おはようございます。
まー、朝から湿気が高くって、夏も近い梅雨・・・そんな季節感を感じますねー。
まあ、僕はこの季節、雨が降っていない限りは、超朝で、自転車トレをやっているので、
身体的にはさわやかになりますけれど・・・ジメジメ感は、感じますねー。
ま、そんな季節です。はい。
さて、今日は大津市で起こった「いじめ」の問題と大津市教育委員会の「もみつぶし」の件について、俎上にあげてみましょう。
「彼は毎日、自殺する練習をさせられていた・・・」
15人もの生徒がそう訴えたのに、市教育委員会は、
「自殺といじめの因果関係は証明されず」
ということで、調査を打ち切った・・・まあ、よく見る風景です。
実際、僕自身、小学生の頃に「いじめ」を体験していますし、中学生の頃は、一部の不良に目をつけられ、
と言って、何をされたってことでもないですが、まあ、すごまれたりしていました。
まあ、その原因は、僕の「気の弱さ」と「頑固さ」にありましたかね。
まあ、それは別途話すとして、この「いじめ」というのは、何か?という話になるわけです。
僕は、この「いじめ」という現象は、「日本人の悪しき癖」だと考えています。
まあ、日本のネガティブな文化・・・日本人だから、こそ起こる現象だと思っているんですね。
これ、他の国のことを、僕は知らないから、こういう表現になっています。
欧米でも「いじめ」はあるよ・・・ということもあるかもしれませんが、
「日本の「いじめ」は、日本的理由によって、起こっている」
ということを、言いたいわけです。
なぜなら、大人の世界でも、「いじめ」はあるから・・・です。
例えば、大人の世界の「いじめ」には、いろいろな種類がありますが、
基本的には、
「ある集団において、その人間が存在することが、集団の利益に反する」
・・・その場合に起こるのが「いじめ」なんですよね。
例えば、ある会社が消費者から見ると非常にイメージの良くない問題を持っていたとして、
それを、会社内の人間が、義憤にかられてマスコミにリークしてしまう・・・マスコミからは、リーク者は英雄扱いされますが、
その会社からは・・・会社という集団の利益を損なったとして・・・左遷させらりたりする・・・ま、「いじめ」ですね。
もちろん、昨今は、コンプライアンスの順守ということが、法的に義務付けられていますから、
こういう事象は、少なくなっていると思われますが、当局の目の届かない、中小企業などでは、よくある風景だったりするわけです。
日本の至上の正義は、
「和をもって尊しとなす」
です。
「だったら、「いじめ」なんて無くなるはずじゃないか!」
そういう意見は、もっともです。
でも、日本人は、社会的民族なんです。
対して欧米人は、功利的民族と呼べるでしょう。
以前、僕は欧米は、収奪性民族だとしていましたが、他から収奪する理由はもちろん、民族が功利的だから・・・なので、こういう言い方に変えました。
ま、それはいいとして、日本人は、
「社会において、価値を持つこと」
に、至上の価値を置く民族なんですね。
だから、
「仕事が出来る」
ということが、至上の価値になる。
もちろん、これは、他者の利益にもなるからです。
日本人はコミュニティを大事にします。
自分の属しているコミュニティにおいて、ポジティブな価値を持つことこそ、日本人の至上の価値になるんですね。
それに対して、自分の属しているコミュニティにおいて、ネガティブな価値を持ってしまうと・・・つまり、そのコミュニティの公益を損なうと、そのコミュニティから否定されるんです。
ま、当たり前のことですよね。
これは、功利性民族のアメリカであれば・・・例えば、会社で働いていたけれど、何らかの失態で、巨額な赤字を出してしまった・・・なんてことになれば、
アメリカであれば、即解雇でしょうね。
そこはビジネスライクなのが、アメリカでしょう。
しかし、日本には、「情」システムという文化が、ある。
これが、日本の雇用形態を難しくしていると僕は思いますけれど、別に悪いシステムと言っているわけじゃない。
むしろ、これをうまく使えれば、日本では簡単にしあわせになれるんです。
ま、そのあたりは、別途書くことにしますが、いずれにしろ、欧米と日本の大きな違いは、この「情」システムの有無にあるんですね。
例えば、日本だったら、上のケースの場合、何らかの罰則を与えて雇用は続けると思います。
例えば、当事者が社長だった場合、2階級降格し専務にする・・・あとは、本人次第・・・とかね。
あるいは、給料を2ヶ月分カット、とかね。こういうのよくやるでしょ?
これはもちろん、対外的な「情」システムに配慮して、そういう懲罰の仕方をあえて選んでいるんですね。
つまり、
「この会社は、温情というモノがない」
と周囲あるいは、消費者から見られることを恐れているんです。
アメリカには、温情を求める文化はない。
日本には、温情を求める文化があるから・・・「情」システムが存在するから・・・そういう形になるんですね。
だから、対外的な配慮が必要なのが、この日本だから・・・周りの目も気にしながら、いろいろな決断を迫られるのが、この日本なんです。
そして、それは、もちろん、それが「情」システムの存在する、日本の文化なんです。
「物事に失敗はつきもの。だから、汚名をすすぐ機会を与えるのが、雇用者のあるべき姿だろう」
これが日本人の考え方なんですね。
「情」
があるから、こういう考え方になる。
それが日本なんです。
だから、簡単に人をクビに出来ないのが、日本の文化なんです。
だから、「いじめ」と言うモノが起こるんです。
「いじめ」にも、正義感から行われているモノが多いんですね。大人の「いじめ」の場合は。
だから、最初のケース・・・会社の内部事情を暴露しちゃった人間なんて、クビにしたら、その会社の見識が疑われますから、
「左遷」
という「いじめ」で・・・自ら辞めるように仕向ける・・・これですね。
自ら辞める、というのであれば、周りも納得するんですね。
「彼はあの会社に嫌気が差して、新天地を求めて、会社を辞めたんだ。その方が彼にとってもいいよ」
こういう「情」が周囲(その会社内以外)に生まれるから、周囲は、納得するんですね。
これも「情」です。
だから、「情」と「いじめ」は密接に絡み合っているんです。
さて、そこまで、話してきて、やおら、大津市の「いじめ」と大津市教育委員会の「もみ消し」について考えてみましょう。
子供の「いじめ」とは、「気が強く、自分の力を誇りたい人間」が「気の弱い人間」を使って繰り広げるパフォーマンスに過ぎません。
「俺は仕事が出来る。だから偉いんだ。仕事の出来ないあいつは、本来、この場にいる価値はないんだ」
ま、日本人の価値観そのものですよね。
こういう考え方を、「気が強く、自分の力を誇りたい人間」が持つもんだから、生まれるのが、「いじめ」です。
「あいつは、このコミュニティにいてはならない人間だ。なぜなら、気が弱いからだ」
これが、いじめる側の論理です。
大人の「いじめ」と同じ構図なんです。
ただ、子供の「いじめ」は周囲への配慮なんてありませんから、「いじめられる側」は一方的に攻撃されるだけになる。
まあ、子供の世界では、「情」システムが、未発達ですからね。
だから、「いじめ」とは、起こるべくして起こる・・・日本のネガティブな文化なんですよ。
じゃあ、この「いじめ」を無くすには、どうしたらいいか。
「「いじめ」なんてやっちゃ、いけません!」
なーんて、日頃から言っていても、あまり効果はありません。
なぜなら、子供は、本能的な生き物だからです。
理性を期待出来ないのが、子供です。
だから、本能に従う・・・気の強い人間は、気の弱い人間を「いじめ」る・・・これは本能的な行動なんです。
であれば、どうすべきか?
「コミュニティのリーダーが、「いじめ」の兆候を嗅ぎつけ、リーダーの本能的な畏怖感を使って、「いじめる側」を本能的に恐れさせ、「いじめ」を辞めさせる」
これしかありません。
子供は、本能的存在であり、本能的な説得しか意味をなさない。
本能的な説得と、理性的な説得をダブルで行うことが、子供の教育には、唯一有効なんです。
だから、そのひとつの方法として、昔は、体罰という手段があった。
コミュニティのメンバーが、コミュニティのリーダーに本能的な恐れを感じること・・・これが唯一、コミュニテイのリーダーがコミュニティを統率出来る方法なんですよ。
理性のない人間がメンバーの場合、これしか、コミュニテイ統率の方法は、あり得ません。
つまり、
「サル山のボス力」=雄力極大
が、教師には求められるんです。
それが「いじめ」の抑止になります。
「サル山のボス力」
・・・それを持った教師こそが、理性のないコミュニティ・メンバーをしあわせに出来るコミュニティ・リーダーになれるんです。
「サル山のボス力」
を持った人間は・・・雄力極大の男性は、コミュニティ・メンバーの雄力がどれくらいか、よーくわかりますからね。
だいたい「めぢからのやりあい」をやれば・・・誰がどれくらいの雄力を身に着けているか、一発でわかる。
ま、「ガンの飛ばし合い」という奴ですよ。
そこに全勝出来ないと、「サル山のボス力」を持っているとは、言えない。
そして、誰がどれくらいの雄力を身に着けているかがわかれば、
誰が誰をいじめそうかなんて・・・一発でわかるでしょ?
そしたら、いじめる側に立ちそうな奴に、
「おめえ、俺のクラスで「いじめ」なんかするなよ。したら、どうなるか、わかってんだろうな!」
と、一発すごんでやれば・・・いやいや、効果的な説得をすれば、
それで「いじめ」はなくなります。
ま、簡単に言えば、GTOじゃないと、いけないわけです。教師は、それくらいの能力を基本的に装備しなければいけない。
しかし、それに気づいている人間は、どれくらいいるんでしょうかねー。
教師の養成方法が根本的に間違っている。
そういうことです。
だから、僕は自分の子供を教える教師を、まず、この目で確かめるでしょうね。
あるいは、クラスのメンバーのガキ達も・・・。
それで全員、恐れさせちゃう・・・サル山のボス力を使っちゃうかもしれませんねー。
ま、それはいいとして、この自殺した男子生徒のクラスの担任は、「サル山のボス力」のない、駄目駄目教師だったということでしょうね。
「「いじめ」はやっちゃいけません」
そんな言葉を吐いたからと言って、実効性はありません。
子供は、理性がないに等しいんだから。
それすらわからない教育者なんて、僕的は、仕事の出来ない失格野郎だ、ということになりますけどね。
さらに言えば、やばい情報が出たからと言って、もみ消す大人は、愚の骨頂です。
大津市教育委員会は、カス!
ま、こちらも、
「コミュニティの公益」
を第一にした、ごく日本的な風景ですけどね。
日本の最高正義である、
「和をもって尊しとなす」
が、悪い方向に出た現象です。
というか、日本の教育会って、閉鎖的で、ほんとに駄目だなあって思いますね。
徹底的な改革が必要だと思います。
というか、今のままだと、日本の教育界は、ドンドン自殺者を出していくと思いますよ。
つまりは、日本の教育会こそ、自殺者を作り出す、悪の元凶だ、ということになりますね。
何も手を打たずに次の自殺者を出すならば、ねー。
違いますか?
それくらいを結論にしておきましょうか。
長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
以上
まー、朝から湿気が高くって、夏も近い梅雨・・・そんな季節感を感じますねー。
まあ、僕はこの季節、雨が降っていない限りは、超朝で、自転車トレをやっているので、
身体的にはさわやかになりますけれど・・・ジメジメ感は、感じますねー。
ま、そんな季節です。はい。
さて、今日は大津市で起こった「いじめ」の問題と大津市教育委員会の「もみつぶし」の件について、俎上にあげてみましょう。
「彼は毎日、自殺する練習をさせられていた・・・」
15人もの生徒がそう訴えたのに、市教育委員会は、
「自殺といじめの因果関係は証明されず」
ということで、調査を打ち切った・・・まあ、よく見る風景です。
実際、僕自身、小学生の頃に「いじめ」を体験していますし、中学生の頃は、一部の不良に目をつけられ、
と言って、何をされたってことでもないですが、まあ、すごまれたりしていました。
まあ、その原因は、僕の「気の弱さ」と「頑固さ」にありましたかね。
まあ、それは別途話すとして、この「いじめ」というのは、何か?という話になるわけです。
僕は、この「いじめ」という現象は、「日本人の悪しき癖」だと考えています。
まあ、日本のネガティブな文化・・・日本人だから、こそ起こる現象だと思っているんですね。
これ、他の国のことを、僕は知らないから、こういう表現になっています。
欧米でも「いじめ」はあるよ・・・ということもあるかもしれませんが、
「日本の「いじめ」は、日本的理由によって、起こっている」
ということを、言いたいわけです。
なぜなら、大人の世界でも、「いじめ」はあるから・・・です。
例えば、大人の世界の「いじめ」には、いろいろな種類がありますが、
基本的には、
「ある集団において、その人間が存在することが、集団の利益に反する」
・・・その場合に起こるのが「いじめ」なんですよね。
例えば、ある会社が消費者から見ると非常にイメージの良くない問題を持っていたとして、
それを、会社内の人間が、義憤にかられてマスコミにリークしてしまう・・・マスコミからは、リーク者は英雄扱いされますが、
その会社からは・・・会社という集団の利益を損なったとして・・・左遷させらりたりする・・・ま、「いじめ」ですね。
もちろん、昨今は、コンプライアンスの順守ということが、法的に義務付けられていますから、
こういう事象は、少なくなっていると思われますが、当局の目の届かない、中小企業などでは、よくある風景だったりするわけです。
日本の至上の正義は、
「和をもって尊しとなす」
です。
「だったら、「いじめ」なんて無くなるはずじゃないか!」
そういう意見は、もっともです。
でも、日本人は、社会的民族なんです。
対して欧米人は、功利的民族と呼べるでしょう。
以前、僕は欧米は、収奪性民族だとしていましたが、他から収奪する理由はもちろん、民族が功利的だから・・・なので、こういう言い方に変えました。
ま、それはいいとして、日本人は、
「社会において、価値を持つこと」
に、至上の価値を置く民族なんですね。
だから、
「仕事が出来る」
ということが、至上の価値になる。
もちろん、これは、他者の利益にもなるからです。
日本人はコミュニティを大事にします。
自分の属しているコミュニティにおいて、ポジティブな価値を持つことこそ、日本人の至上の価値になるんですね。
それに対して、自分の属しているコミュニティにおいて、ネガティブな価値を持ってしまうと・・・つまり、そのコミュニティの公益を損なうと、そのコミュニティから否定されるんです。
ま、当たり前のことですよね。
これは、功利性民族のアメリカであれば・・・例えば、会社で働いていたけれど、何らかの失態で、巨額な赤字を出してしまった・・・なんてことになれば、
アメリカであれば、即解雇でしょうね。
そこはビジネスライクなのが、アメリカでしょう。
しかし、日本には、「情」システムという文化が、ある。
これが、日本の雇用形態を難しくしていると僕は思いますけれど、別に悪いシステムと言っているわけじゃない。
むしろ、これをうまく使えれば、日本では簡単にしあわせになれるんです。
ま、そのあたりは、別途書くことにしますが、いずれにしろ、欧米と日本の大きな違いは、この「情」システムの有無にあるんですね。
例えば、日本だったら、上のケースの場合、何らかの罰則を与えて雇用は続けると思います。
例えば、当事者が社長だった場合、2階級降格し専務にする・・・あとは、本人次第・・・とかね。
あるいは、給料を2ヶ月分カット、とかね。こういうのよくやるでしょ?
これはもちろん、対外的な「情」システムに配慮して、そういう懲罰の仕方をあえて選んでいるんですね。
つまり、
「この会社は、温情というモノがない」
と周囲あるいは、消費者から見られることを恐れているんです。
アメリカには、温情を求める文化はない。
日本には、温情を求める文化があるから・・・「情」システムが存在するから・・・そういう形になるんですね。
だから、対外的な配慮が必要なのが、この日本だから・・・周りの目も気にしながら、いろいろな決断を迫られるのが、この日本なんです。
そして、それは、もちろん、それが「情」システムの存在する、日本の文化なんです。
「物事に失敗はつきもの。だから、汚名をすすぐ機会を与えるのが、雇用者のあるべき姿だろう」
これが日本人の考え方なんですね。
「情」
があるから、こういう考え方になる。
それが日本なんです。
だから、簡単に人をクビに出来ないのが、日本の文化なんです。
だから、「いじめ」と言うモノが起こるんです。
「いじめ」にも、正義感から行われているモノが多いんですね。大人の「いじめ」の場合は。
だから、最初のケース・・・会社の内部事情を暴露しちゃった人間なんて、クビにしたら、その会社の見識が疑われますから、
「左遷」
という「いじめ」で・・・自ら辞めるように仕向ける・・・これですね。
自ら辞める、というのであれば、周りも納得するんですね。
「彼はあの会社に嫌気が差して、新天地を求めて、会社を辞めたんだ。その方が彼にとってもいいよ」
こういう「情」が周囲(その会社内以外)に生まれるから、周囲は、納得するんですね。
これも「情」です。
だから、「情」と「いじめ」は密接に絡み合っているんです。
さて、そこまで、話してきて、やおら、大津市の「いじめ」と大津市教育委員会の「もみ消し」について考えてみましょう。
子供の「いじめ」とは、「気が強く、自分の力を誇りたい人間」が「気の弱い人間」を使って繰り広げるパフォーマンスに過ぎません。
「俺は仕事が出来る。だから偉いんだ。仕事の出来ないあいつは、本来、この場にいる価値はないんだ」
ま、日本人の価値観そのものですよね。
こういう考え方を、「気が強く、自分の力を誇りたい人間」が持つもんだから、生まれるのが、「いじめ」です。
「あいつは、このコミュニティにいてはならない人間だ。なぜなら、気が弱いからだ」
これが、いじめる側の論理です。
大人の「いじめ」と同じ構図なんです。
ただ、子供の「いじめ」は周囲への配慮なんてありませんから、「いじめられる側」は一方的に攻撃されるだけになる。
まあ、子供の世界では、「情」システムが、未発達ですからね。
だから、「いじめ」とは、起こるべくして起こる・・・日本のネガティブな文化なんですよ。
じゃあ、この「いじめ」を無くすには、どうしたらいいか。
「「いじめ」なんてやっちゃ、いけません!」
なーんて、日頃から言っていても、あまり効果はありません。
なぜなら、子供は、本能的な生き物だからです。
理性を期待出来ないのが、子供です。
だから、本能に従う・・・気の強い人間は、気の弱い人間を「いじめ」る・・・これは本能的な行動なんです。
であれば、どうすべきか?
「コミュニティのリーダーが、「いじめ」の兆候を嗅ぎつけ、リーダーの本能的な畏怖感を使って、「いじめる側」を本能的に恐れさせ、「いじめ」を辞めさせる」
これしかありません。
子供は、本能的存在であり、本能的な説得しか意味をなさない。
本能的な説得と、理性的な説得をダブルで行うことが、子供の教育には、唯一有効なんです。
だから、そのひとつの方法として、昔は、体罰という手段があった。
コミュニティのメンバーが、コミュニティのリーダーに本能的な恐れを感じること・・・これが唯一、コミュニテイのリーダーがコミュニティを統率出来る方法なんですよ。
理性のない人間がメンバーの場合、これしか、コミュニテイ統率の方法は、あり得ません。
つまり、
「サル山のボス力」=雄力極大
が、教師には求められるんです。
それが「いじめ」の抑止になります。
「サル山のボス力」
・・・それを持った教師こそが、理性のないコミュニティ・メンバーをしあわせに出来るコミュニティ・リーダーになれるんです。
「サル山のボス力」
を持った人間は・・・雄力極大の男性は、コミュニティ・メンバーの雄力がどれくらいか、よーくわかりますからね。
だいたい「めぢからのやりあい」をやれば・・・誰がどれくらいの雄力を身に着けているか、一発でわかる。
ま、「ガンの飛ばし合い」という奴ですよ。
そこに全勝出来ないと、「サル山のボス力」を持っているとは、言えない。
そして、誰がどれくらいの雄力を身に着けているかがわかれば、
誰が誰をいじめそうかなんて・・・一発でわかるでしょ?
そしたら、いじめる側に立ちそうな奴に、
「おめえ、俺のクラスで「いじめ」なんかするなよ。したら、どうなるか、わかってんだろうな!」
と、一発すごんでやれば・・・いやいや、効果的な説得をすれば、
それで「いじめ」はなくなります。
ま、簡単に言えば、GTOじゃないと、いけないわけです。教師は、それくらいの能力を基本的に装備しなければいけない。
しかし、それに気づいている人間は、どれくらいいるんでしょうかねー。
教師の養成方法が根本的に間違っている。
そういうことです。
だから、僕は自分の子供を教える教師を、まず、この目で確かめるでしょうね。
あるいは、クラスのメンバーのガキ達も・・・。
それで全員、恐れさせちゃう・・・サル山のボス力を使っちゃうかもしれませんねー。
ま、それはいいとして、この自殺した男子生徒のクラスの担任は、「サル山のボス力」のない、駄目駄目教師だったということでしょうね。
「「いじめ」はやっちゃいけません」
そんな言葉を吐いたからと言って、実効性はありません。
子供は、理性がないに等しいんだから。
それすらわからない教育者なんて、僕的は、仕事の出来ない失格野郎だ、ということになりますけどね。
さらに言えば、やばい情報が出たからと言って、もみ消す大人は、愚の骨頂です。
大津市教育委員会は、カス!
ま、こちらも、
「コミュニティの公益」
を第一にした、ごく日本的な風景ですけどね。
日本の最高正義である、
「和をもって尊しとなす」
が、悪い方向に出た現象です。
というか、日本の教育会って、閉鎖的で、ほんとに駄目だなあって思いますね。
徹底的な改革が必要だと思います。
というか、今のままだと、日本の教育界は、ドンドン自殺者を出していくと思いますよ。
つまりは、日本の教育会こそ、自殺者を作り出す、悪の元凶だ、ということになりますね。
何も手を打たずに次の自殺者を出すならば、ねー。
違いますか?
それくらいを結論にしておきましょうか。
長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
以上