの存在場所を確定する、最も基本的な生存の主張なんだ。
そう思いますね。
「人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければいけない。いのちを賭けて運命と対決するのだ」
「そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また、敵なのだから」
結局、そこなんですよね。
自分自身こそが、味方であり、敵である。
最終的には、自身に打ち勝つか、負けるか、それしかない。
自分に打ち勝つ人生を歩いて行きましょう。
いやあ、いいですね。
元気の出る言葉達でした。
さ、今日も楽しい一日を過ごしていきましょう。
さ、仕事仕事!
ではでは。
朝というのは、気持ちがいいですね。
まあ、なんとなくの曇り空ですが、それでも、朝は気分がいい。
しかし、天気予報によると、また、週末、雨だとか・・・なんか、どんよりしてしまいますね。
まだ、梅雨の季節でもないというのに・・・。
ま、それなら、別の予定を入れちゃいましょう。
楽しい楽しい予定でも・・・。
さて、今日は特に食いつきたいネタもないようなので・・・。
本棚にある、岡本太郎さんの「強く生きる言葉」から、言葉を拝借し、ネタにしてみましょうかねー。
僕は、この本、大好きなんですね。
「傷つけ、傷つけられる、その痛みこそ、青春の証だ。青春こそがこの世界の肉体であり、エネルギー源なんだ」
「青春は永遠に、はじめからのやり直しだ」
いいですねー。
岡本太郎さんという人は、
「芸術は爆発だ!」
ということを言うわけですが、僕は若い頃は、これは、
「芸術というのは、一瞬の爆発を絵に表現するモノなのだろうなあ」
くらいの理解しか、出来ていませんでした。
でも、違うんですよね。
「芸術というのは、爆発的なエネルギーの発散を、受け取り側に、感じさせるような、力のある、エネルギーにあふれたモノでなければならない」
という意味だったんですね。
岡本太郎さんの芸術というのは、いろいろな試行錯誤の上で、原始時代のプリミティブな造形こそが、莫大なエネルギーの放出を感じさせる造形だと気がついた時点で、
完成されたんですね。
だから、造形は、すべてプリミティブな形をとっています。
そこにこそ、エネルギーが宿ると岡本太郎さんは見ぬいたからですね。
だから、岡本太郎さんの芸術は、皆、エネルギッシュに感じられる、素晴らしいプリミティブな造形に彩られているわけです。
だから、岡本太郎さんは、
「爆発するエネルギーを、どう造形するか」
にこだわっていたわけで、だから、彼の言葉も、
「エネルギーをどう生み出すか」
という話になってくるわけで・・・先の言葉も、エネルギーの話になっているわけです。
だから、岡本太郎先生は、常に青春状態だったんでしょう。
でも、元気なひとを見ていると、皆、青春状態ですよね。
いつでも、普通に恋が出来る、いつでも、原点に立ち帰れる・・・いつでも、やり直せる。
青春は、永遠のやり直しです。はい。
「信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫く、そういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞ、と僕は言いたい」
素晴らしい言葉ですね。
民主党の人間に見せてやりたいですよ。
ま、政治の話は、辞めましょう。口がくさくなる。
でも、僕はこの言葉、先の青春に対する言葉にも、なっていると思いますね。
僕の場合、破れない方策を徹底的に考えぬいて、勝ちにいきますけどね。そこが、少し大人になったところかな。
それでも、精神の高貴さだけは、失いたくありませんね。永遠に。
それこそが、人間の最も大事な「品」だと思います。
「人生は、君自身が決意し、貫くしかないんだよ」
素晴らしい言葉ですね。
10代の頃や、20代の頃は、これがわからなかった。
誰かが指導してくれるもんだと、思っていた。
でも、違うんですよね。
誰も助けてくれない・・・自分の人生については・・・これなんです。
でも、世の中見てみると、「待っているだけの大人」が多いことがわかりますね。
「きっと今に何かいいことが起こる」
そう思って、待っているだけの大人になっている、駄目な人々。
「俺が悪いんじゃない。俺を理解しない、かみさんが悪いんだ。言うことを聞かない、子供達が、悪いんだ」
こんな呪文を唱えて、自分に逃げ込んでいる駄目な父親。
「旦那が悪いのよ。月給安いし、甲斐性はないし。子供達にだって、いい服着せてあげられないじゃない!」
そう言って、家事をやらずに、朝からテレビばかり見ている駄目主婦。
「俺は、望んで、おとうさんやおかあさんの子供になったんじゃない!」
そう言って、甘えている駄目な子供。
皆、逃げ込み者だ・・・逃げ込み者になった途端、駄目な人生の始まりです。
そういう人間には、永遠にしあわせは、やってきません。
人生は、自分で決めてやったことのみが、自分に帰ってくるんです。
「人生は、他人を負かすなんて、ケチくさいもんじゃない」
そうですね。実感します。
自分が出来上がってくると、他人なんて関係なくなります。
人に批判されようが、
「それは、あんたの問題であり、俺の問題じゃない」
そう思えますからね。
結局は、自分に勝てるか・・・それだけなんですよ。
昨日の自分に勝てるか・・・昨日の自分に常に勝たなければいけない・・・それが人生だと思いますね。
「人生、即、絶対的な闘いなのだ。それは絶え間のない、永遠の冒険だと言ってもいい」
同感ですね。毎日が闘いであり、毎日がドラゴンクエスト的な冒険です。
だからねー。楽しいのよ。やりがいがあって・・・サラリーマン時代は、直接的なやりがいを感じられなかったけれど、
個人事務所の社長になった今は、毎日が、絶対的なやりがいに彩られているからねー。
ま、冒険だよね。毎日が。
だから、ワクワクするし、ドキドキする。
さあ、毎日の冒険に出かけて来ようか。
「期待というのは、自分自身に対して持つものであって、他には期待しない。なんにも求めない」
「みんな、人に期待したり、なぜ英雄は出ないのかなどと、そんなことばかり言っている。自分こそが、とは誰も言わない」
「尊敬する人を持つことは甘えだと思う。それよりも、感動を大切にしろ、と僕は言いたい」
いいですね。僕も同じ気持ちです。
僕はよく、
「他人に期待するくらいなら、自分に期待しろ」
と言って来ましたが、まさに同じ境地にいるなあと、ちょっと感動しましたね。
僕は尊敬するひとを持つことは甘えだとは思いません。
というか、そのひとを超えるくらい、自分に期待しろ、そういう思いですね。
だから、僕は信長さんの人生をパクっているんです。
信長さんは、はじめから日本一になることを目指していた、だから、僕は最初から、世界を目指しているわけです。
だって、目指さなければ、そこに行けませんからね。
それだけです(笑)。
「本当の調和と言うのは、お互いの意見をぶっつけ、フェアにぶつかり合うこと」
これも同感ですね。
僕は若い頃、自分の意見を言わず、相手に合わせて笑っていることが、調和だと思っていました。
でも、違うんですよね。それは、弱い女性的な、ママ友的調和に過ぎない。
それだと侮られるんです。
ママ友世界でも同じだと思いますが、強い人間は、自分の意見をバリバリ言うでしょう?
それに従う人間がいて・・・強い人間とそれに従う人間がハッキリするから、最終的に平和が訪れる。
これは、世界でも、同じですよ。
だから、意見というのは、絶対に表明しなければ、いけないんです。
力というのは、ある程度の誇示が必要なんです。
これは、ビジネスシーンでも同じですね。
自分なりの意見の言えない奴・・・これは、完全に無視されます。
存在に、全く意味がないですからね。
だから、自分なりの意見を、相手にぶつけることは、ごく基本的なあり方なんだな。
それがすべての最初なんですよ。
そこから、お互いの位置というのが、決まってくる。
だから、ぶつかり合いではあるけれど、これは、お互いの存在をかけた、基本的なやり合いなんだ。
一番必要なことなんだよね。
それをやれない人間は、無視される。生きている価値がないことになってしまう。
ネットでも同じでしょう。
声を挙げない人間は、存在していないことになるわけだから。
「人間、平和が一番。ぶつかり合いは辞めましょう」
こんなことを言っている人間は、人生がまったくわかっていないアンポンタンだということになります。
僕はアンポンタンには、なりたくない。
ぶつかり合いとは、お互いの存在場所を確定する、最も基本的な生存の主張なんだ。
そう思いますね。
「人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければいけない。いのちを賭けて運命と対決するのだ」
「そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また、敵なのだから」
結局、そこなんですよね。
自分自身こそが、味方であり、敵である。
最終的には、自身に打ち勝つか、負けるか、それしかない。
自分に打ち勝つ人生を歩いて行きましょう。
いやあ、いいですね。
元気の出る言葉達でした。
さ、今日も楽しい一日を過ごしていきましょう。
さ、仕事仕事!
ではでは。