年は明け、1月の中旬の少し寒い木曜日、アイリはいつものように5時半に目を覚まし、ジョギング・ウェアに着替えると、軽くストレッチをしながら、マンションを出ていく。
ピンク色のジョギング・ウェアに同じ色のキャップを合わせたアイリは、いつものように、しなやかに走りだす。
外はまだ暗い・・・それでも、街灯の下を、アイリは黙々と走っていく。
足取りは軽い・・・すでに半年以上、ジョギングに取り組んでいる足腰は、ベテランジョガーのように、正確に軽やかに走れるようになっていた。
「あの角を右へ・・・」
呼吸も軽やかだ。
しなやかな肉体が、闇の中を軽やかに走っていく・・・。
アイリは昨年の6月に、まず、ウォーキングから始めた。
最初は、5分程行って、5分で帰るところから始めたウォーキングだったが、すぐに1時間程に伸ばすことが出来て、
「やっぱり、高校の頃、バレーやってたおかげかな」
と、うれしがるアイリ。
そして、アイリは、すぐにウォーキングからジョギングに切り替えた。
「とにかく、タケルの為に、私は健康でいなければならないし、長生きでなければいけない・・・脂肪を少しも溜め込んではいけない・・・」
と、アイリは考えていた。
「なにごとも、タケルの為・・・わたし、タケルの為だったら、何でも出来るんだから・・・」
アイリはいつも、そう考えて、がんばっていた。何事も・・・。
「このメインストリートを走って行くと、太陽が登ってくる・・・いつものように」
と、アイリはしなやかに走りながら、メインストリートの向こうから登る太陽を毎日楽しみにしていた。
いつものように、朝が白々と明けてくる。朝焼けに雲がピンク色に光る。
太陽が登ってくる。
その瞬間凍てついてた空気が、やわらかな表情に生まれ変わる。
「わたしとタケルの人生も、いつもこのようにありたいわ」
アイリは、登ってくる太陽に向かって笑顔で、走っている。
ランナーズハイが、すでにやってきている。
アイリはしあわせな気分でいっぱいだった。
「タケル、今頃、海岸を自転車で走っているかな・・・帰ったら、電話してみようか・・・」
と、アイリは自分に聞いていた。
「今日くらい、いいわよね・・・正月も結局、会えなかったし・・・」
タケルは、年末に実家に帰った後、正月には、急に会社から呼び出しがかかり、アイリと過ごすことは出来なかった。
「少し、心が寂しがってる・・・タケルのやさしい声を聞くだけ・・・それだけなら、許してくれるでしょう?タケル・・・」
アイリは、急いで自宅マンションに戻ると、シャワーを浴びて、タオルで身体を拭いた。
部屋着に着替えて、電話機の前に立つ・・・時刻は6時40分だ。
「確か・・・203号室のガオさんとイズミさんは、6時半には起きているって言ってたから・・・電話で起こしてしまうことはないはず・・・」
以前、朝タケルに電話したら、寝ぼけ声のイズミが出てきて、その後、タケルに、思い切り怒られた経験のあるアイリだった。
「よし、6時45分なら、タケルは部屋にいるはず・・・よし、かけちゃお」
と、アイリは度胸を決めて、タケルの電話番号をプッシュする。
呼び出し音・・・2回目で受話器が取られる。タケル?
「もしもし・・・こんな時間に電話してくるのは、アイリだろ・・・」
と、タケルのやさしい声が聞こえる。
「ごめん・・・タケルの声が聞きたくて・・・だって、年末以来、電話くれたの、1回切りだし・・・」
と、言い訳から入るアイリ。
「うん、そうだね。今日はガオもイズミも出張で部屋にいないから、何も気にせず話せるから、全然いいよ」
と、タケルはやさしく言ってくれる。
「実は、僕の方から、電話いれるかなって、今、考えてたところなんだ・・・だから電話機の前にいたんだよ。だから、すぐにとれたんだ。ま、以心伝心って、奴かもね」
と、タケル。
「そうだったの・・・ほんと、以心伝心だわ、きっと。嬉しいな、タケルとこころがつながったみたいで」
と、アイリ。
「それで・・・正月に起こった問題、そろそろ片付きそうなんだ・・・だから、今週末・・・金曜日の夜から、アイリのマンションに行けそうだよ」
と、タケル。
「ほんと?月曜日の朝まで、一緒にいれるの?」
と、アイリ。
「ああ。とにかく、正月から、こっち、かなり無理をさせられたから・・・そろそろアイリに治療を受けないとダメそうだって、思ってね」
と、笑うタケル。
「また、一日中、ベッドに居たいの?タケル」
と、やさしく聞くアイリ。
「いや、そこまでは、行ってないから、大丈夫・・・そういえば、アイリが僕を連れていきたい場所があるとか、言ってなかった?年末に」
と、タケル。
「ああ・・・そうね・・・二子玉川の自転車ショップだけど・・・土曜日にでも行こうか?」
と、アイリ。
「自転車ショップ・・・確か、アイリが高校生の頃に、よく通った自転車ショップだったよな・・・ツールの情報とか聞きに行ってたっていう・・・」
と、タケル。
「そうなの・・・それにタケル、レーサーバイクってあまり見たことないって、言ってたから・・・」
と、アイリ。
「あの、レーサータイプの自転車でしょ?あのハンドルが、くにゃって曲がっている・・・すごい細いタイヤの・・・湘南にたまに走っているけどね・・・」
と、タケル。
「そういう話、タケルとしたいなって、ずっと思ってたの・・・ツールの世界って、おもしろいし、かっこいいし・・・そういう話しよう、タケル」
と、アイリはノリノリだ。
「ああ、いいよ・・・ツール・ド・フランスは好きだけど、あまり詳しくは、知らないし・・・知らない世界を楽しめるってのは、ちょっと楽しそうだしね」
と、タケル。
「あ、それから、ちょっと言われてたことがあるの・・・」
と、アイリ。
「うん、なんだい?」
と、タケル。
「あの・・・実はパパが・・・タケルのこと、すごく気にいってて・・・また、昼間から飲もうって、誘ってくれって言われてるんだけど・・・どう思う?」
と、アイリは言いにくそうに言う。
「え?そうなの?・・・えーと、二子玉って、アイリの実家に近いんだよね?高校の時に通ってたんだったら」
と、タケルは質問。
「ええ、そうね、電車で2つかな・・・そうか。土曜日の午前中に二子玉の自転車ショップに顔出して・・・それから、上野毛のおうちに顔出しましょうか」
と、アイリは提案。
「うん、それがベストかな・・・それより、早くアイリに会いたいよ。僕も正月に会えると思ってたし、その気でいたから、ちょっと気分がさ、アテが外れて、ね」
と、タケル。
「わたしも、タケルに会いたい・・・会ってゆっくり抱きしめたい・・・」
と、アイリ。
「ふ・・・話していると、会社に行く気分が萎えるな・・・おし、切り替えなきゃ・・・まあ、そういうことだから、金曜日、仕事終わったら、電話いれるよ」
と、タケル。
「うん。留守電にいつでも、メッセージ頂戴ね。午前中でも午後でも、いつでも、外から確認するから、ね」
と、アイリ。
「ああ、間違って、午前中で仕事終わり・・・なんてこともありそうだから。わからないけど・・・期待しないで、待ってて」
と、タケル。
「うん、期待し過ぎないようにして、待ってる」
と、アイリ。
「ふ、アイリは楽しい気分にさせてくれるな、毎回・・・じゃあ、切るね」
と、タケル。
「お仕事がんばってね」
と、アイリ。
「うん、がんばるよ、じゃあね」
と、電話を切るタケル。
アイリは、受話器を見つめていた・・・心地良い気分にうっとりする。
「かけて、よかった・・・久しぶりに、気分が上がったわ・・・」
と、アイリはうっとりしながら、その場に寝転がる。
「また、タケルと会えるんだわ・・・うれしー・・・」
と、自分自身を自分で抱きしめるアイリだった。
久しぶりに、やさしい幸福感に浸るアイリだった。
(つづく)
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ピンク色のジョギング・ウェアに同じ色のキャップを合わせたアイリは、いつものように、しなやかに走りだす。
外はまだ暗い・・・それでも、街灯の下を、アイリは黙々と走っていく。
足取りは軽い・・・すでに半年以上、ジョギングに取り組んでいる足腰は、ベテランジョガーのように、正確に軽やかに走れるようになっていた。
「あの角を右へ・・・」
呼吸も軽やかだ。
しなやかな肉体が、闇の中を軽やかに走っていく・・・。
アイリは昨年の6月に、まず、ウォーキングから始めた。
最初は、5分程行って、5分で帰るところから始めたウォーキングだったが、すぐに1時間程に伸ばすことが出来て、
「やっぱり、高校の頃、バレーやってたおかげかな」
と、うれしがるアイリ。
そして、アイリは、すぐにウォーキングからジョギングに切り替えた。
「とにかく、タケルの為に、私は健康でいなければならないし、長生きでなければいけない・・・脂肪を少しも溜め込んではいけない・・・」
と、アイリは考えていた。
「なにごとも、タケルの為・・・わたし、タケルの為だったら、何でも出来るんだから・・・」
アイリはいつも、そう考えて、がんばっていた。何事も・・・。
「このメインストリートを走って行くと、太陽が登ってくる・・・いつものように」
と、アイリはしなやかに走りながら、メインストリートの向こうから登る太陽を毎日楽しみにしていた。
いつものように、朝が白々と明けてくる。朝焼けに雲がピンク色に光る。
太陽が登ってくる。
その瞬間凍てついてた空気が、やわらかな表情に生まれ変わる。
「わたしとタケルの人生も、いつもこのようにありたいわ」
アイリは、登ってくる太陽に向かって笑顔で、走っている。
ランナーズハイが、すでにやってきている。
アイリはしあわせな気分でいっぱいだった。
「タケル、今頃、海岸を自転車で走っているかな・・・帰ったら、電話してみようか・・・」
と、アイリは自分に聞いていた。
「今日くらい、いいわよね・・・正月も結局、会えなかったし・・・」
タケルは、年末に実家に帰った後、正月には、急に会社から呼び出しがかかり、アイリと過ごすことは出来なかった。
「少し、心が寂しがってる・・・タケルのやさしい声を聞くだけ・・・それだけなら、許してくれるでしょう?タケル・・・」
アイリは、急いで自宅マンションに戻ると、シャワーを浴びて、タオルで身体を拭いた。
部屋着に着替えて、電話機の前に立つ・・・時刻は6時40分だ。
「確か・・・203号室のガオさんとイズミさんは、6時半には起きているって言ってたから・・・電話で起こしてしまうことはないはず・・・」
以前、朝タケルに電話したら、寝ぼけ声のイズミが出てきて、その後、タケルに、思い切り怒られた経験のあるアイリだった。
「よし、6時45分なら、タケルは部屋にいるはず・・・よし、かけちゃお」
と、アイリは度胸を決めて、タケルの電話番号をプッシュする。
呼び出し音・・・2回目で受話器が取られる。タケル?
「もしもし・・・こんな時間に電話してくるのは、アイリだろ・・・」
と、タケルのやさしい声が聞こえる。
「ごめん・・・タケルの声が聞きたくて・・・だって、年末以来、電話くれたの、1回切りだし・・・」
と、言い訳から入るアイリ。
「うん、そうだね。今日はガオもイズミも出張で部屋にいないから、何も気にせず話せるから、全然いいよ」
と、タケルはやさしく言ってくれる。
「実は、僕の方から、電話いれるかなって、今、考えてたところなんだ・・・だから電話機の前にいたんだよ。だから、すぐにとれたんだ。ま、以心伝心って、奴かもね」
と、タケル。
「そうだったの・・・ほんと、以心伝心だわ、きっと。嬉しいな、タケルとこころがつながったみたいで」
と、アイリ。
「それで・・・正月に起こった問題、そろそろ片付きそうなんだ・・・だから、今週末・・・金曜日の夜から、アイリのマンションに行けそうだよ」
と、タケル。
「ほんと?月曜日の朝まで、一緒にいれるの?」
と、アイリ。
「ああ。とにかく、正月から、こっち、かなり無理をさせられたから・・・そろそろアイリに治療を受けないとダメそうだって、思ってね」
と、笑うタケル。
「また、一日中、ベッドに居たいの?タケル」
と、やさしく聞くアイリ。
「いや、そこまでは、行ってないから、大丈夫・・・そういえば、アイリが僕を連れていきたい場所があるとか、言ってなかった?年末に」
と、タケル。
「ああ・・・そうね・・・二子玉川の自転車ショップだけど・・・土曜日にでも行こうか?」
と、アイリ。
「自転車ショップ・・・確か、アイリが高校生の頃に、よく通った自転車ショップだったよな・・・ツールの情報とか聞きに行ってたっていう・・・」
と、タケル。
「そうなの・・・それにタケル、レーサーバイクってあまり見たことないって、言ってたから・・・」
と、アイリ。
「あの、レーサータイプの自転車でしょ?あのハンドルが、くにゃって曲がっている・・・すごい細いタイヤの・・・湘南にたまに走っているけどね・・・」
と、タケル。
「そういう話、タケルとしたいなって、ずっと思ってたの・・・ツールの世界って、おもしろいし、かっこいいし・・・そういう話しよう、タケル」
と、アイリはノリノリだ。
「ああ、いいよ・・・ツール・ド・フランスは好きだけど、あまり詳しくは、知らないし・・・知らない世界を楽しめるってのは、ちょっと楽しそうだしね」
と、タケル。
「あ、それから、ちょっと言われてたことがあるの・・・」
と、アイリ。
「うん、なんだい?」
と、タケル。
「あの・・・実はパパが・・・タケルのこと、すごく気にいってて・・・また、昼間から飲もうって、誘ってくれって言われてるんだけど・・・どう思う?」
と、アイリは言いにくそうに言う。
「え?そうなの?・・・えーと、二子玉って、アイリの実家に近いんだよね?高校の時に通ってたんだったら」
と、タケルは質問。
「ええ、そうね、電車で2つかな・・・そうか。土曜日の午前中に二子玉の自転車ショップに顔出して・・・それから、上野毛のおうちに顔出しましょうか」
と、アイリは提案。
「うん、それがベストかな・・・それより、早くアイリに会いたいよ。僕も正月に会えると思ってたし、その気でいたから、ちょっと気分がさ、アテが外れて、ね」
と、タケル。
「わたしも、タケルに会いたい・・・会ってゆっくり抱きしめたい・・・」
と、アイリ。
「ふ・・・話していると、会社に行く気分が萎えるな・・・おし、切り替えなきゃ・・・まあ、そういうことだから、金曜日、仕事終わったら、電話いれるよ」
と、タケル。
「うん。留守電にいつでも、メッセージ頂戴ね。午前中でも午後でも、いつでも、外から確認するから、ね」
と、アイリ。
「ああ、間違って、午前中で仕事終わり・・・なんてこともありそうだから。わからないけど・・・期待しないで、待ってて」
と、タケル。
「うん、期待し過ぎないようにして、待ってる」
と、アイリ。
「ふ、アイリは楽しい気分にさせてくれるな、毎回・・・じゃあ、切るね」
と、タケル。
「お仕事がんばってね」
と、アイリ。
「うん、がんばるよ、じゃあね」
と、電話を切るタケル。
アイリは、受話器を見つめていた・・・心地良い気分にうっとりする。
「かけて、よかった・・・久しぶりに、気分が上がったわ・・・」
と、アイリはうっとりしながら、その場に寝転がる。
「また、タケルと会えるんだわ・・・うれしー・・・」
と、自分自身を自分で抱きしめるアイリだった。
久しぶりに、やさしい幸福感に浸るアイリだった。
(つづく)
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