ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

9月16日(日)のつぶやき

2018年09月17日 05時53分22秒 | Weblog
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存在の肯定

2018年09月17日 00時14分42秒 | 雑感
こんばんはー!!

いやー、終りましたよぉー。ジュニアオーケストラ の定期演奏会。

個人的には、いやー!!ホント子どもたち良くやりましたって思います。

A合奏もB合奏も、ホントに良く頑張った!!いい演奏だったと思います。



うんうん、何でしょうか?!

A合奏、演奏し終わった時の子どもたちの顔が、ホントに明るくて!!

これねー、なかなかならないんですよ。

「ホラホラ!笑顔で!!」

と口でいくら言ったところで、大抵は固い表情のままなんです。


でも、今日は、

「ここはみんなで、お互いに全体を感じながらやろう!」とか、

まあ、いろいろ決めてたっていうか、私がお願いしといたところとかね、


そこで、めっちゃコンタクト取れました。

で、「よしゃ!」的なリアクションが返ってきまして。楽しかったです。

で、子どもたちも手応えあったんでしょうねー。それで自然と笑顔が!!
この、満足げな笑顔に勝るもんないね。


直前まで、私も含めて、軽口叩いたり、いろんなことポンポン言ったりして、

わーい!と楽しげにステージに出て行きましたので(≧∇≦)


これからまた、この「やったら楽しい」という気持ちを育てていけたらいいなーと思います。



うーん、

それにしても思います。


やっぱり人間って、「存在の肯定」がどれほど生きる力になるかってこと。


別に特別褒めたり褒められたりとか、そういうことじゃなくて、


あなたはそこにいるね!ちゃーんと見てるよー!どうあっても大事なあなただよー

という、ただそれだけで、全然違って来るなーと。


それは無条件です。


こんなことができるあなた
ここが素敵なあなた


ではなくて、


あなた


なだけで存在する価値100%!!

って思えていたり、また周りに誰かそう思っていてくれる人がいるってこと。


えー??「こんなことができるあなた」って方が良いんじゃなーい??

なんて、思ってますか?



これ、裏を返せば、


「もしもそれが出来なかったら、価値が下がる(価値がない)」


ってことと、表裏一体なんですよ。条件付きなの。

だから、そこに自信が持てなくなったりしたらさ、存在価値が危ぶまれるわけだ。


そんな危うい状況で、自由に挑戦したり、頑張ったりなんて出来ないですよね?


危うい中でも、頑張ったりはすると思います。いや、むしろ頑張らざるを得ないってこともあるでしょう。


でもそれは、心からの冒険とかチャレンジじゃなくて、恐怖から逃れるためですよね。


それじゃーさー、楽しくないね。



だって、頑張って出来たとしてすら、なんとか存在意義が保てるだけなんですもの。



そう思って子どもたちを見た時、

あたしゃー、無条件に存在価値を認めたいね。


要らない奴なんて1人もいない。


何かができるとか、何かが出来ないとか、

そんなの関係ない。



何かが出来るとかそういうのは、その先の話だよね。


存在価値とかじゃないんだよ。

それをやったら楽しかったり、人が喜んだり、、、そういうのをたくさんたくさん足して、人生をステキにするためにやるって奴でしょ?


ま、もしかしたら、

あなたのこういうところは良くない!

ってところはあるかもしれないよ。
でも、それは「いけないポイント」が有るってだけ。そこは直すとか改善するとかしたら良いだけで、人としての存在価値とは関係ない。


なんだか、偏見かもしれないけど、


新潟の人って、その「肯定感」がとーっても弱い気がする。

肯定感の弱い大人が、子どもを見ると、否定的な観点が勝りがちで、するとまた肯定感の弱い子が育つ、、、の繰り返し。


かく言う私もガッチガチの新潟県民気質だからね。


だから、自己肯定感が物っすごく低いし希薄だと思うね。


だから、いろいろ上手くいってるときはいいけど、そうじゃないときなんか、もうね。。。


でも、たくさん子どもを見てきたり、父兄の皆さんも見てきたり、そして東京に暮らすようになって、関西出身の旦那と一緒に暮らして、自分のこともいろいろ客観的に見るようになったりして、


するってーと、なんだろ?この漠然とした自己肯定感の無さは何だ?とか考えたとき、何かしら、「条件付き存在価値」ってのがあって、それが揺らいだら、もはや生きる価値がなくなるような不安が常にあるんだなと。


勢いのあるときは、それが「推進力」になったりもするんだけど、ダメな時には、ホントにどうしようもなくなるからね。

これって、あまり言いたくないけど、新潟県の自殺率の高さとも関係ある気がする。。。



話は戻るけど、


そう。

だからなおさら、あたしゃ、子どもたちに「存在の肯定」を感じてもらいたい。

私は子どもに話す時に、ダメだと思ってるのに「どうなの?」とか、聞きたくない。「もっとこうしたら?」とかってのも、根底に否定がある気がするんだよね。心に否定を持って接するのは、ヤダね。

だったら、「ここはダメだね。こうして!」と言うね。出来るはず、出来たらいいね!と思うことに向かうために提案する。

ダメなのは「あなた自体」じゃない。「ここ」だよ。

それを伝えたい。


それを直したら、またまたステップアップしちゃうチャーンス!!イェーイ!!


って言うことだけ。ホント、それを伝えたい。


みんなのことは、「んー!ここは困るなぁ!」とかそういうポイントはあったとしても、そんなことはさておき、大好きなのさ!かわいい奴らだと1人残らず思ってますよん!!

そして、その大好きなヤツらに、私も存在を肯定してもらってる気がします。感謝しかないね。

向こうからもまさかのガンガン突っ込みくるからね(≧∇≦)ぐほほ、むしろ面白い。




よーし、また明日から私も頑張ろう!!

それでは、みなさん!また明日ー。
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