どうも、「平清盛」小ネタ劇場!ということで、
まあ、BSをライブで楽しみ、言いたいことを言っちゃうというかるーい、企画ですから、
まあ、自由に書いていきたいと思います。
まあ、サムライ通信はまた後日ねー。
まあ、僕は今回、前回の「平清盛」を17時から見て、通しで楽しんでみました。
すると、前回語られたのは、清盛の価値ということで、他の人間と同じということに逃げ込まない、
「もはや、神輿は、意味をなさない。あんなものただの箱だ!」
と、時代の正義を見ぬいた目に価値があると、おとうちゃんの忠盛も理解した、ということなんですね。
これを先に描かなければいけなかったわけです。
なぜなら、家盛は、普通の感覚のひと、代表だから。
「神輿を射ぬいてしまうような、そんな感覚のひとには、ついていけません」
これが、家盛派だったりするわけです。
他の人間と同じ、ということに価値を置く、普通のひとなんですね。
ま、今で言えばサラリーマンです。
「いい大学を出て、一流企業に入り、サラリーマンを真面目に勤めていけば、必ずしあわせが手に入る!」
こういう感覚のひとです。
でも、僕は、このしあわせ理論がまったく自分においては、間違っていることを見つけてしまった。
だから、僕は自分なりのしあわせ理論を独自に作り、リアル・ニュータイプ理論として、毎日ガンガン作り続けている。
これは、僕が死ぬまで、永久に終わらない、僕の生き方であり、僕のライフワークです。
そして、僕はその理論通りに生きている。
その理論を最初から話しているのが、平日、書いている、
「リアル・ニュータイプ理論のお話」シリーズであって、
これ、長い長い話なんですねー。
だから、実際の僕自身は、さらにさらに先を歩いているわけです。
だから、清盛の立場に酷似しているから、清盛の気持ちもわかるんですね。
清盛は、自分の果たすべき正義を、理解したんです。
だから彼は、これから、ブレずに生きていけるはずなんです。
今回、忠盛さんは、
「心の軸が揺れたわ」
という話をしていましたが、神輿を射る決意をした段階で、
清盛には、心の軸が作られたはずなんです。
「神輿なんて、ただの箱」
これは、清盛が、既成の概念などに惑わされずに、自分なりの概念を変えていけることを示したんですね。
僕自身、リアル・ニュータイプ理論を続けてこれた理由も、まさにこれです。
「既成の概念などに染まっていては、時代は、変えられない。自分なりに概念を変えていくんだ。時代を僕が変えるんだ」
清盛と同じ思いです。
だから、リアル・ニュータイプ理論は、既成の概念など、くそっくらえ!という意思で書いています。
だから、新しい概念だから、誰も見たことがない概念だからこそ、おもしろいんです。
そして、すべて、本質を貫いている言葉だからこそ、信じられるんです。
僕はあそこで書いていることは、すべて自分で試しています。
自分で試してみて、
「俺の考えたとおりじゃん。よし書こう!」
と思えたことのみ、書いているんです。
リアル・ニュータイプ理論のお話は。
だから、清盛の視聴率が、低いのは、サラリーマンには、共感出来ないから、
むしろ、時代を変えていける人間にしか、理解出来ない話なんですよ。
そして、脚本家の方こそが、時代を変えていく能力を有しているからこそ、
時代を変えていける人間向きに書いちゃう結果になっているんです。
今回、家盛は、言わば、サラリーマン的思考の代表だ。
その彼が、利用されただけとはいえ、フューチャーされた今回の視聴率は、上がるかもしれない。
もしかすると、一般のひとは、家盛的思考であって、清盛を忌避する人間が多いかもしれない。
つまり、視聴者層の質というのも、考えられなければ、いけないということです。
時代を変えていった人間だからこそ、時代を変える能力を持っている人間にしか、受け入れられないのだとすれば、
素晴らしい能力を持った、過去の偉人物語は、ことごとく視聴率が上がらないことになる。
であれば、視聴率以外にも、指標を作り、評価に追加すべきだ。
サラリーマンにはウケたが、時代を変える能力を持つ人間、自分でモノを考えている人間には、ウケなかった、とかね。
サラリーマンには、ウケが悪かったが、時代を変える能力を持つ人間には、ウケた、とかさ。
僕はこの「平清盛」の視聴率が悪い理由の、大部分が、
清盛的生き方を理解出来ない、層が多いから、サラリーマン層に共感されないから、ということを揚げておきたいと思います。
まあ、しかし、今回、悪左府頼長の男色攻撃が出ちゃいましたが、いーですねー。
こういう歴史のひだを見せてくれるようなストーリーテリング、最高です。
歴史というのは、能力のある人間によって、作られるものです。
悪左府頼長というひとは、使えるモノなら、何でも使った、ダークヒーローなんですよねー。
あの蠱惑的な瞳の向こうに潜む、恐怖・・・いやあ、よかったですねー、今回。
まあ、でも、人生なんてものは、強い人間、時代を変えられる人間こそが、力を得ていくんです。
そして、富を握る。
労働力を売っているようじゃ、しょせん、五十歩百歩。
脳を研ぎ澄まし、知恵を売れるようになってから、人間変わっていくんです。
そうなった時に富が転がり込み始めるんですね。
時代を変えていく人間が誰か。
その人間こそが、世界の主人公になっていくんです。
「平清盛」の世界でも、今、そうなろうとしているんです。
人と同じ、ということに逃げ込んでいては、駄目なんです。
以上
まあ、BSをライブで楽しみ、言いたいことを言っちゃうというかるーい、企画ですから、
まあ、自由に書いていきたいと思います。
まあ、サムライ通信はまた後日ねー。
まあ、僕は今回、前回の「平清盛」を17時から見て、通しで楽しんでみました。
すると、前回語られたのは、清盛の価値ということで、他の人間と同じということに逃げ込まない、
「もはや、神輿は、意味をなさない。あんなものただの箱だ!」
と、時代の正義を見ぬいた目に価値があると、おとうちゃんの忠盛も理解した、ということなんですね。
これを先に描かなければいけなかったわけです。
なぜなら、家盛は、普通の感覚のひと、代表だから。
「神輿を射ぬいてしまうような、そんな感覚のひとには、ついていけません」
これが、家盛派だったりするわけです。
他の人間と同じ、ということに価値を置く、普通のひとなんですね。
ま、今で言えばサラリーマンです。
「いい大学を出て、一流企業に入り、サラリーマンを真面目に勤めていけば、必ずしあわせが手に入る!」
こういう感覚のひとです。
でも、僕は、このしあわせ理論がまったく自分においては、間違っていることを見つけてしまった。
だから、僕は自分なりのしあわせ理論を独自に作り、リアル・ニュータイプ理論として、毎日ガンガン作り続けている。
これは、僕が死ぬまで、永久に終わらない、僕の生き方であり、僕のライフワークです。
そして、僕はその理論通りに生きている。
その理論を最初から話しているのが、平日、書いている、
「リアル・ニュータイプ理論のお話」シリーズであって、
これ、長い長い話なんですねー。
だから、実際の僕自身は、さらにさらに先を歩いているわけです。
だから、清盛の立場に酷似しているから、清盛の気持ちもわかるんですね。
清盛は、自分の果たすべき正義を、理解したんです。
だから彼は、これから、ブレずに生きていけるはずなんです。
今回、忠盛さんは、
「心の軸が揺れたわ」
という話をしていましたが、神輿を射る決意をした段階で、
清盛には、心の軸が作られたはずなんです。
「神輿なんて、ただの箱」
これは、清盛が、既成の概念などに惑わされずに、自分なりの概念を変えていけることを示したんですね。
僕自身、リアル・ニュータイプ理論を続けてこれた理由も、まさにこれです。
「既成の概念などに染まっていては、時代は、変えられない。自分なりに概念を変えていくんだ。時代を僕が変えるんだ」
清盛と同じ思いです。
だから、リアル・ニュータイプ理論は、既成の概念など、くそっくらえ!という意思で書いています。
だから、新しい概念だから、誰も見たことがない概念だからこそ、おもしろいんです。
そして、すべて、本質を貫いている言葉だからこそ、信じられるんです。
僕はあそこで書いていることは、すべて自分で試しています。
自分で試してみて、
「俺の考えたとおりじゃん。よし書こう!」
と思えたことのみ、書いているんです。
リアル・ニュータイプ理論のお話は。
だから、清盛の視聴率が、低いのは、サラリーマンには、共感出来ないから、
むしろ、時代を変えていける人間にしか、理解出来ない話なんですよ。
そして、脚本家の方こそが、時代を変えていく能力を有しているからこそ、
時代を変えていける人間向きに書いちゃう結果になっているんです。
今回、家盛は、言わば、サラリーマン的思考の代表だ。
その彼が、利用されただけとはいえ、フューチャーされた今回の視聴率は、上がるかもしれない。
もしかすると、一般のひとは、家盛的思考であって、清盛を忌避する人間が多いかもしれない。
つまり、視聴者層の質というのも、考えられなければ、いけないということです。
時代を変えていった人間だからこそ、時代を変える能力を持っている人間にしか、受け入れられないのだとすれば、
素晴らしい能力を持った、過去の偉人物語は、ことごとく視聴率が上がらないことになる。
であれば、視聴率以外にも、指標を作り、評価に追加すべきだ。
サラリーマンにはウケたが、時代を変える能力を持つ人間、自分でモノを考えている人間には、ウケなかった、とかね。
サラリーマンには、ウケが悪かったが、時代を変える能力を持つ人間には、ウケた、とかさ。
僕はこの「平清盛」の視聴率が悪い理由の、大部分が、
清盛的生き方を理解出来ない、層が多いから、サラリーマン層に共感されないから、ということを揚げておきたいと思います。
まあ、しかし、今回、悪左府頼長の男色攻撃が出ちゃいましたが、いーですねー。
こういう歴史のひだを見せてくれるようなストーリーテリング、最高です。
歴史というのは、能力のある人間によって、作られるものです。
悪左府頼長というひとは、使えるモノなら、何でも使った、ダークヒーローなんですよねー。
あの蠱惑的な瞳の向こうに潜む、恐怖・・・いやあ、よかったですねー、今回。
まあ、でも、人生なんてものは、強い人間、時代を変えられる人間こそが、力を得ていくんです。
そして、富を握る。
労働力を売っているようじゃ、しょせん、五十歩百歩。
脳を研ぎ澄まし、知恵を売れるようになってから、人間変わっていくんです。
そうなった時に富が転がり込み始めるんですね。
時代を変えていく人間が誰か。
その人間こそが、世界の主人公になっていくんです。
「平清盛」の世界でも、今、そうなろうとしているんです。
人と同じ、ということに逃げ込んでいては、駄目なんです。
以上