「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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やさしいプレゼン王、信長!(プレゼンで、本能と理性を説得せよ!)

2014年03月13日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「戦国武将考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日も前回の続きと行こう・・・「織田信長さん」を続けて見ていこうよ」

と、タケルは話し始めます・・・。

「ま、織田信長さんの話は長いから・・・まあ、いろいろ研究していこう」

と、タケルは言葉にします。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「前回、織田信長さんは、「平信長」と署名しちゃうくらい平清盛フリークだと言う話をしたね。今日はそのあたりから、始めてみようか」

と、タケルは言葉にする。

「彼は前回も話した通り、古い「知恵者」に尊敬の念を持っていた・・・その中でも、平清盛は別格だったようなんだよね」

と、タケル。

「例えば、織田信長さんが創始したイベントに「安土城の夜間のライトアップ」ということがよく物の本に書いてあったりするけど、あれも実は創始者は平清盛なんだ」

と、タケル。

「え、そうなんですか?安土の街の夜の火をすべて消させて、提灯を使って安土城だけをライトアップする・・・それだけ信長の美意識は素晴らしいと思っていましたけど」

と、レイカ。

「いや、信長さんの美意識の素晴らしさは確かだと思うんだ。それが素晴らしい幻想的な風景になることを、彼は理解していたわけだからね」

と、タケル。

「ただ、そのアイデアの創始者は平清盛なんだ。多分、古い記録などを信長さんが読んで・・・そのライトアップの素晴らしさに気づく信長さんの美意識が素晴らしいんだ」

と、タケル。

「・・・と言うと平清盛の創始した夜間のライトアップとは、具体的にどんなイベントだったんですか?」

と、レイカ。

「舞台は厳島神社・・・まあ、平清盛における安土城みたいなものだ・・・平清盛の美意識をカタチにしたもの・・・竜宮城を地上に呼び寄せたと言われる程美しい」

と、タケル。

「厳島神社の海に浮く社殿・・・ただでさえ幻想的なのに・・・とある夜、あそこに1000人の僧を呼び寄せ、民衆も呼び寄せた上で、篝火を焚かせて法要をしたんだな」

と、タケル。

「その美しさはこの世のモノにあらず・・・そんな表現が記録に残っている・・・それを信長さんは見たんだろうね。ま、信長さんも清盛も美のプレゼンターだよ」

と、タケル。

「やはり、「知恵者」は美意識が高いんですね」

と、レイカ。

「「知恵者」というのは、どこまでも自己の価値を追求していくからね。そうなると自分以外の人間にも美を追求する結果となる。結果、美意識が高くなる。そういうこと」

と、タケル。

「それに信長さんは平清盛を反面教師にもしているね。平家が滅亡したのは平清盛が突出した後に、民衆の意識を無視して自分勝手に福原遷都など、やっちゃったからなんだ」

と、タケル。

「信長さんはそこで学んでいる。「民衆を敵にしたら、平家の様に滅びるだけだ。であれば、民衆をどこまでも味方につける必要がある」と、彼は確信していた」

と、タケル。

「だから、信長さんは、民衆へのプレゼンに常に心を砕いている。安土城のライトアップも、元々は民衆への信長の存在を神秘的に見せる演出だからね」

と、タケル。

「まあ、元々、信長さんは非常にやさしい性格だよ。「日本平定」なんて大変な仕事を選んじゃうんだからね。「和を以て貴しとなす」の出来る国にリセットするためにね」

と、タケル。

「だから、「日本平定」の為にありとあらゆる「知恵」を彼は必要とした。その中でも平清盛という知恵者の存在は信長さんにとって多いに助けになったんだね」

と、タケル。

「だから、彼は「古来の知恵者の知恵は活用して、なんぼ。その知恵を自分のライフスタイルに活用し、しあわせになっていくことこそ、古来の知恵者の本望」と考えた」

と、タケル。

「だから、彼は平清盛の知恵を徹底して利用したんだね。そして、民衆を味方につけることこそ、肝要・・・そういう「知恵」にも辿り着いた」

と、タケル。

「前にも指摘したけど、将軍義昭を追放するにしても、「悪御所」という言葉を京の市中に流行らせた上で民衆にその正当性を理解させた上で義昭を追放している」

と、タケル。

「つまり、他の武将は自分の家の為に動いているわけだけど、信長だけは、「民衆の為に日本平定を成し遂げる」意識で動いているんだよね」

と、タケル。

「ここは他の武将との顕著な違いだと思う。だから、信長は自分の領地内の年貢を安くしているし、離散していた家族を一つところに住まわせたり、意を用いている」

と、タケル。

「だから、当時、他国の民衆が早く信長が占領に来てほしい・・・そういう意識を持っていたという記録が残っている。そんな武将、他にいないでしょう」

と、タケル。

「まあ、だから、信長は民衆を味方につけ、民衆の為に戦い、民衆に愛された・・・だから、その晩年、信長をご神体とする神社に多くの民衆が集まった結果につながるわけ」

と、タケル。

「言わば、戦国の正義の味方・・・民衆を救うヒーローである面を持った戦国武将・・・それが織田信長さんの正しい正体になるんだよね」

と、タケル。

「正義の味方ですか・・・でも、民衆の為に戦っていたとすれば、そういう評価が正しいということになりますね」

と、レイカ。

「象徴的なエピは、やはり、京都に入った信長が、女性に狼藉を働いていた男のクビを斬ってはねあげる・・・あそこに信長さんのヒーロー的態度が現れているよね」

と、タケル。

「確かに・・・信長と言えば、あのシーンがやはり象徴的なシーンとして思い出されますね」

と、レイカ。

「軍規は厳正・・・まあ、信長は、木曽義仲の失敗は知っていただろうけど、正義の味方にして、絶対の知恵者、信長の性格からして、軍規が厳格なのは当然だったろうね」

と、タケル。

「織田信長に対して、民衆の味方・・・というイメージを持つと、また違った信長像が見れるような気がしますね」

と、レイカ。

「例えば、彼が一向一揆の根切りを命じたのだって・・・まあ、信長の残酷さを示すエピとして提出されることが多いエピだけれど」

「彼は明らかに仏僧共が民衆を騙して自分たちの為に利用していると見ているわけ。それを繰り返す一向一揆というシステムをこの世から消すことは」

「取りも直さず民衆をこれ以上、一向宗の食い物にさせない!という強い意思なわけであって・・・そこに民衆の為に戦った信長さんの強い意思が反映されているんだね」

と、タケルは説明する。

「まあ、根切りとは、DNAの抹殺だからね。血への信頼が厚かった当時としては、最高度の怒りに震えた信長の意思がわかるよね」

と、タケルは説明する。

「すべては、か弱き民衆の為を思ってやった、民衆にやさしい信長さんの強い意思だよ」

と、タケルは説明する。

「そして、そこには一貫して「日本平定を実現して、日本の最高正義「和を以て貴しとなす」の出来る日本を再現する」という高潔な大義があった・・・ここが大事さ」

と、タケル。

「民衆もしあわせに生きられる平和な国ニッポンを実現する・・・それが信長の大義だったんだから、やさしすぎるヒーローだよ」

と、タケル。

「民衆にプレゼンするという意味で言えば・・・信長さんと言えば京での「馬揃え」があるよね・・・」

「古くは源義経が京で馬揃えをした記録があるらしいけど、信長さん、また、パクってる。いいんです、結果、民衆にプレゼン出来れば」

と、タケル。

「そういう意味では信長さん本人も「魅せる」ということの重要性を理解している人だからね。ほら、信長の若い頃で有名な斎藤道三の初顔合わせのエピがあるじゃない」

と、タケル。

「道中はうつけの格好をしていた信長が・・・道三との会見場所には、凛々しい若武者姿で現れた・・・あのエピですね」

と、レイカ。

「そ。まあ、信長にしてみれば、道中は汚れてもいい格好をしていて・・・会見場所ではおしゃれをする・・・合理的な当たり前の出来事だったろうけどね」

と、タケル。

「つまり、信長は「魅せる」重要性をその若い頃から、知り抜いていた・・・そういうことさ」

と、タケル。

「信長は、個人的なプレゼンの大切さを若い頃から知っていた・・・そういうことですか?」

と、レイカ。

「そうだ。彼は絶対に「光るの君の目」を持っていた。つまり「サル山のボス力」を発揮し家臣たちを本能的に圧服させていただろう。本能的なプレゼンはそれでいい」

と、タケル。

「それと同時に上に立つモノとして彼が欲したのは上に立つモノとしての説得力だったろう。であれば、若い頃に着ていたという男根のデザインが背中に入った服なんてのは」

「不良中学生の着る内側に龍と虎の刺繍の入った学ランみたいなものじゃん?男的強さの象徴のデザインだろう?信長らしい素晴らしいデザインだ。直裁的」

と、タケルは嬉しがる。

「それが途中からダンディズムや神秘性のプレゼンになる。上に立つ者として当然だね。だから、彼はそれまで日本人が見たことも無い」

「西洋のファッションを身につけ始める。マントなんて、そのいい例じゃないか。あるいは西洋甲冑・・・見たことの無いファッションが」

「好奇心旺盛な日本人の目を釘づけにすることは信長さんは熟知していて、そういうファッションを選んでいるんだ」

と、タケルは解説する。

「ファッションによって他人の心を自在に動かす・・・それが信長さんなんだ。民衆へのプレゼンにも徹底するのは、信長さんとして当たり前・・・そういう結論になるね」

と、タケルは結論づけた。


「ま、ファッションは異性を気持ちよくさせないといけない・・・これも信長さんに教わった「知恵」でもあるなー」

と、タケルは言葉にします。

「わかりました。タケルさん・・・その続きは、お酒を飲みながらにしませんか?」

と、レイカは赤縁のメガネを外し、髪を解いた。

「レイカちゃん、本気だね。じゃ、気合いれて飲もうか!」

と、笑顔のタケルは机を片付けだすのでした。


(おしまい)


「絶対の因果関係」・・・これを使いながら生きていけば・・・望みの未来を作るのも思いのまま・・・だと思っていますけどね。

ま、信長さんにいろいろな使える「知恵」を貰い、それを自己のライフスタイルにドンドン投入していきましょう。


さ、将来、僕がどうなっていくかはま、これからの話ですけどね。

信長さんの「知恵」をお借りしながら、楽しい未来にしていきたいと思いますね。


さあ、楽しく飲みましょう!


ではでは。

3月13日 人は毎日成長するからこそ、しあわせを感じられる!(リスクを取って、踏み出せ!)

2014年03月13日 | 毎日のしあわせの為の知恵


おはようございます。

今日は雨・・・ということで、でも、朝から暖かい感じですね。

三寒四温の季節でもありますし・・・一雨ごとに暖かくなっていくんでしょうね。

いやあ、春はいいですねー。朝から、楽しくなります。

気分よく、今日も生きていきたいですね。


さて、先日の飲み会はまだ続いています。若い水本くんは先に帰り、場所を移して別の飲み屋で、貴島くん(29)と御島さん(31)と3人で飲んでいました。

「結局、ゆるちょさんの普段の生活って、「スローライフ、スローフード」に行き着いているって、ことですよね。羨ましいな」

と、貴島くんが、ブラッディ・マリーを飲みながら話しています。

「エコで、ロハスな生活・・・羨ましい限りですね」

と、御島さんも言ってくれる。

「うーん、まあ、いろいろ追求して、自分のライフスタイルに「しあわせになる為の知恵」を投下していったら、結果、そうなった・・・そういうことかな」

と、僕はマンハッタンをやりながら、言葉にする。

「サラリーマン時代は、さ。「毎日会社で仕事をして成果を出す」が毎日のテーマだったから、そこに注力していたけど、それは会社の為に生きている感じじゃん」

と、僕。

「そうですね。確かに「会社の為に生きている」そのものです」

と、貴島くん。

「でも、脱サラした後は「毎日毎秒、自分と愛する人達をしあわせにする為に生きる」って、目的が変わったんだよね」

と、僕。

「なるほど・・・目的が変われば、日々の生活の仕方も変わるってことですね」

と、御島さん。

「そうだね。だから、その目的実現の為に毎秒、ライフスタイルの改良を試みていて・・・日々、毎秒、いろいろ試すから、結果的に「しあわせになる」は実現するんだ」

と、僕は言う。

「なるほど・・・そもそも実現する目的が違うんだから・・・なんだか、そこが大きく、サラリーマンとは違うみたいですね」

と、貴島くん。

「そうだね。なんていうのかな・・・僕は今でもハッキリと覚えているけど、サラリーマン時代って、「日々、そつなくこなす」を目的にしていたような気がするんだ」

と、僕。

「「大過なく過ごす」っていうのかな。上司に怒られないように、それでも自由に出来る範囲は広げて・・・自分なりに好きに生きるみたいな?」

と、僕。

「なるほど・・・それは今でも僕の生き方ですよ。僕なりに個性的なサラリーマンになれていると自負していますから」

と、貴島くん。

「うん。最初はそれで満足していたんだけど、結局、「自分の価値を積極的に伸ばす」という事を考えた場合、限界があることに気づいて・・・それで脱サラしたのさ」

と、僕。

「なるほど・・・確かに「自己の価値」を作ることを考えた場合、組織を抜けた方が自由にやれますね」

と、御島さん。

「もちろん、リスクはある。でも、リスクを取らなければ、成長は出来ない・・・それはもう、僕が大学受験に失敗した時から、そういう生き方は随分と経験してきたから」

と、僕。

「どういう話なんです?それ。興味ありますよ」

と、貴島くん。

「僕の人生を変えた決定的な経験だと、僕は思っている・・・そういう経験だけどね」

と、僕は語り始める・・・。


「まあ、何度も言ってるけど、僕は高校2年生の終りまでは、完全にバリバリの文系だったんだ。成績も良かった。でも、就職という事を考えた時に悩んだんだ」

と、僕。

「文系の大学を出たとして、なりたい職業が無かった・・・なれても、せいぜい一流企業の営業くらいが関の山かなあって思っちゃったんだね。それが嫌だった」

と、僕。

「今から考えるとクリエイターになりたかったんだね。元々美術部にいた僕だから。ま、美術の才能は芸大に合格するほどでも無いことはわかっていたから断念していた」

と、僕。

「そして、もう一つ「これからの時代、コンピューターを理解していないとやっていけない時代になる。だったら、その勉強をすべきでは?」と僕は強烈に思ってた」

と、僕。

「んで、結局、高校2年生の終りに志望大学を文系から理系に変えるという非常にリスキーな方法を選択したんだ」

と、僕。

「それって、半端ないリスクですよ。理系から文系なら、まだしも、文系から理系に大学受験まで、残り1年で志望変更するなんて、聞いたことありませんよ」

と、貴島くん。

「貴島くんの言うとおりです。でも、それをゆるちょさんは、選んだ・・・そういうことですね?」

と、御島さん。

「そういうこと。たとえ失敗しようが、僕の人生的には、コンピューターをゼロから学ぶことが必要だった。そっちの思いの方が強烈だったね。僕的には」

と、僕。

「勉強を始めてみて、すぐにわかった。「これは大学受験までに到底受験突破の能力を備えることは無理だ」ということにね。だが、僕は諦めるつもりはなかったんだ」

と、僕。

「僕は両親を説得した。今のままでは今年は大学受験に失敗することを。数学物理の知識は確保出来るが受験問題の演習の時間が全く足りなかったからね」

と、僕。

「だから、受験の際、受験問題を解けないだろう・・・だから受験は失敗するだろうが、この弱点さえ克服してしまえば、大学受験に絶対に成功する」

と、僕。

「一年猶予をくれれば、僕は志望する理系の国立大学・・・まあ、東京農工大学という東京の中堅大学の数理情報工学科に僕は合格する・・・と、約束したわけ」

と、僕。

「それが出来なければ、僕は大学進学を諦め就職する・・・そこまで約束した。まあ、目標を明確化し、退路を絶ったんだな」

と、僕。

「それで、現役時は大学受験失敗・・・それは予定の行動だったんですね?」

と、貴島くん。

「まあ、それはそうだけど、やはり、人生で初めての自分の全否定だからね。廻りにもとやかく言われたし、その時に人の本心と言うモノも知ったりしたね」

と、僕。

「僕だって、18歳だ・・・結構ショックだったよ。特に女性の反応は素直だからね。その時に、ある意味、女性観が出来たようなところがある」

と、僕。

「まあ、女性って、割りと素直に反応しちゃうもんですから」

と、御島さん。

「でも、その失敗は、いい経験になった。たくさんの事を知ったし、そこで結構成長したよ。僕的には、ね」

と、僕。

「そして、予備校生になった僕は徹底して、問題演習に取り組んだ。要は理系人間になるべく、自分で自分をリプロデュースしたんだな。とにかく徹底、これに尽きた」

と、僕。

「朝から、予備校に出ると、使える講師の授業にしか出なかった。そのあたりの見極めはシビアだったよ。それ以外は勉強室で、徹底して問題集を解いた」

と、僕。

「でも、その生活にはすぐ慣れた。あまり根を詰めずに、抜く所は抜いた。帰りにゲーセン寄ったりしてたし、デパ地下で美味いもん食べたりしてたからね」

と、僕。

「要は自分を成長させることが主眼だったんだ。日々を潤しながら、成長を促す・・・それは根を詰めることでも、勉強ばかりすることでもない・・・それに気づいたんだ」

と、僕。

「僕はとても元気になった・・・予備校生の暗さなど微塵もなかった。自分に自信が出来て・・・その予備校は毎週水曜日はセンター試験の予行演習の日でね」

と、僕。

「毎週、センター試験を受けているような感じだった。だから、一日試験を受ける体力もついたし、緊張なんて全然しなくなった。あれはいい経験だったよ」

と、僕。

「で、僕は自信を持って、センター試験も、2次試験も受けて・・・見事、志望校に合格・・・両親との約束を果たすことが出来たのさ」

と、僕。

「その一年の経験が僕の人生的に大きかった・・・だから、僕はその時に「リスクを取って踏み出すこと」・・・この大切さを僕は知ったんだ・・・」

と、僕。

「なるほど・・・そうやって言葉にしてもらうとよくわかりますね。ゆるちょさんの今の人生・・・人生何事も経験が糧になるんですね。特に失敗の経験が糧に・・・」

と、貴島くん。

「チャレンジングスピリッツこそが、人生には、大事・・・そういうことですか?ゆるちょさん」

と、御島さん。

「そういうことになるね。つまり、成長とは、リスクを取って踏み出すからこそ、初めて生まれるものなんだ・・・リスクを取らなければ成長は生まれないものなんだ」

と、僕。


「「リスクを取り、踏み出す」・・・そこで失敗する・・・だって最初の機会なんだから、成功する確率は低いだろ・・・まあ、そこで甘んじて失敗経験を受けるんだ」

と、僕。

「「リスクを取り、踏み出す」「失敗する」・・・その後には、「失敗の原因を具体的に言葉にする」がある」

と、僕。

「まあ、それが出来れば「成功の為の具体的条件を言葉にする」が出来るよね?それが出来れば「その具体的条件をクリアする為に自己をリプロデュースする」となるんだ」

と、僕。

「その為には、「目標を明確に言葉にし、退路は断つ」・・・これが最も大事だ。その強い精神で持って、自己をリプロデュースすれば、「成功する」に辿りつけるんだな」

と、僕。

「こういうステップを身を持って知ったから、その後の僕は、常に「リスクを取り、踏み出す」をやってきた。恋愛しかり、仕事しかりだ」

と、僕。

「それが結果的に今のゆるちょさんを作った・・・「スローライフ、スローフード」な人生を毎日楽しむ、しあわせそうなゆるちょさんを」

と、貴島くん。

「まあ、そういうことになるね。脱サラだって、「リスクを取って、踏み出す」だもの・・・その経験が人生すべてに生きている」

と、僕。

「僕のサラリーマン時代のように「日々、そつなくこなす」を毎日の目標にしていては、毎日に流されるだけで、決して目標に向かうことはないからね」

と、僕。

「うーん、それを聞くと、脱サラの準備、さらに加速化したくなるなー」

と、貴島くん。

「そうね。「退路を断って、目標を明確化する」って、いい事を聞きました。わたしも、そのつもりで、脱サラ計画、さらに推し進めるつもりです」

と、御島さん。

「まあ、そのあたりは、自分の人生だからね。ただ、毎日「リスクを取り、踏み出す」をやっていると、シビアに成長出来るよ、毎日ね」

と、僕。

「それこそが、僕の人生そのもの・・・一切の停滞は許されない・・・僕は毎日その強い思いで、自己のリプロデュースを毎秒実施しているつもりさ」

と、僕。

「それが僕の毎日のしあわせさ。「リスクを取り、踏み出す」・・・これが僕の人生の中では、最も大事なことになるね・・・」

と、僕は結論づけ、マンハッタンを飲み干した。

「マスター、マンハッタンお代わり」

と、僕が言うと、マスターは笑顔で頷くのでした。

貴島くんと御島さんは、何事かを期した顔で、真面目な目をしていました。


(おしまい)


今、気がつきましたが、結局、僕は「物書き」という「クリエイター」になれたのだから、宿願を果たせたということになるんですね。

ま、だから、日々、しあわせに生きられるんだろうなと改めて今、気がつきました。

うん。人間、やっぱり、やりたいことを毎日やることこそ、しあわせを生むんだなあと素直に思いましたね。


うん、よかった、よかった。


ではでは。