一人の髪の毛の長い、背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。
彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。
「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「対決、山本七平編」・・・お願いします。今日はどんな内容について語ってくれるんですか?」
と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。
「うん。そうだな・・・」
と、タケルはテキストとしている「谷沢永一著 山本七平の知恵」という本をパラパラとめくります。
この本自体は、1996年12月に出版されています。
ただし、正しい「知恵」は時代を越えると僕は考えているので、その時代性の評価も一緒に話していくことになりそうです。
「んじゃ、この内容について話すか・・・「形づくられたる「自然」」だそうだ。ま、相変わらず笑かしてくれそうだ」
と、タケルは笑顔になりながら、話し始めます。
今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。
「まずは、山本七平氏の主張するところを抜書きしてみようか。それが無いとちょっと説明が出来ないからね」
と、タケルは笑うと彼の用意した紙の資料をレイカに渡す。
「えーと、これね。僕が相当意訳してるけど・・・」
と、タケルが説明すると、レイカはタケルの資料をゆっくり読み始める。
「この考え方がどこから出てきたかということになると大変難しい宗教史的な問題になりますが、ひとつは日本人の持っている「自然」という概念があります」
「これは「ごく自然に物事を行う」とか「あいつのやり方は不自然だからいやだ」とか「ああいう不自然な言い方をされては聞くわけにはいかない」とか」
「日本人はこの「自然」という概念に規制されており、この「自然」こそが日本人の内的な秩序なのです」
「日本人にとっては、この「自然」という概念の中で最良に評価されるものは「自然にそうなった」という事であります。例えば、カップルが結婚した時に」
「「ごく自然にそういう仲になれまして」と言う言い方が好まれます。逆に意識的、作為的に何かをするのは否定されます。「あいつは作為があるからいやだ」」
「などと否定されるんです。つまり、「自然となる」が好まれ「作為的にする」は否定される・・・これが日本の秩序であって、唯一絶対なんです」
「まあ、かなり意訳しちゃったけど、こいつ本当に簡単なことを難しく難しく書こうとするから、本当に不快。もう自分の知識に酔う「俺偉い病」のダメ「知識者」だ」
と、タケルは言葉にする。
「結局、簡単に言葉にすると「自然とそういう状態になる」は好まれ、「作為的にそういう状態にする」は否定される・・・そういうことですか?」
と、レイカ。
「ま、そういうことだね。それが日本の秩序・・・というんだが、まあ、言葉の使い方もおかしいし、見方が逆って感じがするね」
と、タケル。
「・・・と言うと、タケルさん的にはもう結論は見えている、ということですか?」
と、レイカ。
「当たり前だよ。こんなの簡単過ぎる話さ・・・そのあたりの説明を始めていこうか」
と、タケルは椅子に座り直した。
「日本の最高正義は「和を以て貴しとなす」だ・・・これはいつも言っているね。日本人はすべての人間がこの正義を達成しようとする・・・それが言わば日本人の秩序だ」
と、タケルは説明する。
「例えば上の例にあるように、結婚したカップルに結婚式で「どのような経緯で結婚するようになったか?」を聞けば、それはもう、お約束で」
「「まあ、二人が出会って、ごく自然に・・・気づいたら結婚の話がまとまっていた・・・そんな感じですかね」なんて言いますね。普通」
と、タケルが言葉にする。
「でも、実際は、旦那になる男性が相手の女性をデートに誘ったり、3回目のデートでキスしたり、そのまま、エッチホテルに行っちゃったり、作為があるからこそ」
「事態は進んでいく・・・こんなことは結婚式場にいる人間は誰でも知ってるわけですよ。でも、そんな下衆なことを公衆の面前では誰もいいません」
「なぜなら、それがエチケットだからですよ。まあ、酔っ払った友人のスピーチで「こいつ3回目のデートでやっちゃって」なんて言葉が出てもそこは晴れの席」
「ご愛嬌だったりして、皆大笑い・・・そういう場をうまくコントロールして皆を笑顔にするのが、最高級なムードメーカーということになりますね」
と、タケルは話す。
「つまり、ここで言う「自然とそうなった」という言葉は、皆が納得するお約束言葉だ・・・ということですよ。つまり、「和を以て貴しとなす」を成し遂げる為の」
「皆が納得するためのお約束言葉であるのが「自然とそうなった」なんです。大事なのは、皆が笑顔で納得すること・・・これこそが、日本においての言葉の使い方」
「のお約束になるわけです。そんな事社会に出れば、皆理解する話でしょ。簡単な話なんです」
と、タケルは指摘する。
「・・・となると、「あいつは作為があるからいやだ」というのは、どういう言葉になるんですか?」
と、レイカが聞く。
「これは要はその人間が納得していないから、その状況を伝えるためにあえて出している言葉なんです。要は「あいつのやり方はおかしい」と言いたいわけですよ」
「でも、否定するには、理由が必要になる。その理由は明確には、具体的には思いつかない場合「作為があるからいやだ」という言葉になるだけです」
「いいですか?人間の行動に作為の無い行動なんて一切ありません。夢遊病者だって作為があるから、寝ながら歩いているんです」
「だから、そんな当然の事を「嫌い」ということで、決定的な相手の否定から、少しやわらげているんです。これが日本人的やさしさであり」
「「和を以て貴しとなす」の国の人だから、こういうやさしい行為をしているわけです。これ、アメリカあたりだったら」
「「あなたの行動はすべて間違っている」と全否定していますよ。それを行わないで、「嫌い」ということで、否定にもやわらかさを付けて気を使うやさしい日本文化」
「が出ている・・・ここに注目すべきなんですね。本来は」
と、タケルは言い抜いた。
「大切な事は、日本人は皆、公には、万人が納得するお約束言葉「自然とこうなった」的な言葉をを使うということです」
「そして、否定する時も決して全否定せず「そのやり方は嫌いだ」ということで、否定するにもやさしさを付け加えている」
「やさしい日本人という文化があるということ・・・この2つがこの文章から読み取れる日本文化なんです」
と、タケルは結論づけた。
「つまり、日本人が使う「自然に・・・」と言う言葉はもっと言えば「皆が納得して」という言葉に置き換えられるんです。
「つまり、「自然に結婚出来た」は「周囲が納得して結婚出来た」という意味だし、ここでいう「作為的」というのは「自分勝手」という言葉で置き換えられる」
「つまり「和を以て貴しとなす」世界では「皆が納得して」が「自然に」であり、それが最高評価を受けるし」
「「自分勝手に」が「作為的」という言葉に置き換えられ、最低評価になる、ということです。これ当然じゃないですか」
と、タケルはさらに結論を深めた。
「なるほど、「自然に」は「皆が納得して」で最高評価、逆に「作為的」は「自分勝手に・・・言わば自分だけが納得して」という事になるから」
「最低評価になるのは当たり前ですね」
と、レイカ。
「「和を以て貴しとなす」を最高正義にするこの日本では、皆が納得するから、最高評価、自分一人しか納得していない場合は最低評価・・・そういう話なんですよ、これ」
と、タケルは言葉にする。
「ここまで、解説しないとわからないでしょ、この話・・・そういう解説が一切ないから、山本七平を評価出来ないんすよ。僕は」
と、タケルは憤懣やるかたなし。
「でも、よくわかりました。ま、当然と言えば、当然の話ですけどね」
と、笑顔のレイカ。
「で、例のアホで頭の超悪い「日本最強の評論家」のお爺ちゃんは何と解説を?」
と、レイカは笑顔で聞く。
「はい。怖いもの見たさね・・・はい。これが資料」
と、タケルは紙の資料をレイカに渡す。
「作為というのは作為する人間が必要なのである。だから、作為して勝者になる人間と作為出来ず敗者になる、そういう差が明確になってしまうのを日本人は嫌うのだ」
「だから、作為した場合、その人間は「たまたま、はからずも」と言う必要がある。首相になった田中角栄が財界のお歴々と昼食会が会った時、田中角栄は」
「はるか末座にて土下座し「このたびははからずも、いや、全知全能を尽くして、自民党総裁の座を勝ち取りました」とやったらしい。この場合密やかな場だから」
「言えたのだろうが、公開の場で言ったら、翌日から大変だったろう」
「どうだい、レイカちゃん、視点が完全にズレてるだろ。この山本七平の文章の大意を全く理解していないどころか、この解説自体がおかしい」
と、タケルは厳しく指摘する。
「そうですね。この解説、まったくピントがずれてますね。まず、日本人は勝者と敗者が明確になるのを嫌いませんよ。勝者を「その意気やよし」と褒めるし」
「高校野球を春夏楽しんでいるのは、がんばる高校生達を見たいが為であって、やさしい日本人は勝者だけでなく、敗者にもやさしく拍手してあげるじゃないですか」
「この世はどこまで言ってもシビアな競争だと言うことを誰も知っているから、こそ、正々堂々美しく戦い、勝者と敗者を決めることを潔く受け入れているんです」
「このお爺ちゃん、日本文化を全く理解していないばかりか、適当な説明でお茶を濁しているダメ評論家じゃないですか」
と、レイカ。
「レイカちゃん、言うねー。よっぽど、この嘘つき解説者が嫌いみたいだ」
と、タケル。
「当たり前です。もう、吐き気がするくらい嫌」
と、レイカ。
「田中角栄のエピも解説がおかしいね。この元首相のセリフの中で「はからずも」という言葉はこれは支持してくれた財界のお歴々に対して失礼に当たるんだよ」
「だって、財界のお歴々の後押しがあって、しかるべき作為があったからこそ、角栄は自民党総裁の座を勝ち取れたんだから。それを「はからずも」なんて言ったら」
「それこそ、角栄の能力だけで、勝ったことになる。だからこそ、その失礼に途中で気づいた角栄自身が言い直して「皆さんのお力で勝てて嬉しいです」と言ってる訳」
「それすら、読み取れないこのお爺ちゃんはどんだけアホなんだ?さらに言えば、公開の場でこれくらい言っても、「その意気やよし」と国民はやんやの」
「声援をあげるよ・・・それすらわかっていない・・・もう愚の骨頂だ。この口のくさいアホオヤジは!」
と、タケルは言い抜いた。
「まったくアホらしい・・・特にこの谷沢永一って、どこの馬鹿?この解説なにひとつ合っていない・・・超うんこ馬鹿だな、こいつ」
と、タケル。
「もう、いいじゃないですか。こんなアホ放っておいて・・・お酒飲み行きましょう!」
と、レイカは言葉にした。
「しかし、まあ・・・どうして「知識者」って、こんなにアホなんだろうねー。軽く言い負かせちゃうじゃーん。っていうか、何もわかっていないよ、こいつら」
と、タケルは言う。
「ま、こんな感じで、今後もやっていこう。言ったろ、全勝で勝つって」
と、タケルは笑う。
「まあ、とにかく、頭の悪い、ださいオヤジは見たものの事しかしゃべれないけど、「知恵者」は現象の元になった「原因」をしっかりと説明出来るのさ」
と、タケルは笑った。
「さ、飲み行こう、レイカちゃん」
と、机の上を片付けだすタケルでした。
(おしまい)
という感じになりました。
山本七平氏も谷沢永一氏も、何もわかっていませんね。
これが日本学の祖?最強の評論家?
笑っちゃいますねー。
やはり、「知識者」は頭が悪くて、だっさいよねー。
それが結論です。
ではでは。