「僕らはどうしようもない」レバンドフスキが“茶番批判”に反論! W杯惨敗については…【ロシアW杯】
リスクを冒して掴んだ決勝T。長谷部誠「この世界は結果論」【ロシアW杯】
今朝、いつも通り5時少し前に起きてテレビをつけると「ボールをシュートしないの・・・」(正確な言葉は憶えていないが、ボールを持っているのにゴールを狙わないの・・・というニュアンスの話だったと思う)と寂しそうに話している女の子の姿が映し出されていた。サッカー好きの両親に連れられてロシアまでサッカー観戦に来ていたのだろう。彼女にとっては、ボールを持ったらゴールに向かって点を入れようとする。それがサッカーで、それ以外の選択肢はないのだろう。
子供の頃の選択はとてもシンプルだ。ただ、時間が経つにつれ、経験が増えるにつれ、人は何かを判断する時にいろいろな判断基準を持つようになる。
論理的な判断だけではない。感情を伴う判断も出てくる。目指すところは同じはずなのに、それに向かっていこうとする道は何通りもある。自分の経験や自分の置かれてきた立場から見た論理的な判断。さらに同じ勝ちでも、自分にとって意味のある勝ち方であるかどうかという論理と感情が入り混じった判断・・・・
更に沢山の選択肢の後には、たくさんの「もしも・・・」もついてくる。
「もしもあの時引き分けでなかったら・・・」「もしも、もう少し試合日程が空いていて、体力を回復する余地があったなら・・・」「もしも新しいメンバーでもっと違う戦い方が出来ていたなら・・・」
一つの選択がまた別の選択を生み、過去の選択と未来の選択の渦に飲み込まれていってしまうのだ。
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私はあまりサッカーに詳しくないので(そもそも試合も見ずに寝てしまったので・・・)、サッカー好きの人より、思うところは少ないと思うのだが、それでも、賛否両論あるのは分かる。
同じ思いのはずなのになぜか違う道が選ばれた時に感じる寂しさ。ただそれだからこそ、奇跡的に同じ思いで同じ方法を選んだ時の喜びは大きいんじゃないだろうかと思う。次の試合にそんな思いが感じられますように・・・・
サッカーファンの方から見たら、的外れな思いかもしれないが、ニュース報道を見ながらそんな風に思う。