ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

やってるふり(感染予防とかも含めて)

2020年06月15日 18時52分00秒 | 雑感
こんにちはー!!

今日は、何だか最近思うなーってことを書きます。

まあ新型コロナ関連からですけど、

まずは、、、

3蜜

これって、どうなんでしょう?本当にこれを気をつけることで感染が防げるのでしょうか?

飛沫感染って話から、空気感染だのエアロゾル感染とか、なんか正直どうなのさ?

2m離れましょうってのも、果たしてこの2mって何でしょう?唾が飛ぶ距離?体からモヤーっとなにか出るのでしょうか??

まぁ、換気は分かります。それは屋外での感染がほぼ無いってことを聞けば、開放空間だと感染力ほぼナシってことだろうから、これは良さそうです。

んで、

マスク。

これねー、、、


まぁ、100歩譲って、「すでに罹ってる」としましょう。くしゃみとか咳が出るなら、有効かもしれませんが、それ以上になにかあるのだろうか?

やりたい人がやるのは良いと思うけど、「マスクをしてないなんて!!」と軽蔑的な目で見るのはどうなんだろう?

というか、

本当に感染を防ぎたくてマスクをしてっる人って、どのくらいいるんだろう?

正直なところ、これって「世間体」ってヤツじゃないですか?

マスクしてないと、白い目で見られるから、ってヤツ。

「あらー、あの人マスクしてないなんて、まったく人にうつしたらどうする気かしら、、やーね」「マスクをしないなんて、全く常識がない!けしからんヤツだ」

そんな世間の目があるから、一応マスクをしてる、、、って人がかなり多いと思うんだよねー。

真剣に、本当に感染をこれで食い止めよう!!と考えてるんだとしたら、もっと付け方にも工夫がいるかと思うし。


で、意外と「見た目で分からない」から軽視されがちなのが、モノを介した感染っての。

感染してる人が触った何かとか、そういうモノを次の人が触って、その手であちこち触ると、それがどんどん、、、


このパターンはどうなんだ???

お店とか、あとはトイレ。排泄物からもウイルスは出るそうで、蓋を閉めないでトイレを流したら、数メートルは飛ぶそうだから、もはやトイレは完全にやられてる、と考えた方がいい。

そういうところのドアだの、壁だの、そういうのを触った手をちゃんと洗う、とかそういうのはいいのかなー?

あの、フェイスシールドとかアクリル板とか、、、


いったい何から誰を守ってるんでしょう?

先生がフェイスシールドをして、、、
そのうえマスクもしたりして、、、


先生は目から何か発射するのか??

口からならマスクで良い。目からはさすがに、、、


目から感染する可能性はあるらしい。
目に「入る」方ね!!


ということは、先生は生徒たちからの感染を防いでるのかな???

そのうえ、アクリル板も、、、


これ、もはや完全にイメージでしょう??

アクリル板とかビニールを毎回完全に消毒するなら分かるけど、そうじゃないなら、どんどんそれ自体が不潔になっていく気がするよぉ。


あとは、感染者数ってのね。

患者数じゃない。感染者数だからねー。

他の病気では、そういうのは調べない。分かるのは患者数だけ。

全くなにも症状がない人は、インフルエンザの検査とか受けない。
具合が悪い時、医者に行くと「インフルエンザかどうか」判定してくれる。無症状の人は行かないから、仮に感染していてもだーれもしーらない。

コロナの場合は、具合が悪くても検査してもらえない人もいるかと思えば、

まったく症状とかなくても、患者と接点があれば検査されるため、無症状の感染者がカウントされる。

正直、感染者数なんて、日本中全員やって初めて分かるってヤツでしょ?

ひょっとしたら、もう結構みんなかかっちゃってる(もう治ってる)かもしれないよ。

抗体検査とかしたらきっと何かはわかるだろうけど、

なにをどうしたいのか?分からんけど、

感染者を出したいところはめっちゃ検査する、感染してちゃ困るところはあんまり調べない、感染してちゃ困るところに感染者が出ちゃったら、「陰性」が出るまで調べる、、、


そんな風に見えなくもない。

また、今回のことでみんながちょっとしたことじゃ医者に行かなくなったもんで、場所によってはお医者さんが潰れそうだと聞いた。

逆医療崩壊。。。

インフルエンザはワクチンとか薬が出せるから、ある程度の人数かかってもらってもいいんだろろうけど、コロナは世間の目が悪い上に、治療も投薬で済むって感じじゃなくて、とても大変。これで院内感染とかしちゃうと病院的にも評判とかもあるしとても大変だ。

インフルエンザが蔓延しても、特に病院が閉鎖されたり、お見舞いができなかったりなんてしない。だれも、「あの病院、インフルエンザの患者さんが出たんですって!怖いわー」とは言わない。むしろ勇んで検査に行く。

行ったら感染るかもしれないぞー。でもそんなこという人あんまりいない。


なんていうか、

日本だけじゃないかもしれないけど、

一度「こうだ!」と決めて走り出しちゃうと、そこから新事実を突き止めたり、それを公表したり、改善したりってことがし難い傾向にある気がする。

情報を聞くと、それを「つまり??」と考えないで、「あら!そうなのね!」と鵜呑みにして、それを守ればいいんだ!!!という思考停止になったりしやすい。

どうしてそれをするのか、それがどういう効果があるのか、もっといい方法はないのか?

そういうことを考えない。考えさせない、考えたくない。。。

いや、「それが現状では1番いい方法だ!」と思ったことが、将来的に間違ってたってことはめっちゃあり得るし、神さまじゃないからね、分からん。

でも、いろいろ試したり研究したりしてる人がいるんだから、新しい情報は絶対どんどん上がってるはずだし、より良い方に常にシフトして行けばいいんだけど、それが一旦「こういうことで」ってしちゃうと、「それを守ることこそ、正義」ってなっちゃって、いったい何のためにやってんの?ってのがどんどん訳が分からなくなって、

そうするうちに、謎の論理を押し通すために、もっと謎の論理を使うようになって、

「それ、変じゃね?」と思うことを許さなくなったり、変な論理で人に対して正義を振るうようになって、

それが何気に「差別」とか「風評被害」ってのを引き起こしちゃうってことに気がつかないといけないって思う。


これ、私の話じゃないけど、

結婚式にトランペットとかよく演奏してるでしょ?

いろんな実験動画がアップされてるけど、トランペットに限らず、結構多くの管楽器ってあんなに息吐いてるみたいだけど、実験してみたら、ほとんど空気の流れなんか起きてないの。

ベルからオリャーっとなにか出てるって思ってるかもしれないけど、音が伝わる科学的原理がわかってるなら、空気の疎密で音が伝わってるだけで、実際に空気が向こうへ行ってる訳じゃない。そりゃー、時間かけて少しは流れていくかもしれないけど、そんなこというなら、その場でため息ついた方がもっと遠くまでスゴイ勢いで飛んでいくからね。

それでも、「トランペットのイメージがベルからビャーっとまき散らしてる感じがするので、クレームが入ると悪いから、トランペットはNG」みたいな。

こういうのって、何気に風評被害だし、これが「差別」の始まりじゃないかなって思うわけ。

「雰囲気」でしょ?

で、NGって言ってる人もそれは科学的じゃないことは知ってるんだけど、「そういう風に思われちゃうとクレームになるかもしれないから」だから「NG」ってのは、

本当にベルから何かをまき散らして人に感染させるなら、これは事実だから仕方ないよね。

でも、

まず感染してない可能性大。
その上、ベルからはほとんどなにも出ない。

でもイメージ的にダメ。


はーい、これな。



何でも調べる科学があるんだから、危ないモノは危ないからこう注意する、危なさそうでも実は調べると大丈夫だからこれは安心して良し!!

それが大事だよね。


「あの人って◯◯ぽいよね」ってラベリングして、それを理由に区別と称した差別しちゃうっての、いろいろありそうだよね。


まぁ、トランペットの話は、私もトランペットだけど自分の話じゃないんで、それが言いたくて今日のブログを書いた訳じゃないんだけど、

一事が万事ってことあるから。


ちゃんと、見ないといけない。考えないといけない。知らないといけない。雰囲気とかで流されてちゃいけない。

知れば、なんてことはないってこともいっぱいあるから。

というわけで、私もいろいろ考えて行動しようー。
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音楽って何じゃろ?

2020年06月15日 01時34分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!

どうしたことか、なかなかにお腹が痛い(笑)生あくびが出ます(笑)

たまーに、塩分取りすぎた時に起こることなので、心配ないのですが、、あはは。


いやはや、

音楽ってなんじゃろ?なんて大きく振りかぶろうとしてるのに、お腹が痛いとは、、、


なので、しゃしゃっと書いて、また今度〜となったらごめんちゃいな!

なんとなく、これは私が大雑把に言った時に「クラシック寄り」の世界にいるせいだと思うんだけど、

「音楽」とか「音楽の力」って言う時って、暗黙的に「クラシック」のことが多いような気がします。

それがなーんとなく「擦り込まれてる」。

「音楽」イコール「クラシック」だと思うと、

音楽って堅苦しいよね、とか
生の音楽、初めて聞いた(生で音楽来たことがない)
音楽は素晴らしい、
音楽なんて難しそう
音楽なんてできない、、、
音楽はハイソなお宅でやるもの、

そんな風になっちゃうと、「音楽」はちょっと遠いところにあるような感覚になりますし、

専門家になりたい!!という場合は、小さい時から厳しく、英才教育で、

みたいな感じにもなるでしょう。

そして、

うまく、正確に、きちんと、完璧に、凄技で、

みたいなところに主眼が置かれやすい、、、


そんな傾向があるような気がします。

「楽器が上手い」ことが音楽の最重要ポイント的な。

それはそれで良いのです。


そこで、見落としがちだな、と思うのが、


音楽の役割、歴史、背景。


もしかしたら、簡単に「グルーブ」みたいな言葉で終わってしまう場合もあるかも知れないけど、


表面的なリズムのパターンとか、
こうやるとかっこいいとか、
こうすると上手くいくとか、、、


いや、それも出来たら良いんです。

だけど、もしもその音楽が例えばその民族にとって物凄く大切なモノだったとして、、、何か大変な過酷な歴史を乗り越えるのに必要だった魂の叫びだったとしたら、


表面的に、「こんな感じー??」「これで譜面通り」とか、そんなことで、演奏されたとしたら、

なんだか冒涜された感があったとしても、仕方ない。

ある人が本当に心を込めて大切に作った曲だとして、


「あーかっこいいねー!」「いーじゃん?!」

とオリャーっと演奏したら、もしかして作った人はガックリ、、、そういうこと言いたかったんじゃないのに、、、となってしまうかもしれない。


一方で、作った人や作った民族を超えて、演奏する側に任されてるんだから自由でしょ?という考えもある。


自由にやってくれたおかげで、可能性が広がって、さらに羽ばたく音楽もあるだろう。

その場合ってのは、作った(培ってきた)人の思いとは違っていても、演奏者の心の声がその音楽を借りて外に出てるって場合や、

その音楽を理解しようと努めたけれど、資料も不足していて理解しきれてないかもしれない、、、が、精一杯作者たちの思いを代弁しようと努めた、

という場合じゃないかなー??


んー、例えばブルースがどうやって生まれてきたのか、そのリズムのルーツとか、それが生まれた背景とか、その当時の暮らし、変遷などを全く知ることなく、

ブルースって、こんなコード進行ね!かっこいいよね!!

ってやっちゃうと、なんかどうなのよ??って考えた時、


この頃の黒人奴隷の生活とか、アフリカのリズムとか、置かれた辛い環境とか、そういうのを、どっちにしろ当事者しか本当のところは分かんないんだけど、

そこに寄り添う気持ちとか、リスペクトの気持ちとかあるかないかで、

音の重み、音の出し方、、、すべて変わってくるような気がするのね。。。


よく、「そんなこと知っても、楽器は上手くならない」って考えあるし、それは本当にそうだと思う。そんなの調べたりしてる間に練習すれば、その分楽器は絶対うまくなるだろう。

でも「音楽」ってなんだ?と考えた時に、

クラシック的な、高貴な感じで考えると、なんだか「美しく」「正確」であれば良いし、それ以外のジャンルは「ノリ」で、みたいな風になりがち(もちろんスペシャリストなどはその限りではない!!)だし、


何か、遠くのハイソな世界のモノって感じだから、聞き手側も、美しいー!すげー!正確ー!バカテクー!でオッケーになりがち。


でも「音楽」って、私も忘れ果ててたけど、もっと生活とか人生とかに密着したところにあるモノも「音楽」なんだよね。

例えば、民謡とか、演歌とか、子どもの手遊び歌とか、ケンケンパとか、お箸で茶碗を叩くドラムごっことか、お料理の音とか、ポンポコ腹鼓とかw

なんなら心臓の音や、イビキや、エンジン音、電車の音、鳥の鳴き声、話し声、、、

ぜーんぶ音楽だとしたら、、、

そういうのが、ただ単にその「音」出してます、

ってなったら、は???ってなるなー。


そこには喜びとか、元気とか、愛情表現とか、生活だったり、、、

音にそれが「乗ってる」んだものー。

それが、譜面通り、ってだけだったら、、


もうちょっと理解してくれよぉーとなりそうじゃないですか。。。


そんなわけで、「知る」努力は音楽に取って、めっちゃ大切な気がする!!

それでは、おやすみなさーい!

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